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「まるで遠足ですね」
北海道さんの左手にはバナナとチョコレート、右手には俺が朝作ったおにぎりが握られている。昨日剃った髭がまだ伸びていない北海道さんは、今日も年齢不相応の若々しい肌をさらけ出していた。
新幹線を博多で降り、電車とバスに乗って長崎の港まで向かう。そのあとは船に乗って小さな島へ向かうらしい。日帰りだからなかなか忙しない。
北海道さんがおにぎりを頬張りながら言った。
「さっさと行ってさっさと帰るから」
「はい」
早朝の福岡へ向かう新幹線の中は空いていた。まばらにサラリーマンが座っているくらいだ。
「北海道さん、朝からどれだけ食べるつもりですか」
おにぎりを食べ切った北海道さんは、チョコレートに手を出そうとしていた。
「大きくなって依頼者を銃弾から守りたいんだ」
笑顔で冗談を言ったつもりだろうが、冗談に聞こえなかった。
「そんな依頼は来ませんよ」
映画やドラマに出てくる事件を解決する探偵なんて現実ではありえない。現実の探偵は浮気調査ばかりだ。それを分かっていて嫌がる北海道さんは、結局いつまでたっても本当の探偵にはなれないんだ。
それにそもそも大きくなろうにも、北海道さんの体は睡眠で大量にカロリー消費をしているとしか思えないくらい太れない羨ましい体質なのに。
昼前に博多駅で降りると、電車に乗り換え、長崎へ向かった。ここでも乗客は少なく、窓の全面に海が見えた。
普段見られない景色を一緒に見たいのに、お腹がいっぱいの北海道さんは電車に乗るなりすぐに眠ってしまった。駅に着くと北海道さんを起こして電車を降り、駅前の花屋で花束を買った。
目的地へ向かうバス停のベンチに座りバスを待ったが、昼を過ぎたところでもバスを待つ人は少なく、あとから来た老女が北海道さんの隣に座ったくらいだった。
「どちらに行かれるの?」
帽子をかぶり化粧をした老女は、目をつぶってベンチに首を預ける北海道さんを飛び越えて俺に聞いた。
「墓参りです」
「あら、若いのに。偉いわねぇ」
まさか赤の他人の墓参りをするとは思ってないだろう。
「私は昨日行ったところ」
老女はふふふと、まるで墓参りが死と直結していないみたいに朗らかに笑った。
病院へ行くバスが来ると、老女は一人立ち上がり、こちらに小さく会釈をしてからバスに乗って行ってしまった。
「北海道さんは死んだら墓参りしてほしいですか?」
「死んだあとなんてどうでもいいよ」
北海道さんはまだ目をつぶったまま答えた。
「…………」
この人は意図的に未来を見ないようにしているんだろうか。だから俺が代わりに心配し続けているのか。
きっとこの人に一番変わって欲しいと思っているのは俺で、一番変わって欲しくないと思っているのも俺なんだ。抜け出せない泥沼に足を突っ込んでしまっているが、抜け出す気は毛頭なかった。
船着き場に向かうバスに乗り、到着すると船が来るまでの時間を小さな喫茶店で食事をして潰した。
予約した時間にやって来たのはモーターエンジンが付いただけの小さな船だった。
「小さい船で悪いね。今の時期は予約してくれたお客さんしか乗せないからこれなんだ」
船に乗っていたのは日に焼けた顔に深い笑い皺を刻み、白い歯で太陽に対抗しているみたいに笑う男だった。
男が運転する船で島には二十分ほどで着いた。
男に聞かれ墓参りに行くと言うと、男が墓まで案内してくれることになった。男に付いて行き、漁船が泊まる港を抜けて島へ入った。暖く深い緑が茂る道を歩いて行くと、石畳とそれを挟むように民宿や家屋が現れた。
島の中で感じるのは、海の湿気を含んだ重い空気だった。それが島全体を包むように風がゆるく吹いている。
家の前で小さな子供たちが遊んでいるのを通り過ぎ、男が指差した階段を上りきると、墓地は小さな港を見下ろせる場所にあった。
墓地の隅に置いてあったバケツに水を汲み、柄杓で墓に水をかけて汚れを流し、花を生け、線香に火を付けて、手を合わせた。
「縁も縁も会ったこともないですけど」
しかも宗教心もないからすべてがただの無感情で行う儀式にすぎない。こんな無意味なことにお金を払ってまで人にやらせる人間の気持ちが分からなかった。
北海道さんなんて、自分の仕事なのにさっきから俺の後ろで突っ立ってるだけだ。そしてその後ろに船乗りで道案内人の男が立っていた。
「さ、行きましょっか」
立ち上がって柄杓とバケツを元あった場所に戻した。
港へ戻ると、さっきと同じボートに乗り、男が船のエンジンをかけ、海へ出た。
あとは帰るだけ。本当にただの遠足みたいな小旅行だ。
島を遠ざかり、船から尻尾のように流れる水流を見ていると、ふとこの島に来てからやけに静かな北海道さんのことが気になった。
「……北海道さん?」
振り返ると、北海道さんが船の反対側で海に向かって吐いていた。
「おえ」
「北海道さんっ⁉ 大丈夫ですかっ⁉」
「おい」
「え?」
北海道さんの背中を撫でながら、呼ばれた方を振り向くと、日に焼けた男が銃口をこちらに向けていた。
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