ママ、もういちど笑ってよ

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佑の怪我は大したことはなかった。 救急外来の待合で順番を待っていた佑は、泣き疲れてあどけない顔で寝息を立てていた。背もずいぶん伸びたのに何だかひどく幼く見える。 先生の話だと、プラスチックのスコップを取り合いになり、相手の子が払った先が佑の頭を(かす)めたらしい。頭皮が少し切れたが傷もごく浅いし、打撲も軽度で心配ないとのことだった。 「珍しいですね。何かを取り合うなんて」 「その前にお友達と揉めたんですよ」 初めは仲良く雪合戦やソリをしていたのだが、他の男の子たちが雪だるまを2つ作り、両親に見立てて遊び始めた。 「それを見た佑くんが急に不機嫌になって」 泣きながら雪だるまを蹴って壊してしまった。 私の胸は痛んだ。 やっぱり父親にいて欲しいのかもしれない。 私がそれを奪ってしまったから… 私は佑の隣に座って髪をそっと撫でた。 次の春から年長クラスだが、佑は(いま)だに自分の気持ちを表現するのが苦手だ。時々こんなふうにトラブルを起こすことがある。特に負の感情はうまく説明が出来ないせいか、苛立ちも増すようだった。 治療は傷のステープル縫合だけだった。寝ぼけた佑は突然の針の衝撃に泣き出したが、私の顔を見るとほっとした表情を見せた。 先生に車で送ってもらって保育園に戻り、智も一緒に帰宅することになった。 「兄ちゃん、痛い?」 「へーき」 出血で少し固まった前髪に触れて、佑が笑った。 「ママ。お腹すいた」 もうお昼を過ぎてる。どこかで食べて行こうかと考えて、田島さんの言葉を思い出した。 「お弁当屋さんに寄ってもいい?」 「から揚げ買うの」 「わかんないけど、後でおいでって言ってくれたから」 お店にはお休みの札が掛けられて、内側のカーテンが閉まっていた。私は恐る恐る扉を引いて中を覗いた。 「こんにちは」 「おじちゃん。来たよー」 佑と智がずんずん入って行くので、私も慌てて店内に足を踏み入れた。ほわっと温かい空気に触れると、空腹を刺激するあのスープの匂い。
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