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翌日。僕はいつも通りの時間に目を覚ました。ハッと我に返ったように身体を確かめてみるが、特に変わったところは見つからない。安心するのと同時に、僕は急ぎ朝の支度を済ませた。
足は自然と死場の森へと向かっていた。社の周辺に六助の亡骸は見当たらない。昨日、突然のことで驚きそのままにして帰ってきてしまったため、せめて埋めてやろうと思っていた。やまいだれが片付けてしまったのだろうか。それとも獣に持っていかれてしまったのか。
「随分丈夫だの。恭治郎。退屈せずに済んで嬉しいぞ」
微笑むような柔らかい声が耳をくすぐる。やまいだれの声を聞くとなんだか心が落ち着いてくる。まだちゃんと生きているのだと自覚させてくれるような。喉の渇きが満たされていくような。そんな不思議な充足感があった。
「でも、ときおり苦しくなるんです」
「ほう」
それはまるで心臓をぎゅっと鷲掴みされているような苦しさ。呼吸の仕方を忘れてしまいそうになり、眩暈がするような息苦しさに支配されてしまう。六助のように血を吐いたりすることはないが、手先がふるふると震えて上手く動かないことがある。気がつけば、頭の中が一色で塗り潰されているのだ。
「どれ、我が診てやろう」
そう言うと、暗闇の中の影が動いた。す、す、と衣が擦れる音がする。影がどんどん近づいてくる。そして、暗闇から一歩こちらへ踏み出したやまいだれがその姿を現わした。
腰まで伸びた長い黒髪とは対照的な、雪を擦り込んだような病的に白い肌。鮮血を思わせる深紅の着物。愁いを帯びた切れ長の目がすっと僕を射る。やまいだれの白く冷たい手が頬に添えられた。目の下を親指でぐっと下げ内側を覗いたり、視線を喉に移して触れて確かめる。
「恭治郎、苦しいか?」
「え? あ……い、いえ、今は大丈夫です」
「ふむ? そうか」
それから少しの間、僕はされるがままに立ち尽くし、やまいだれの言葉を静かに待った。僕の身体から手を離すと、考え込むように顎に指を添える。やまいだれは視線を下に落として左右をゆっくりと行ったり来たりさせる。ややあって、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
「成程、道理で斯様な症状が」
笑みが消えて、真面目な顔で僕を見据える。
「恭治郎、其方は不運よな。前途もまた長く苦しむことになろうぞ」
やまいだれが発したその言葉に、僕の頭の中は弾けたように真っ白になった。吐血して倒れた六助を幸せだと言ったやまいだれが不運だと言う。それほど長く、僕はこれからも苦しむことになるのか。それならばいっそ死んだ方がましだとも思える反面、やはりどうしても死にたくないという強い思いがある。
だって、死んでしまったらそこで終わりだから。死んでしまったら、もう二度と。
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