焔(ほむら)

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 日向インターチェンジを降りた瞬間、フロントガラスに雨粒が落ちてきた。南に来ると、一月でも雨なのか。車内に流しているラジオは、聞き取れないくらいの音量に下げている。何か音が欲しかったからBGM代わりに常につけているだけで、聞きとろうとはしていなかった。 「もりおか?」道の駅の駐車場で、雨に濡れつつ自販機で買った缶コーヒーを啜っていると、作業着姿の男性が声を掛けてきた。  男性は、僕が驚いて肩を上げたのを見て「ごめんよ。ここらじゃ見かけないナンバーだなと思って」と笑い、後ろ髪の水滴を払った。歳は二十代後半から、三十代前半くらいだろうか。二十五の僕とさほど離れていないように見える。長身と彫りの深い顔立ち。声色は穏やかで、安堵をもたらすバリトンである。 「あ……はい、盛岡です。岩手にあります」  唐突な質問に朴訥と答える。世間話には慣れていない。 「へえ、若いのに随分と遠くから。学生さん?」 「いえ、仕事をしていますが……休暇を」 「へえ。ひとり旅?」ひとりたび、彼の言葉を頭の中で反芻して、また「そんなところです」と答えた。気の利いた返しができない自分に嫌気が差した。 「岩手って、東北か。今雪凄いでしょ?」 「ええと……今の時期は、このくらいです」  少し大袈裟に膝の上を指さしてみると、男性は絶句して目を丸くした。 「そりゃ、大変だ。それは運転もきついな」 「はは、でも雪国だから慣れっこです」 「凄いな。じゃあ、九州はあったかいでしょ」 「……」あったかいでしょ、か。彼の言葉を頭で繰り返した。「そうですね、だいぶ。今はお仕事中ですか?」 「あれよ」  男性は振り返ると、大型車用の駐車場を真っ直ぐ指差した。荷台にクレーンを積載したトラックが一台止まっている。 「ロードサービス。今日は夜勤。一人でいると眠くてね」  男性は眉間に皺を寄せ、気だるそうな表情を浮かべている。ふと何かに気がついたようにツナギの胸ポケットを開けた。どうやら携帯電話に着信が入ったようだった。男性は電話を切ると、眉間の皺を深くした。 「出動命令が出ちまった。噂をすればなんとやらってな」 「そうですか、すみません。わざわざ、お仕事中にお声がけいただいて」 「いや、それはこっちのセリフよ。宮崎にはいつまでいるつもり?」  僕は答えに窮した。いつ宮崎を離れるのか、更に南下するかここを南端に北上するかに至るまで、何ひとつ決めていなかった。 「二、三日くらいは、滞在しようかなと……」  男性にとって期間は重要でなかったらしく、ふぅんと呟きポケットを漁った。取り出した紙切れに何やらメモすると「ほら」と渡してきた。受け取ると、それは皺でくしゃくしゃになったレシートだった。余白部分に殴り書きで携帯電話の番号が記されていた。「ごめんな、そんなメモしかなくて。行き先悩んだら連絡しな」 「あ、ありがとうございます」 「明日、ちょうど休みなんだよ。簡単な案内くらいならできるぜ」  男性は右手を上げ、トラックに駆け込んだ。僕も車に乗り込み、タオルで雨に濡れた服を拭きつつ、フロントガラス越しに外を眺めた。トラックが目の前を横切った。男性は、道の駅を出るところでハザードランプを数回点灯して挨拶を送ってきた。
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