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19、訪問者はザッハトルテと共に
クロエはスマホを凝視した。
「まずい事になった…」
シュバルツはその呟きを聞き逃さなかった。
「は?なんだよ」
「ネットでリルがバズってる」
「はぁ?」
「…誰か知らんが一昨日の、撮ってたらしいな」
「…マジか…」
「あの公園とはどうにも反りが合わないな」
クロエは呆れるように笑って言った。
シュバルツは渋面でクロエに言う。
「またお預けさせなきゃならんのか…」
そして二人はリルの方を見た。
リルは今日はソファに座って黒猫のぬいぐるみを抱いている。
そして機嫌良く小さく唄っている。
呼び鈴が鳴る。
モニターの通話ボタンを押して、短く言った。
「はい」
「こんにちは。クロエ。大食です」
モニターには黒目がちの瞳で、腰にかかる長さの白藤色の後ろ髪を背中の真ん中辺りでまとめてある、立ち居振る舞いの美しい男が映し出されている。
「今日は魔王様のお使いでやって来ました」
「…なんだってあんたらはそう、続々とやって来るんだよ」
大食は紙箱を掲げる。
「まぁまぁ、そう言わずに。お土産買って来たんで、ご一緒に如何です?」
クロエは溜息をついて解錠してやった。
「上がってこい」
部屋まで上がって来た大食はやはり礼儀正しく玄関先で靴を揃えて入ってくる。
「先日はうちの魔王様と好色がお世話になりました。これ、駅前にある『パティスリーアジャンタ』のザッハトルテです。ここのザッハトルテ、絶品なんですよ」
ホールのザッハトルテをクロエに差し出す。
「…食って帰る気満々だな」
クロエはザッハトルテを受け取りながら呆れた。
「どうせ二人に会いに来たんだろ」
クロエはそう言ってキッチンにザッハトルテを持っていく。
お茶の準備を始めた。
「初めまして、シュバルツさん、リルさん。私、大食と申します。
皆にはゼブと呼ばれていますよ。よろしくお願いしますね」
リルはシュバルツの後ろに隠れて、ゼブを覗き見る。
「…はじめまして…リルです…」
小さな声で挨拶をした。
「リルさんは観光用のポスターで拝見しておりましたけど、実物はもっと可愛らしいですね」
リルは赤くなって完全にシュバルツの後ろに隠れてしまった。
「…会いに来ただけって事はないんでしょ…?」
シュバルツはゼブに訊ねる。
「今日の用件は、観光用のポスターの最終チェックのお願いですよ」
3人はソファに座り、ゼブは背負ったビジネスリュックから幾枚かのポスターを取り出した。
「もっと大きなサイズの物も刷ります。1/1スケールのパネルも作ろうという事になっていて。
なんせ、スタッフからも評判良くって、我々としても大いに期待してるんですよ」
「…そうなんすか…」
リルは何故か魔界のマスコットガールになりそうだ。
殺伐とした魔界の雰囲気を変えたい首脳陣はイメージ戦略に余念がない。
「…リルが嫌がったらやめるからな?」
クロエはケーキと紅茶をトレイに乗せて運びながら言った。
ゼブの分は無い。
「大食はちょっと待て」
自分達の分を並べるとクロエはキッチンに戻り、残りのホールと紅茶をゼブの前に置く。
「お前はこれでいいんだろ?」
「さすがクロエ。よくわかってらっしゃいます」
ゼブはご満悦と言った様子でフォークを手にする。
フォークで華麗にホールのザッハトルテを掬い、優雅に食し紅茶を頂く。
所作の美しい男だ。
「いやぁ…ホント美味しいです、ここのザッハトルテ…」
恍惚とした表情でゼブはザッハトルテを次々と口に運ぶ。
クロエはリルに掬ってやってやっぱり、アーンと食べさせてやる。
「…んぐ…あまくておいしいよ」
リルはにっこりとクロエを見る。
「そう?よかった。じゃあ俺も食べよう」
「…なんでそんなに魔界のイメージ変えたいんですか?」
シュバルツはザッハトルテを掬いながらゼブに訊ねる。
「敗戦賠償がね、なかなかの額なんですよ、ホント。観光誘致でもしなきゃとてもじゃないけど賄えないんです。
あと400年は魔界は殆ど天界の言いなりに近い。
賠償をさっさと終えたらまた話も変わってくるでしょ?
