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弐
——— 拍子木が鳴り響く丑三つ時。
花街の灯はすっかり落ち、煌びやかな夜の街は息をひそめる。
兵蔵を連れて目的地に到着すると、案の定目を丸くした。
「いや、紀助さん……ここって藤乃屋じゃないですか」
「そうだな。お前が通ってる藤乃屋だ。置屋は店の裏にある」
「まさか、沙代ちゃんも連れ去られてたってことですか?」
「沙代? あぁ、確かにそんな名前の女も名簿にいたな。この店は他よりも安く遊女が買えるってんで、お前のような金のない田舎者がよく来ている。そこそこ繁盛しているようだが、楼主の正体はヤクザもんだ。部下を使って女を攫うことで、身請け金の支払いをしなくて済むから丸々ぼろ儲けってことよ。それに、ここは幕府の許可が下りてない岡場所だ。しょっ引かれるのも時間の問題だがな。しかし、お前は命があってよかったな」
「ど、どういうことですか?」
「客の中には行方不明者も複数人いてな。遊女に無体を働いたヤツや、態度が気に食わない連中は、もれなく犬のエサになるんだよ」
「ヒッ……」
わなわなと震える兵蔵の肩を抱き、今宵の作戦を伝える。
「——— いいな? もちろん失敗は許されない。というか、見つかって捕まっちまえば、あの世行きだ」
「あの……やっぱ俺、無理っす。死にたくないですもん……」
「ここまで来てなに言ってんだ。沙代って女、助けるんだろ? 成功報酬は10両って話だったが、15両にしてやってもいい」
「ぐっ……わ、わかりましたよ」
「そんじゃ、作戦決行だ」
兵蔵は店の裏にある置屋へ、俺は店にいる女達を救う算段だ。この時間になると、裏口にいる見張りは1人しかいない。俺は背後から野郎に近づき、手刀で気絶させる。中へ入ると薄暗く、蝋の灯りを頼りに各部屋のある2階へと上がった。部屋から灯りは漏れていなくとも、どこもかしこも人の気配がする。
まずはこの部屋か。
襖の引手に手をかけ、勢いよく御開帳。
——— スパーンッ
「邪魔するぜ。」
「……は? なんだよ、てめえは。取り込み中なんだが」
「そのようだな。ところで、そこの女。あんた名前は?」
「え……まつ、ですけど」
「まつ、ね。えーっと、名簿には……あったあった。酒屋の娘のまつか。外から梯子をかけてあるから、そこから逃げな」
「え、でも……逃げたら殺されます」
「大丈夫、心配するな。ここの楼主はあとでボコボコにすっからよ」
「あ、ありがとうございます……!」
彼女はいそいそと着物を着用し、雨戸を開けて梯子づたいにゆっくりと降り始める。そんな様子に客の男は逆上し、俺に掴みかかってきた。
「おい、てめえ! なにふざけてやがる。こっちは金払って買ったんだぞ!?」
「ばっちい手で俺に触れるんじゃねぇ。ここがどんな店かも知らねえのか? 幕府の許可のない岡場所で女を買うってことは、客も同罪なんだぜ。あんたも奉行所の世話になりたくなけりゃ、とっとと失せな」
「……」
男は着物から手を離すと、苦虫を嚙み潰したかのような顔で睨みながら、そのまま部屋を出て行った。
その後も部屋を1つずつ開けて周り、2階にいる女達をすべて外へ逃がす。客の男共も、俺の脅し文句に恐れをなして一目散に逃げて行った。
「これで店にいる女は全員救出っと。あとはアイツが……」
次の瞬間。
背後から人の気配を感じ、振り向くと同時に頬に衝撃が走る。勢いのまま壁際へ飛ばされると、目の前には屈強なごろつき共が3人と、楼主の男が仁王立ちでこちらを見下ろしていた。
「おめえ、なにもんだ? 勝手に女を逃がすなんざ、どうなるかわかってんだろうな。てめえら、このふざけたクソ野郎を生かして返すんじゃねぇぞ」
「うっす!」
「……ふざけてんのはお前だろうが。人してまともに生きられない哀れなクズ野郎。お前みたいなのはもれなく地獄行きだ。」
「なんだと?」
「親分になめた口ききやがって…!」
襲い掛かってくる大男の腹を目がけて一撃を食らわせると、あっさりと倒れ込んだ。次の男には頸椎を狙って回し蹴り、その次の男には顎を目がけて拳を突き上げると、よろけながらその場に倒れ込んむ。ぴくりとも動かくなったごろつき共に、楼主は慌てふためき顔面蒼白。
「お、おい……起きろ、てめえら! こんな野郎にやられてんじゃねぇ!」
「なら、お前が相手になれ。喧嘩のひとつもできないヤクザなんて、聞いたことねぇよ。ほら、かかってこい」
「この野郎、ぬかしやがって……!」
楼主が袖の袂から出してきたのは小刀。力で敵わないと知ると、武器を使って威嚇する。ヤクザもんの常套手段だが俺には通用しない。
「おらぁっ……!」
鞘を投げた楼主は、小刀を両手で握りしめて突進してくる。あまりにも行動が端的で、次の一手は容易は想像できるだろうに、頭に血がのぼっている楼主は考える余裕もないらしい。
——— バシンッ
寸前で避けた俺は、小刀を握る手を勢いよく叩き落とした。
「もう観念しな。お前じゃ俺に勝てねぇよ」
「ぐっ……」
震える手を抑えながら、楼主はその場にうずくまった。ヤツを縄で縛り上げたのち、1階に降りて金庫らしき箱と帳簿を拝借。
「無造作にこんなもん置いとくなんて、なんともお粗末なこった」
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