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「おえっ」
北海道さんが海に吐き続けている。
男の手にある拳銃は、銃口がまっすぐ俺を見据えている。恐る恐る両手を上げながら男に尋ねた。
「な、な、な、……な、なに?」
なんで?
「どうしてあいつは戻ってこないんだ?」
「……あ、あいつ?」
「あいつは東京で何をやってるんだ?」
島を離れ、海に浮かぶエンジンを切られた小さな船は、俺と北海道さんとこの男だけの世界を作り上げてしまっている。見回しても海のど真ん中で、助けてくれる人が全く見当たらない。
これも幻覚か?
でも目の前の銃口はどう見てもリアルにしか見えなかった。
……まさか、ここで死ぬのか? こんなに突然? 死って本当にこんなに突然やって来るのか?
「あいつは何をやっているんだ? なんであいつが来ない?」
「…………」
こんな、知らない場所で死ぬとは思わなかった。まさか死に場所が海だったなんて。撃たれて海に落とされて、それで終わりか?
「……依頼人からの伝言がある」
銃口が北海道さんの方に動いた。北海道さんは体は海の方を向きつつも、青白い顔を男に向けていた。
なんて恐ろしい状況だ。北海道さんに銃口が向けられている。北海道さんが殺されてしまう。
北海道さんが、死ぬなんて。
いやだ、そんなの。
「あんたとはもう会いたくないって」
「…………」
北海道さんは体を動かし、まるで打ちひしがれている人のように頭を抱えて座り込んだ。
「あんたがいる間はここには戻らないって」
「…………」
「そう伝えてくれって」
死んだと思った。
北海道さんが撃たれて死んだ。
世界は終わった。次は俺だ。まさかこの国で銃に撃たれて死ぬなんて。北海道さんが死んでしまうなんて。突然こんなことになるなんて信じられない。
「…………」
覚悟して目をつぶった。
しかし、銃声は鳴らなかった。
目を開けると、男が北海道さんを見つめていた。そして男は、無言のまま銃を海に落とすと、船のエンジンをかけた。
「なんだったんですかっ! さっきのはっ!」
「……知らないよっ!」
船が港に着くと、すぐに飛び降り、北海道さんを引っ張りながら男から見えなくなるまで逃げた。しかし男は追い掛けてくる様子もなく、船の向きを変え、何事もなかったかのように島へ戻っていった。
「け、警察にっ!」
「銃は海に落としちゃったから証拠がないよっ!」
「なんであんなことを言うんですかっ! 絶対殺されると思いましたよっ!」
「依頼人から何か聞いてくる奴がいたら伝えてくれって言われていたんだよ! まさか銃を突きつけられるなんて、……僕も思ってなかったよ」
北海道さんはそう言いながらバス停の手前でへたり込んでしまった。まるで体に力が入っていないみたいだ。
「そんなに乗り物苦手でしたっけ?」
「……船は一番だめ。忘れてた」
北海道さんはそう言って、地面に寝転がろうとした。
耳まで真っ白になってしまっている北海道さんをバス停のベンチまで引きずって座らせたが、そのまま寝転がってしまった。
予定のバスが来ても北海道さんはそのまま動かず、乗り過ごした。隣で体をつついても反応がない。
「北海道さん、次のは乗りましょうね?」
「……ムリ」
「帰れなくなりますよ?」
「いやだ。もう何も乗りたくない」
「…………」
絶対に動く気はない様子だ。日が落ちかけている。このままだと福岡へは行けても東京へは帰れなくなる。
「わかりました。ちょっと待っててください」
さすがにいつまでもこんなところで無防備に寝かせておくわけにはいかない。
返事のない北海道さんをひとまず置いて、泊まれる場所を探す事にした。明らかに東京とは人も建物も密度が違いすぎる。何もないのと変わらないくらいに、まず人が歩いていない。
ようやく見つけた人に声をかけて道を聞き、ぽつりと灯りが点いた宿屋を見つけた。素泊まりで一泊とり、バスのベンチに戻ると、北海道さんはさっきと同じ体勢で寝転がったままだった。
「北海道さん?」
「…………」
明らかに眠っていた北海道さんを起こし、体を支えながら、宿屋へ向かった。
部屋に入ると布団を敷き、北海道さんを寝かせた。
「今日はここに泊まって明日の朝帰りましょう」
「…………」
北海道さんはそのまままた眠ってしまったので、食事ができる場所を従業員に聞き、一人で宿屋を出た。
夜の道を点在する灯りを頼りに食堂を見つけ出し、中に入った。
そこには東京と変わらない日常が広がっていた。誰もいないテーブルと椅子にテレビが一つ点いている。「いらっしゃい」と出て来た店員に壁のメニューを見回し、「野菜定食大盛りで」と注文した。
ローカルな天気予報を見ていると、もやしとキャベツと肉を使った山盛りの野菜炒めとご飯が到着した。
体の中に食べ物を入れていると、ついさっき本気で感じた死の恐怖が嘘みたいに思えた。
もう北海道さんが生きてて良かったという感想しかない。
すると当たり前のようにまた北海道さんが欲しくなった。生きている限り俺にはあの人の存在がつきまとうんだ。睡眠を削ってでもあの人のことを考えていたくなる。これが俺の日常になってしまったんだ。
一気に食べ終え、食堂を出ると、宿屋の入り口の自販機でスポーツドリンクを買った。部屋に入り、布団で横になっている北海道さんの枕元にスポーツドリンクを置いて、浴室へ向かった。
とっくに乾いていた大量の冷や汗を洗い流すと、体は何事もなかったみたいに回復していた。
「北海道さん」
布団の上で大の字で寝ていた北海道さんが薄く目を開けた。
「飲んでください」
だいぶ顔色が良くなり、紙粘土みたいだったのが、少し人間に近づいている。
北海道さんが起き上がってペットボトルを受け取り、半分ほど飲んだ。北海道さんは中身の減ったペットボトルを俺に渡すと、また布団に寝転がった。
「このまま朝まで眠ってください」
生気の戻り始めた顔が俺を見上げる。髭の剃られた顎のラインを親指でなぞってみた。
「島根くん」
北海道さんに手を掴まれた。
「大丈夫です。次に起きたときは朝ですから。今日はしっかり眠ってください」
「…………」
早く額から鼻筋のラインを睫毛が触れるほど近くで見たい。長い睫毛に指先で触れたい。
シャツの裾から手を入れて、欲しかったぬくもりを手にしたい。この人の体は細いのにとても温かいんだ。
「俺が毎日無償であなたに弁当を届けていたのは何故だと思います?」
「…………」
毎日会いたかったからだ。
「そのまま目をつぶっててくださいね。起きたときには全部終わってますから」
「…………」
体から力が抜けていく北海道さんの頬に、そっとキスをした。
「おやすみなさい」
前髪をかき上げ、額にもキスをした。耳にも頬にも首にもキスをしていると、北海道さんから寝息が聞こえた。
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