楓と紅葉

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楓と紅葉

「おじいちゃん!その武将のお名前はなんて言うの?」 「紅葉と言うんだよ。 ——楓ちゃんとお揃いだね」 「えっ、わたしと?なんで?」 「紅葉は楓の別名。つまり元々は同じ植物を指す名前だからね」 「そうなんだ!わたしと紅葉はお揃いなんだ!」 ——趣味で戦国史を研究し、何冊か本も出していた私のおじいちゃん。 おじいちゃんは、『石田三成』という戦国武将には『紅葉』という部下がいて、 彼がいかに主君思いの立派な武将であるかを幼い私に語ってくれた。 その武将はおじいちゃんが史跡を巡り、文献を読み漁り、長年の研究の末に発見した人物で 世間では存在自体ほとんど知られていないらしい。 おじいちゃんは、『紅葉』という存在を世の中に広めたいという志半ばで病に倒れ、この世を去った。 私はおじいちゃんの遺した研究資料を読み漁りながら幼少期を過ごし、そして大人になった。 石田三成——主君・豊臣秀吉の死後、豊臣の天下を守るため徳川家康と対立し、そして敗れた戦国武将。 そんな彼には腹心の部下がいた。 どの古文書でも名前が見つかっていなかったけれど、三成を側で支え続けた人物——紅葉。 おじいちゃんが発見した古文書によると、 紅葉は三成のためならば命を投げ出すことを惜しまなかった人で、 主君の命の危機を何度も救ったヒーローなのだそうだ。 ある時は暗殺者の襲撃から身を挺して守り、 またある時は三成に盛られた毒に気付き、それが毒であると証明するため飲み干して見せるなんてこともしたらしい。 己が傷つくことを恐れず、三成のために骨身を惜しまず尽くしたという。 忠義の人であること、私とお揃いの名前を持つこと。 そして何よりも、大好きなおじいちゃんが熱心に研究していた対象であること—— 紅葉は私にとって、一番にして唯一の『推し』になった。 生まれも不明、死に際も不明の謎多き人物だけれど 私はそんな謎に包まれた人物のことを本気で慕っていた。 大好きなおじいちゃんが人生をかけて研究していた人物だったから。 だけど私がすっかり大人になった頃、ある事実を知ってしまう。 おばあちゃんが亡くなり、おじいちゃんとおばあちゃんが暮らしていた家を取り壊すことが決まった日—— 家の中のものを運び出す為、重い家具をどかした拍子に、家具の裏からおじいちゃんの遺した手記が見つかったのだ。 おじいちゃんが亡くなってから十数年もの間、誰も目にすることのなかった手記に綴られていたのは おじいちゃんが亡くなる少し前に突き止めたという、紅葉の最期に纏わる情報。 『関ヶ原の戦いに敗れ、逃走した石田三成だったが、潜伏先で徳川方の兵に捕えられ、そして斬首となった。 ——というのが通説だが、実はこのとき捕まったのは三成ではなく、彼の用意した替え玉だった。 そして三成の代わりに斬首となった人物こそが、 彼の忠臣である紅葉だったのだ——』 私は手記を読んで絶句した。 私の長年の『推し』は壮絶な最期を遂げていた。 大きなショックを受けると同時に、「彼らしい最期だな」とも感じた。 主君の盾となり、主君を守り続けた末に 主君の身代わりとなって果てた—— 紅葉の人生は一貫して石田三成のためにあった。 そんな彼の生き様に痺れさえ感じる。 その潔さを、より推したくなる—— でも。 やっぱり、辛い。 戦国の世に生まれ、戦で討ち死にする武士や農民が多くいた時代においては 安らかで幸福な最期を迎えた人の方が稀有だろう。 だけど大勢の敵や見物人の前で首を刎ねられるという、屈辱に満ちた最期を迎えるのは—— それも主君の身代わりとなって、自分の命を犠牲にしてしまうなんて—— こんな惨い終わり方はやるせなくなる。 もうとっくに生きていない人達の時代のことを考えたって仕方がないのに、 おじいちゃんの手記を読んでからというもの 私は推しの末路を受け止めきれず、割り切れない日々を過ごした。 ——だから、初めは信じられなかった。 まさか私が、推しの生きる世界——戦国の時代にタイムスリップしてしまうなんて。
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