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「そっちはカードを入れ替えなくていいの?」
彼女の言葉に対して、勝野はせせら笑う。
「おばさん相手にマジになる理由なんてないからな」
「もう一度言ってみなさい?」
いまにも、地獄の獄卒が現れるかと思うばかりの炎を背にまとったような、彼女の雰囲気に、勝野はたじろいでしまう。
「子供相手に本気を出すのは忍びないけど、じゃあ、ダイスを振って先攻と後攻を決めましょうか」
「ふん、そっちが先攻でいいぜ。こっちは後攻で構わない」
「ずいぶんと余裕ね」
「そりゃ、通りすがりのおばさんなんかに……」
ドン! 雷が落ちたのかと思うほどの台パンに、ふたたび勝野はたじろいだ。
「じゃあ、お言葉に甘えて。《喇叭の達人》を〈ステージ〉にプット」
ぐすん、二十歳後半くらいに見えるって言われるのに――彼女は、ひとりそう呟いて、天井を見上げてこみあげてくる涙を抑えた。
「こっちは《睥睨》を使って《達人》をクラッシュ」
「甘い。《北が南に》を使って、スペルの方向を転換。これで《睥睨》はクラッシュする対象を失う。そして、こっちのターン。まずは《喇叭の達人》単体で攻撃。《天上の描き人》と二体目の《達人》をプットしてターンエンド」
あまりの彼女のスピードに、コバンザメたちはざわつき始める。
「おい、まずくないか。プレイングがうまいぞ」
「大丈夫だ……勝野さんのデッキには《泥濘の悪魔》がいるんだから」
そう、《泥濘の悪魔》がひかえている。しかし、勝野は焦っていた。この凶悪なモンスターを〈ステージ〉に出す前に、ライフを削り取られる可能性はなくはない。しかしモンスターを倒そうにも、巧みに返されてしまう。
奈緒が見逃していたもの。それはテキストの読み方だ。
例えば、[モンスターを1体、そのコントローラーの手札に戻す]というテキストの場合、相手のモンスターだけではなく、自分のモンスターも手札に戻すことができる。そうすれば、相手のスペルをかわすことができるし、モンスターによっては、〈ステージ〉にプットされたときに、もう一度、「能力を発動させる」こともできる。
奈緒は[モンスターを1体……]というテキストの主語を[相手のモンスター]だと自明視してしまっていたのだ。いままでの対戦では、その隙を突かれていた。
「間に合った……」
その呟きは、《泥濘の悪魔》がプットされる合図だった。しかし勝野は考える。相手の手札に《天上崩落》があるとしたら?――いや、恐れる必要はない。もしクラッシュされたとしても、もう一度〈ステージ〉に戻すカード《語り継がれた秘密儀式》も手札にはある。
「ふん、遅かったな。《泥濘の悪魔》をプット。これでお前のザコモンスターでは攻撃できないだろう? 《天上崩落》を打ってみろよ。でもな、こっちにはそれに対処できるカードがあるんだからな」
しかし彼女は、《天上崩落》をデッキから抜いている。そのカードは、奈緒のポケットの中に入っている。そのかわりに、彼女は別のカードをデッキにいれている。
「さっきはよくも、おばさんって言ってくれたわね?」
親指と人差し指に挟まれたカードが、勝野の目の前に掲げられる。
そのカードは《放埓者の改心》――相手のモンスター1体を自分のコントロール下におけるカードだ。つまり《泥濘の悪魔》は、彼女のモンスターになる。
「グッバイ・少年」
ステージにいるモンスターすべてが、勝野に襲いかかる。
「ぐわあああああ!」
生気が抜けた顔をして、膝から崩れ落ちる勝野。コバンザメたちは両脇から勝野を抱えて、「覚えてろよ!」とテンプレートな捨て台詞を残して去っていった。
その後ろ姿を見送っていた彼女は、なにかを思い出したように、急いで腕時計を見ると、「行かねば!」と言って、大急ぎで支度をはじめた。
「じゃあね、わたしは行くわ」
「待ってください!」
奈緒の言葉に、ピタっと、彼女は立ち止まった。
「ありがとうございました」
「お礼が言えるのは、良い子の証だよ……って、なにもお礼をされることをしてないけど。でも、これだけは言っておくわ。このカードゲーム――『グローリア』を、精一杯楽しみなさい。そうすれば、強くなるから」
なにかを言おうとする奈緒を背に、立ち去ろうとした彼女だったが、急に振り向くと、「じゃっ、そのカードはあげるから」と、言い残して、お店の出口をくぐり抜けた。
せっかく買い求めたカードを、その日にあげてしまったことに、いくらかの後悔と多少の満足を感じながら、彼女は、喧噪にあふれた休日の道を軽やかに歩いていく。
* * *
対戦を遠くから見守っていた店員ふたりは、こんな会話をはじめた。
「あの人、やっぱり強いなあ」
「いったい何者なんですか?」
「ん? ああ、新入りは知らないのか。初期から『グローリア』をやってる人で、大学の先生だよ。哲学をやってるって言ってた。ウカっていう名前で大会にでてるから、SNSで検索してみな。えぐいデッキレシピがでてくるから」
嵐が過ぎ去ったあとのように閑寂とした『こおり観ず』に、春の息吹がふき抜けた気がした。
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