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「ママ、宿題手伝って!」
白い教室。今日も私はママと宿題をする時間になったので元気よくおねだりした。
ママはいつも私の隣に居てくれてずっと私に寄り添ってくれている。
少しのわがままもニコニコして許してくれるような、そんな優しいママが好きだ。
「今日の宿題はなにかな?」
「えっとねー、んっとねー」
さっき先生に言われたような気がするんだけど、忘れてしまった。毎日楽しみにしてる宿題なんだけれど。
「みっちゃん、今日の宿題は【私の1日について書いてみよう】だったね!」
「そうだ!お姉さんありがとう!」
このお姉さんも私に寄り添ってくれる人だ。ご飯を準備してくれたり、先生のお話の歳には一緒にママといてくれる優しい人。
「何から書こうかな?」
「まずは朝、起きてから何をしたか書いてみようか」
「うん!」
大きい声で返事をし、頷く。朝、自分は何をしていたか思い出す。頭に靄がかかったみたいに思い出しずらいが、いつもの事なので気にせず思ったことを書いていく。
『2月1日、土よう日、晴れ!今日はわたしの1日をしょうかいします!』
『あさ、わたしは6時30分に起きました。お姉さんがお部屋に来て「みっちゃん早起きね、えらいね」とほめてくれました!うれしかったです』
そういえば、まだ牛乳屋さんから牛乳とヨーグルトを受け取っていない気がする。毎日朝必ず来ていたのに。
意気揚々と書いていた手を止め、ママに聞いてみることにした。
「ママ、牛乳屋さん来た?」
「きたよ、みっちゃんが寝てる6時ぐらいに来ちゃったからママ受け取っておいたね」
「うん!」
疑問に思ったことが1つ解決してスッキリとした気持ちになる。続きをまた書いていく。
『7時、ママにおはようのあいさつをしました。いっしょに朝ごはんを食べます。今日のメニューはおかゆさんでした。おいしかったなぁ。食べおわったら、学校に行くじゅんびをします。おきがえがニガテなのでいつもママとお姉さんにてつだってもらいます』
『8時20分、先生がきました。わたしは先生に元気よくおはようございます!とあいさつしました。先生もまけないぐらい大きな声であいさつしてくれました。』
それから…何をしたんだっけ?また思い出せなくなってくる。
「ねぇ、お友達のよしこちゃんはどこいっちゃったの?」
一瞬ママの顔が強ばった気がしたが、直ぐに優しい顔に戻り「よしこちゃん、お熱出ちゃってお休みよ」と言った。
他のことに気を取られて次は何を書こうか迷ってしまったので、ママに助けを求めた。
「ママ、ここから先わかんない」
「そうだねぇ…お昼の話でも書こうか?みっちゃんお昼何食べたっけ?」
「うーん…」
「ほら、みっちゃんの大好きな食べ物だったよ」
大好きな食べ物。ポテトフライに唐揚げ、コロッケ…なんだっけ…。あと少しで思い出せそうなのに思い出せない。
「すみつかれ、食べたね」
ママが笑顔で答える。
「うん!とーってもおいしかった!」
給食に、ママが持参したすみつかれを少しよそって食べた。
白いご飯に乗っけて食べると、汁が米に染み込んでよりご飯が進む逸品だ。
すみつかれは作るのが大変。昔、私も作ったことがあるけれど結構時間と手間がかかるものだ。その分美味しいのだけれど。
「そのあとは、何をしたかな?」
「おりがみをおったよ!鶴さんに、駒さん、ヤッコさん織れた!」
「うん、上手に織れたね。ここに書いてみようか」
ママは机の上の紙を指さす。そうだ思い出すのにせいいっぱいで書くことを忘れていた。
『12時、お昼ごはんの時間になりました。メニューはごはん、おみそしる、しゃけ、ほうれんそうのおひたしとすみつかれです。すみつかれはママの手作りでもってきてくれました。少し苦いけどとーってもおいしかったです!』
私は書く手を止めない。
『2時、おひるねの時間です。この時間はママが先生といつもお話に行きます。なのでわたしはママがもどってくるまでおひるねすることにしています。今日のゆめは、知らない古いおうちで、わたしがママになって赤ちゃんをだっこしているゆめでした。みぎあごにホクロがとくちょうてきな女の子でした。赤ちゃんはないていましたが、かわいくて、とっても温かかったです。幸せな気もちになりました。』
『3時、ママがもどってきたのでいっしょにおりがみをおりました。ママはじょうずにつるさんをおってくれたけど、わたしはむずかしくてきれいにおれませんでした。でもママは「みっちゃんのおったつるさんかわいいね」とほめてくれました!うれしかったです!』
「『たのしい1日になりました!』っと…書けたよ!ママ、読んで!」
やっと出来上がったことが嬉しくて、書き上がった用紙をママに渡した。
じっくりと私が書いた文に目を通すママ。時折、すごいねぇ、楽しかったねぇと話してくれている。
