28人が本棚に入れています
本棚に追加
河村一樹から仁科愛美へ 10
「付き合ってください。しばらくは遠距離になるけど、俺も東京の大学を受けるんで」
午前七時半。
愛美さんとホテルで一泊した後。
まだ人通りもまばらな、休日の街中で。
改めて、俺は愛美さんに告白した。
セックスをすれば満足。セックスをしたから、もう深い仲。そんなふうには思えなかったし、思いたくなかったし、思われたくなかった。
だから、再度告白した。
昨夜は緊張していたし、興奮していたし、頭に血が昇っていた。だから、冷静でいられなかった。高揚した気持ちに任せて彼女と寝た。
でも、口にした気持ちに、嘘偽りなどなかった。それを、愛美さんに分かって欲しかった。
しっかりと彼女の目を見つめて、伝えた言葉。
再度の告白を受けた愛美さんは、少し驚いたような顔をした。驚いて目を見開いて、少し寂しそうに目を細めて、どこか悔やむように目を逸らした。
正直なところ、今の愛美さんの様子を見るまでは、当たり前に付き合えると思っていた。これから遠距離恋愛が始まって、一年近くチャットでのやり取りが続いて、来年の春には東京で再会する。そんな付き合いが始まると思っていた。
でも、今の愛美さんの様子は、俺の希望を打ち砕いた。心が不安に満ちた。
この不安は、試合前に似ていた。負けるかも知れないという不安。勝ちたいという希望。不安も希望も、恐怖に似た感情になる。
その予感は的中していた。
「ごめんね、河村君」
愛美さんは「一樹君」とは呼んでくれなかった。まるで、この数時間の出来事が、全て夢だったみたいに。
「……どうして……?」
喉から声を絞り出した。人通りの少ない街の空気に、消えてしまいそうな声。それでも、愛美さんの耳には届いていたようだ。
「遠距離なんて、すぐに気持ちが離れるよ。絶対に一年も持たない。近くにいたって持たないんだから……」
静かで優しい声だった。
静かで優しい声だったけど、はっきりとした拒絶を感じた。
拒絶を感じたけれど、簡単に諦められなかった。俺は諦めが悪いんだ。
「そんなこと――」
「ごめんね」
俺の言葉を遮って、愛美さんは続けた。
「落ち込んでた河村君を放っておけなくて、挙げ句に、こんなことしちゃって」
本当に、ただ放っておけなかっただけだろうか。本当に、ただの慰めだったのか。
そうとは思えなかった。同情以外の別の感情を、俺は愛美さんから感じていた。たとえそれが、好いた惚れたという感情でなくても。
「河村君は、これから受験勉強なんだよね。それなら、遠距離恋愛なんて気が散ること、すべきじゃないよ」
愛美さんは話を続けた。まるで、俺に喋る隙を与えないように。
「それに、恋愛を理由に志望校を決めるのも駄目だよ。せっかく大学に行くんなら、自分のやりたいこととかやるべきことを見つけて、その役に立つ大学を選ばなきゃ」
いつの間にか俺は、愛美さんの話を黙って聞いていた。
もちろんそれは、彼女の言うことに納得したからではない。
こんなこと、好きな人には言いたくないけど――彼女の言葉は、どこか薄っぺらだった。まるで、付き合わないための理由を、それらしく並べているだけのような。
一部の言葉を除いて、だけど……。
最初のコメントを投稿しよう!