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女は自分に着いて来るよう言った。
楓は、測量の仕事を途中で放棄してしまうことを忍びなく思ったが
「アンタの欠員分はすぐに埋まるよ」
と女は言い、作業道具もそのまま置いていくよう告げた。
「——あの、先程は助けて頂きありがとうございました」
少し歩いてきたところで、楓が礼を告げた。
「私は楓と申します」
「そう」
「——お名前を伺っても?」
「……初芽」
女——初芽は素っ気なく答えた。
「初芽さん。ご紹介頂けるお仕事って、どんなことをするんですか?」
「着いてくればわかるよ」
目的地に着くまで明かしてくれないのだろうか。
ということはやっぱり、怪しい仕事……?
思わず身構えると、初芽は楓をちらりと見て言った。
「警戒しなくたっていい。私と同じ仕事だから」
「同じ仕事……?」
「侍女だよ。殿の屋敷で、奥方様の身の回りの世話を焼く仕事」
「侍女……」
初芽は「測量よりは力も要らないし楽だと思うよ」と言い、
それから「男と関わることがないから、さっきみたいな目に遭う心配もない」とも続けた。
祖父の影響で、戦国時代についてある程度知識のある楓は
侍女と聞いて、少しほっとする思いがした。
もし遊女小屋に売られれば、測量とは異なる肉体的、精神的苦痛に苛まれたことだろう。
身分の高い人物のもとで働く侍女は、身の回りの世話をすることから
主君と同じ屋敷に住み込む場合が多く、まず寝食に困らない。
そして主君の妻の側で仕えるため、初芽の言うように下劣な男が近づいてくる隙もあまりできないことだろう。
何の頼りもない時代、生き延びるために手段を選べる余裕もない中で
このまま何ヶ月、何年と検地を続けていたかもしれないことを考えると
初芽に出会えたのは幸運なことだと改めて思えた。
「助けてくださった上に仕事まで……本当にありがとうございます。
——あ。ちなみに『殿』と言うのは……?」
「そりゃもちろん、この一帯を治めている殿様に決まってる」
「ええと、この辺りを治めているお殿様がどなたかを存じていなくて」
「え」
初芽は呆れたように楓を見た。
整った容貌が、眉間に寄せた皺根で僅かに崩れている。
「アンタ……自分の住んでるとこの領主も知らないのか」
「っ、すみません。
その、凄く遠い所から来ているといいますか——」
タイムスリップしたようです、とも言えないし。
言って信じてもらえるとは思えないし、頭のおかしい人だと思われたら
せっかくの仕事の紹介も反故にされてしまうかもしれない。
楓は、今は初芽に不信感を与えたくないという思いから、自分が未来から来た人間であることは伏せておくことにした。
「……そう、仕事!
割りの良い仕事を求めて旅をしているんです!
それで検地の人手を欲していたこの土地で暫く日銭を稼ぐことにしたんです……」
「ああ、そう。
ならば住み込みで働ける侍女はアンタにとっておあつらえ向きだね」
「そうなんです、ありがたいことに」
「なるほどね。
——ああ、さっきの問いに答えていなかった。
この辺りを治めてる殿様は石田様と言うんだ」
「石田様、って——」
もしかして!
「石田三成!!……様……ですか?」
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