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店が繁盛している最中での、出来事だった。厨房でラーメンを作っていたぼくの耳に、店内から男の低い怒声が届いた。強盗だとすぐにわかった。だって、「金を出せ!」と怒鳴っているからだ。
ぼくは急いで厨房から店内に出た。ソフィアが人質にとられていた。うしろから首に右腕を巻きつけられていて、左手のナイフを首元に突きつけられている。男が慌ただしく立ち上がる際にそうなったのか、割れたどんぶりが落ちていて、ソフィアのエプロンにはスープの赤色が散っていた。
「殺したいなら殺しなさいよ! 私はなにも怖くないんだから!!」
ソフィアが叫んだ。こういう場合、犯人を刺激するべきではないのに、そのへん、彼女にはわからないのだろう。――否。わかっているのだろう。自らを崩したくないのだ。自らの強さを貫き通したいのだ。
「もう一度、言ってやるわ! いいわよ、殺しなさいよ! でも、殺したら、あなたは"伝説の勇者"に殺されることになるんですからね!!」
お願いだから、ほんとうに刺激するようなことを言わないで。ぼくがそう言うと、ソフィアは涙をぽろぽろとこぼし始めた。限界が訪れたみたいだ。大きな声を上げて泣きだした。
「嫌よ、嫌よ! こら! ぼーっとしてないで私を助けなさい、ジョン! 私が死んだらあなたは困るはずよ!!」
たしかに困る。自分の店で殺人なんて、起きてほしくない。それだけの理由でもないのだけれど、とにかく、そして、だったら――。
ぼくは風よりも早く動いて、ナイフを持った手を目がけて飛びかかった。あっという間に男をうつ伏せに組み伏せ、左手をうしろに捻り上げた。おばちゃんがすかさず駆けて店を出ていった。警察官を呼びにいったのだろう。店内はしんと静まり返り、男の「いててててっ!」という醜い悲鳴だけが響きわたる。
そんななかにあって――。
「あなたなんかに命を奪われそうになっただなんて、私の恥よ! 謝罪しなさい! 謝りなさいよ!!」
「ソフィア、そういうことじゃないよ」
「で、でも、ジョン!」
「そういうことじゃないんだ。こういうことをするのは、なんらかのわけがあってのことなんだ。ひっ迫した理由があるんだよ」
――やがて、やってきた二人の警察官に、犯人の男は連行され。
「なによ、なによ。私を危ない目に遭わせたのよ? だったらもっと派手に連れていってくれてもいいじゃない」
「派手に連れていくの定義はわからないけれど。ソフィアが無事であればそれでいいし、ソフィアが無事であるように、これからもぼくは尽くすから」
ソフィアの顔が見る見るうちに真っ赤になる。スープが飛び散ったエプロンをいら立たしげに取り払って――。
「ソフィア。今日はもう店を閉めようと思うんだ」
「そんなのダメに決まってるじゃない。ディナーの時間じゃない。稼ぎどきじゃない」
「わかった。じゃあ続けよう。店を開け続けよう」
ソフィアが来てからというもの、ぼくは自信を取り戻して、すっかり前向きに生きられるようになったなあと、心のなかで、彼女に感謝したのだった。
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