天使さん達にたくさん観光に来てもらってたくさん外貨落として貰わないと。
人間の魂で賠償するのは如何ですかって交渉したんですけど、全然取り合ってもらえなくて」
「そりゃそうだろ…」
シュバルツは呆れて呟いた。
ゼブはザッハトルテを口に運ぶ。
紅茶を優雅に啜ると音も鳴らさずカップをソーサーに置いた。
「天界、魔界の他に、霊界、人間界、冥界、幻界とありますけど、霊界の方々には肉体無いですし、人間界の方々は魔界の瘴気には耐えられないでしょうし、冥界、幻界は人口自体がとても少ないですからね…。外貨落としてくれるのは天界しかないんですよね」
ゼブは溜息をつく。
「…そういう訳で、リルさんの様な可愛らしい悪魔もいるんだぞってアピールしなきゃいけないんです。その内、ケルベロスの子供と、ケットシーの子供も一緒に撮影して頂きたいんですよね」
「…そんなもん、どうやって見つけるんだよ」
クロエは紅茶を啜りながら言った。
「確保出来次第、早急に撮影したいんですよ。こちら都合になってしまうんですけど、その時はお願い出来ますかね?」
「…別に構わない」
クロエはリルが断らないだろうと察して代わりに答える。
「助かります。しかも無償で受けて下さっているのも助かります。感謝しかありません。
ヴァルミカルドでの住居はこちらで確保しますんで、お帰りの際はいつでも使って下さい」
クロエはリルにザッハトルテを食べさせる。
リルは美味しそうにザッハトルテを頬張った。
シュバルツが独りごちる様に呟く。
「…なんだってそんな戦争したんだよ」
「…先代魔王はそうするしかなかったんですよ。天界との全面戦争を望む過激派が急激に力を増してしまって。ユド様ホントにお強かったですからね。過激派の期待は凄く大きかった。…ヴァルミカルドの住民達まで先導されてしまってはどうにも出来なかった。…あの時は全てが熱病に侵されたかの様でした」
こうして話しながらでも、ゼブのフォークは優雅な動きを止めない。
隙を見計らっては口に華麗にザッハトルテを運ぶ。
「戦争は負ける事を憤怒、現在の魔王様によって予言されてたんですけど、それでも止まらない」
「予言されてたのに突っ込むなんて馬鹿かよ」
クロエは興味無さげに感想を言う。
ゼブはにっこり笑う。
「予言どころか、殆ど確定した未来だったんですけどね」
「…確定?」
クロエは訝しげに聞く。
「あれ?クロエに話してなかったでしたっけ?先代傲慢は現魔王様の前世なんですよ」
「…つまり、同じ魂が同じ時代に転生してたレアケースって事か?」
「御明察です。霊王によると魂は時間に縛られないとの事ですから」
「しかも片方が前世の記憶を持って生まれて来たのか…」
「ですから、我々も色々と足掻いたんですよ。ユド様とルシフェルを喪うとわかっていたんですから。それでも流れを止める事は出来なかった。大きな運命の流れには逆らえないのかもしれませんね」
ゼブはザッハトルテを3分の2平らげて、紅茶を飲む。
「それでも、魔界は大敗を機に団結したんです。怪我の功名ってやつですね。魔界は、よかった…」
「…?魔界は?」
「クロエ。天使さん達、賭博場に出て来たんでしょ?」
「ああ。連続5人と戦った。一番強い奴は主天使だって言ってたな」
「…そうですか…思っていたよりもずっとタガが外れていますね…」
クロエはリルの口にザッハトルテを運ぶ。
リルはザッハトルテを口に含む。
シュバルツはゼブに問う。
「なんかあるんすか?」
「…先の戦争で、天界の女王は深傷を負われた。それ以来ご乱心なんですよ。…ユド様と直接闘って、屠ったのは天界の女王、ガブリナ様です」
ゼブはクロエとシュバルツの方を向く。
「クロエ。シュバルツさんも。もし万が一天使さん達が賭場以外で襲ってくる様な事があったら、魔界に帰る様に。
面倒だけは起こしてはいけませんよ?
…今の天界に、話が通じるとは思えない…」
ゼブの真剣な顔つきにクロエとシュバルツは沈黙で応えた。
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