しばらくすると、ママは泣いていた。
私は驚いて顔を覗き込み「碧、どこか痛いの?」と聞いた。
碧は私の顔を見て目から大粒の涙を零しながら、ずっと「大丈夫」「ありがとう」と繰り返し、私に向かって諭すように言っていた。
*******
青い空に雲はほんのりとかかっている。少し黒い所が見えるので夜は雨が降りそうだ。
私は神崎碧。今年で19歳となる。
私は青春と若さを、母のために捨てた。というよりその言葉自体私の中から消した。
私の母は所謂若年性認知症だ。
母は今年50になる。父を早くに亡くし、私が生まれてから女手一つで育ててくれた。
私は高校2年生になる年、悲劇が起きた。
大好きな母がある日、倒れた。過労だった。
病院に運ばれて色々検査をさせられていた。このまま母が死んでしまったらどうしようかと思うほど生きた心地がしなかった。
病院の先生が私のところに来た時に、なんとも言えない顔をしていたのを覚えている。
「先生、お母さんは大丈夫なんですか!?」
「結論から言うと、体は大丈夫です。ただ…」
告げられた言葉は、母は若年性認知症であると言われた。その後何か言っていた気がするが、言葉が耳に入ってこなかった。これを絶望と呼ぶのだ、と直感した。そのまま母は入院した。
そんな絶望があって早1年。
私は夢に見ていた専大に入ってイラストの勉強をすることを諦め、学校が終わってからは入院費を稼ぐためにバイトに明け暮れていた。
「ママ、宿題手伝って!」
今日も私は母と宿題をする時間になったようなので、笑顔で「今日の宿題は何かな?」と聞いてみる。
「えっとねー、んっとねー」
先程、主治医の先生に言われたリハビリの内容をもう忘れてしまったようだ。
「みっちゃん、今日の宿題は【私の1日について書いてみよう】だったね!」
「そうだ!お姉さんありがとう!」
お姉さんと呼ばれているのは、看護師さんの事だ。母が駄々を捏ねても優しく丁寧に接して頂いているので、とても助かっている。
そして、母はみっちゃんと呼ばれている。
入院した頃、自分のことは『みっちゃん』と呼んでと、先生やら看護師やら私にまでしばらくずっと言っていた。
そのおかげもあってかあだ名が定着した。恐らく昔、母が友だちに呼ばれていたあだ名なんだろう。
「何から書こうかな?」
母は子どものように大きく首を傾げる。
1日がテーマなら最初は朝何をしたかから書くのが良いだろう。
「まずは朝、起きてから何をしたか書いてみようか」
「うん!」
病棟に響き渡りそうな大きな声で返事をした。
『2月1日、土よう日、晴れ!今日はわたしの1日をしょうかいします!』
読み上げながら、一言一句丁寧に文字を書いている。
まだ母が私を分かっていた頃、字は誰が読んでも分かるぐらい丁寧に書きなさい、と言われたものだ。
その甲斐あってか、よく私はメモ書きなどを渡したりする時、字がとてもお上手ねと褒められたりする。
今の母の文字には綺麗も上手いも見当たらない、まるで小学生低学年の紐みたいな文字だ。私はそんな文字を見るのがとても悲しかった。
『あさ、わたしは6時30分に起きました。お姉さんがお部屋に来て「みっちゃん早起きね、えらいね」とほめてくれました!うれしかったです』
6時30分、起床の時間。病棟一斉に電気がつく。母は誰かが起こしに行かないとずっと寝続ける、もしくはぐずり出してしまうので毎回看護師さんが優しく起こしに行ってくれている。
後で聞いた話だが今日はとても目覚めがよく、朝からご機嫌だったらしい。
母は意気揚々と書いていた手をピタリと止め、神妙な面持ちになった。
「ママ、牛乳屋さん来た?」
いつもの確認だ。
母がまだ小さい頃、朝家まで毎日牛乳屋さんが配達してくれていたらしい。その記憶が時々混在してしまい、聞いてくる時がある。
「きたよ、みっちゃんが寝てる6時ぐらいに来ちゃったからママ受け取っておいたね」
「うん!」
受け取ったと聞き納得したのか、再び手を動かす。
今日はたまたま機嫌が良く、すぐ納得してくれたが、自分も受け取りたかったとゴネて泣き出してしまう時がある。
そんな時は手足をバタバタと動かし暴れ回るので、看護師さんがすぐにベッドに拘束する。
こうなると暫くは奇声をあげたりガチャガチャと全身を動かし拘束道具を外そうして、痣が至る所に出来たりする。
それを見ていることしかできない私は、凄く苦しい。
『7時、ママにおはようのあいさつをしました。いっしょに朝ごはんを食べます。今日のメニューはおかゆさんでした。おいしかったなぁ。食べおわったら、学校に行くじゅんびをします。おきがえがニガテなのでいつもママとお姉さんにてつだってもらいます』
朝は寝ぼけたままご飯を食べて喉を詰まらせないように、飲み込みやすい食事になっている。
母は身支度を自分ですることが出来ない。そのため、毎日パジャマを洗っては干し、持ってくるというルーティンが出来ている。
