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仁科愛美から河村一樹へ 4
バイト先の事件から、二週間後。
結局彼は、大学を中退して地元に戻った。
私の家にあった彼の荷物は、彼と彼の両親が引き取りに来た。彼の両親は、私に土下座をしていた。彼が「別れたくない」と口走ると、父親は彼を殴り、母親は引っ叩いていた。
私が東京に出てきた理由は、こうして、完全に消え去った。もう、どうしてここにいるのかも分からない。大学なんて、地元にだってあるんだし。特にやりたい勉強があったわけでもないし。
魂が抜けたような状態で、しばらく生きていた。といっても、引き籠もったりはしない。大学にもバイトにも、ちゃんと行っていた。そこに、私がいる理由がなくても。
彼に裏切られても、私は泣けなかった。時間が経って現実を実感しても、涙が出なかった。ただ、虚しかった。心の中には、言葉では表現できない異物が溜まっていった。黒くて重い、不快感を煽る異物。
心の重みを発散するように、私は度々、ひとりでカラオケボックスに足を運んだ。音程やリズムなんて無視して、大声で歌った。この不快感を吐き出すように。
そんなある日の、バイトの帰り道。
またカラオケボックスに行こうとしていたとき。
軽薄そうな男に、ナンパされた。
男の顔には、はっきりと「セックスしたい」と書いてあった。
ああ。
男って、こんなものか。
男って、こんなもんなんだな。
セックスできれば誰でもいいんだ。どんなに大切な彼女がいても。見ず知らずの土地に、一緒に来た恋人がいても。その恋人を傷付けると知っていても。
それでも、セックスできればいいんだ。
私は、ナンパ男についていった。どこに行くのか聞いたら、ホテルに連れ込まれた。
私にとって、二人目の男。初対面の、名前も知らない男。
二人目の男とのセックスは、想像していたよりもあっさりしていた。初めてのセックスが大変だったから、二人目のときは「こんなもんか」なんて思った。
ナンパ男は優しくしてくれた。セックスが優しかった、というわけではない。ホテルに入るまで、ホテルに入った後、別れ際。一緒にいる間、ずっと優しくしてくれた。
ナンパ男の優しい態度から、里香さんの気持ちが、少しだけ分かる気がした。男は、セックスできる女には優しくするんだ。特別扱いしてくれるんだ。それなら、適当な男と適当にセックスするのもいいかも知れない。
自分に優しくする男を、見下せるようで。
自分に優しくする男を、くだらなく思えて。
恋愛なんて、馬鹿馬鹿しく思えて。
こんなふうに生きた方が楽しいとさえ思った。
そして私は、バイト先を変えた。今度は、宅配ピザのチェーン店で働いた。そこの、インストアスタッフ。
今度のバイト先の男女比は、半々くらいだった。
適度に店に馴染んできた頃、店内の、彼女がいる男を誘ってみた。
男は、簡単に誘いに応じた。恋人がいる彼は、嬉々として私とホテルに行った。
新しいバイト先で、私は、店長も含めた男全員と寝た。
最初に寝た男は、私との浮気が原因で彼女と別れた。どうでもよかったけど。
女性従業員には白い目で見られ、話しかけられなくなった。どうでもよかったけど。
男性従業員全員と寝たことを知られて、彼等から、陰で「公衆便所」だの「ヤリマン」だの「ビッチ」だのと言われた。そんなことを言いながら、それでも私と寝るんだけどね。
そんな生活を一年ほど続けて、私は、一時的に地元に戻った。
養護教員の実習が始まったのだ。
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