本編

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 振り返ると、木々の隙間から顔を覗かせている男がいた。寝ぐせだらけでぼさぼさの短髪。痩身で飄々としたその男は六助(ろくすけ)。仕事はサボるし食べ物を盗むしで手癖が悪いため、あまり関わりたくない人間だった。しかし、禁足地へ踏み入れたことを知られたのが、村で評判が悪い六助である意味助かる。 「死場の森に入るなんて、恭治郎もなかなかやるじゃん」  六助はにやにやと笑みを浮かべながらこちらへ近づいてくる。やまいだれの伝承のせいで禁足地である死場の森には、村の誰も足を踏み入れたことはない。きょろきょろと周囲を見渡し、社を物珍しそうに眺めている。 「何で六助がここにいるんだよ」 「昨日、お前少しだけ仕事サボってただろ? 珍しいなって思ってさ。女でもいるのかと思って後をつけてみたわけよ。そしたらこんなとこまで来ちゃってさ。爺たちは口うるさく言ってたけど、やまいだれの伝承も嘘だったわけだ」  遊び場が増えたことに目を輝かせる六助。ろくなことを考えていなさそうな六助を見て、頭が痛くなってくる。しかし、やまいだれの伝承を嘘だと思っているのはさすがに危ないため、止めようと手の平を前に突き出した。 「待て、六助! やまいだれの伝承はきっと本物だ。だからこっちに来るな」 「ああ? 伝承が本当なら何でお前は生きてんだよ」  怪訝そうな顔を浮かべるだけで、歩みを止めることはしない。確かに、六助の言う通りやまいだれの伝承は誇張もあるだろうが、即時性の高い内容になっている。僕は自分が何の病に罹っているのか分からないし、肌の異常など目に見える証拠もない。だから今の僕には六助を納得させることができなかった。 「六助は相変わらずの聞かん坊よな。その血は佐之助譲りか」  背後からやまいだれの声がする。それは六助にも聞こえていたようで、やまいだれの声にぴくりと反応した。 「やっぱり女がいるのか? 禁足地で逢引きなんて恭治郎も隅に置けないよな。爺どもには黙っといてやるから俺も混ぜてくれよ」  へらへらとしてそんなことを言う。やまいだれが余計なことを口にしたせいで、六助は自分の考えが正しいと確信してしまった。近づいてくる六助を止める手段も思いつかないまま、ただ呆然と眺めていることしかできない。 「んあ? あ……かはっ!」  黒い地面に足を踏み入れた瞬間、六助は自らの左胸辺りをがっと掴んだ。ぶるぶると震え始めたところで地面に膝をつき、口からどろりと赤い液体を吐き出す。かひゅ、かひゅ、と喉から声とも呼吸音ともつかない音が漏れる。助けを求めているのだろうが、僕を見る六助の瞳は焦点が合っておらず、虚ろに泳ぎ回っているだけだ。 「六助は幸いよな」  やまいだれの言葉を最後に、六助はどたりと地面に倒れて動かなくなった。名前を呼んでも反応せず、口から垂れる血だけが量を増していく。六助がもう息をしていないことは、近くで見ずとも凄惨な有様から容易に理解できた。 「何が……何が幸いなんですか!? 六助が死んでしまったんですよ!?」 「病苦は刹那こそ幸いであろう?」  僕の叫びにやまいだれは冷静に答える。どうせ死に至るのなら病気で苦しむ時間は短ければ短いほどいい。その考えは理解できる。しかし、僕が言いたいのはそういうことではなかった。
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