看護師さんからは「毎日着替えさせてもらっていて、お母さん喜んでますよ。とってもいい香りがします」と褒めてくれることが、自分の心がほんの少し和らぐような気がしている。
『8時20分、先生がきました。わたしは先生に元気よくおはようございます!とあいさつしました。先生もまけないぐらい大きな声であいさつしてくれました。』
今日は主治医の先生が朝から回診に来た。
普段はニコニコしてるおじちゃん先生(といっても50代ぐらいだろうか)だが今日は少し神妙な顔つきだった。
先生は母に挨拶をすませると、私の方へ向き直り「お母さんの宿題終わったら僕に声をかけてくれますか?お話があります」と小声で言って去っていった。
一体何の話だろう。と考えているとお母さんが手を止めていた。
「どうしたの?」
「ねぇ、お友達のよしこちゃんはどこいっちゃったの?」
ドキリとした。
よしこちゃんとは、お母さんの隣に入院していた人だ。
母と同じ病気でお互い若い頃に戻ったようにお話してたらしい。残念ながら彼女は先週、亡くなってしまった。今まで忘れてたのに急に思い出したのはどうしてなんだろう。
お母さんを不安にさせてはいけないとすぐに笑顔に戻し、「よしこちゃん、お熱出ちゃってお休みよ」と諭すように言った。
お母さんは、すでにそんなことも念頭に無いかのように机上の用紙に向かって悩んでいた。
「ママ、ここから先わかんない」
「そうだねぇ…お昼の話でも書こうか?みっちゃんお昼何食べたっけ?」
思い出しの手伝いをする。今日のお昼ご飯はお母さんの大好きな料理にした。
「うーん…」
何も覚えていないみたいだ。これ以上悩ませても癇癪を起こすだけで何もいい事はないので答え合わせをする。
「ほら、みっちゃんの大好きな食べ物だったよ」
大好きな食べ物。きっと子どもの頃の大好きな食べ物ばかり並んでいるだろう。
お母さんになってから好きになった食べ物の名前は、きっとそこには無い。
そう思ってしまうことが、とても寂しく、悲しい。
「すみつかれ、食べたね」
記憶の忘却のスピードが激しすぎることに嘆きながら、笑顔で取り繕って答える。
「うん!とーってもおいしかった!」
答えを言って思い出してくれたのが、まだ救いだった。お母さんは美味しかったねぇ、ママの作るすみつかれ大好きなんだ、と無邪気に言う。
突拍子も無い嬉しい言葉に感動して涙が出そうになる。ぐっとこらえ、次の話を書くように促す。
「そのあとは、何をしたかな?」
「おりがみをおったよ!鶴さんに、駒さん、ヤッコさん織れた!」
「うん、上手に織れたね。ここに書いてみようか」
私は机の上の紙を指さす。今日はとてもよく記憶を思い出せている。このまま私の事も思い出してくれたら良いのに。
『12時、お昼ごはんの時間になりました。メニューはごはん、おみそしる、しゃけ、ほうれんそうのおひたしとすみつかれです。すみつかれはママの手作りでもってきてくれました。少し苦いけどとーってもおいしかったです!』
母は書く手を止めない。
『2時、おひるねの時間です。この時間はママが先生といつもお話に行きます。なのでわたしはママがもどってくるまでおひるねすることにしています。今日のゆめは、知らない古いおうちで、わたしがママになって赤ちゃんをだっこしているゆめでした。みぎあごにホクロがとくちょうてきな女の子でした。赤ちゃんはないていましたが、かわいくて、とっても温かかったです。幸せな気もちになりました。』
『3時、ママがもどってきたのでいっしょにおりがみをおりました。ママはじょうずにつるさんをおってくれたけど、わたしはむずかしくてきれいにおれませんでした。でもママは「みっちゃんのおったつるさんかわいいね」とほめてくれました!うれしかったです!』
「『たのしい1日になりました!』っと…書けたよ!ママ、読んで!」
出来上がったことが嬉しいのか、母は顔をガバッと上げ書き上がった用紙を私に差し出した。
きっと赤ちゃんは私のことだ。私は右あごに目立つホクロがある。夢の中では私のことを覚えてくれていたんだと感じると言葉にならない嬉しさがある。
私は私を消したのに、母の中に私はまだ居る。
涙ぐんだのを隠すように目を擦る。そしてじっくりと母が書いた文に目を通す。
母は今、みっちゃんである事を忘れないようにすごいねぇ、楽しかったねぇと相槌を打った。
最後まで読むと今まで消していた感情がどっと溢れ、私は涙を流していた。
母は驚いて顔を覗き込み「碧、どこか痛いの?」と
聞いた。
その言葉にハッとして母の顔を見た。
私の目から大粒の涙が溢れ出る。
お母さん、私が消してしまった私を、私自身を消さないでくれて、ずっと心に書き留めて置いてくれてありがとう。
言葉にしようにも涙のせいで声が出ない。
絞り出した声に乗せて私は母に、「大丈夫」「ありがとう」と繰り返し伝えた。
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