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お前の話を聞く時間はない
倉橋社長が腕を組んだまま、健の顔をチラッと見る。すぐに笑いを浮かべた。氷のような笑いとはこんな笑いをいうのだろう。及川副社長に笑いながら話しかける。
「よくいるんだ、こういう若者がな。ファンか何か知らんが、努力すれば必ず夢はかなうと考える幼稚な思考の人間。まっ、世の中の仕組みについて、学校はもっと教えないといかんな」
そう言ってから健の顔をのぞきこむ。
「君って学校で友だちいないだろう。友だちがいる。それすなわち健全な社会生活を送るということだ。健全な社会生活を送っていたら、こんなラノベを、こんなお粗末なチラシを使って平積みにしてくれなど呆れたことは言えんだろうな」
及川副社長も最初から最後まで、バカにしたような表情で健を見る。
「分かる? 僕たちはね、仕事をしているの。幼稚な遊びにつきあう時間はないの。ごめんね」
ふたりは横を向き、健を完全に無視する態度を取ってきた。
「どうか、チラシを読んでください! お願いです」
「食事の時間はあっても、君のチラシを見る時間はない」
「その通り。僕たちは忙しいと言ってるじゃない。さっき言ったことぐらい覚えておいてくれない? 頼むから」
ふたりは奥の部屋に戻ろうとする。
「お願いです。もう少しだけ時間をください!」
倉橋社長が振り返る。今度はゾッとするような厳しい表情だった。
「ストレートに言った方がいいのか? 出ていけとな」
健はその場に立ち尽くした。目に涙が浮かんでくるのが自分でも分かる。
「高木先生の本って面白いんです。それだけじゃありません。僕を前向きにしてくれたんです。たくさんの人が僕のように前向きになれば、きっと今より希望に満ちた明るい社会になると思います。だから平積みにしてください」
「それはよかったな。本当によかった。感動したよ」
「今のって君の主張? それともたわごと? 採点は三十五点。君、勉強出来る? 定期テストの校内順位は?」
「さあ、最後通告した方がいいのかな?」
倉橋は健に向かってささやく。小さな声だが、健の心臓を冷たく凍らせた。
「消えるんだ。ここは東京を代表する大手書店『TOKYO BOOK CITY』だ。こんなくだらんラノベを平積みだと? 笑わせるな」
健のチラシを丸めて床に放り投げる。
「ちゃんと拾って持って帰るんだ」
最後の手段。ケースからフルートを取り出して組み立てる。
「おい、何やってるんだ。ここは学校の音楽室じゃないんだ」
健はフルートを手にして、力の限り訴える。
「高木先生の新作の主題歌を演奏します。どうか聴いてください」
「いい加減にしないか?」
倉橋社長の怒号。及川副社長がフルートを取り上げる。
「おい、お前。悪質な営業妨害で警察に通報してやろうか?」
「君の学校にも連絡しようかな。君、きっと停学だよ。停学、停学、停学」
健の涙が床に流れ落ちる。もう何も見えない。けれども最後の力を振りしぼれば、叫ぶことぐらいは出来るんだ。
「警察に通報してください。学校に連絡してください。だけどその前に、どうか主題歌を聴いてください」
健の声は震えていた。
「主題歌を聴いてください」
と叫びながら、その場に泣き崩れていた。大きく肩が震えている。
「くだらん。警察に通報決定だな」
「この安物のフルート返しておくよ。僕、値段の高いフルートくらい分かるからね。こんなフルートで演奏してもらっても、僕、ちっとも楽しくないからね。じゃあね」
そう言い残し、健に背を向けようとする倉橋社長と及川副社長。その動きがピタリと止まった。
「おい、誰がパネルを移動させたんだ?」
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