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仁科愛美から河村一樹へ 10
「付き合ってください。しばらくは遠距離になるけど、俺も東京の大学を受けるんで」
朝になって。
ホテルから出て。
人もまばらな、朝の街中。
改めて、私は一樹君に告白された。
私はもうすぐ、東京に戻る。離れ離れになる。
それでも一樹君は、私に告白してきた。遠距離恋愛になったら、セックスできないのに。それでも、好きという気持ちを伝えてくれた。
一樹君の告白が、私に思い知らせた。彼は元彼とは違う、と。私が寝てきた男達とも違う、と。
一樹君を可愛いと思う。彼の純粋さが大好きだ、とも思う。
でもこれは、恋愛感情じゃない。
一樹君を見つめた後、私は、彼から目を逸らした。胸が痛い。もし私に、後ろめたい気持ちがなかったなら。もし私に、彼のような純粋さが残っていたなら。私の心に、黒い気持ちがなかったなら。
きっと、自分の気持ちを、正直に伝えられたのだろう。
でも私は、正直にはなれない。一樹君に知られたくない自分がいるから。
「ごめんね、河村君」
だから私は、嘘をついた。
「……どうして……?」
一樹君の声は小さくて、悲しそうで、朝の空気に溶けてしまいそうだった。弱々しい彼の様子に、胸が痛くなった。でも、胸が痛くても、本当のことは言えない。言いたくない。
「遠距離なんて、すぐに気持ちが離れるよ。絶対に一年も持たない。近くにいたって持たないんだから……」
できるだけ優しく、諭すように言った。年上ぶった口調で。若い子の過ちを正すように。
「そんなこと――」
「ごめんね」
私は、一樹君に喋らせなかった。
「落ち込んでた河村君を放っておけなくて、挙げ句に、こんなことしちゃって」
私が一樹君と寝たのは、慰めるためじゃない。放っておけなかったからじゃない。薄汚い優越感を満たすためだ。男を見下していたかったからだ。元彼に裏切られて、何もない自分になった。そんな自分よりも、男を下に見たかった。
だから、色んな男と寝た。だから、一樹君とも寝た。
泣きそうだった。涙も嗚咽も堪えて、私は喋り続けた。
「それに、恋愛を理由に志望校を決めるのも駄目だよ。せっかく大学に行くんなら、自分のやりたいこととかやるべきことを見つけて、その役に立つ大学を選ばなきゃ」
自分でも分かっている。今、私が口にしている言葉は、何て薄っぺらなんだろう。自分を隠すために重ねたハリボテ。無様で惨めな、継ぎ接ぎだらけの嘘。
その日以降、一樹君は、何度も私に告白してきた。とはいえそれは、極力私に配慮していた。学校内で付きまとったりしない。チャットでのメッセージの数も、常識の範囲内だった。
実習期間が終わって、私は東京に帰った。
実習期間中は、一樹君のメッセージに返信していた。でも、東京に戻ってからは、それもしなくなった。かといって、ブロックするわけでもない。ただ、彼から送られてくるメッセージを、涙が出そうな気持ちで見ていた。
一樹君には、東京に来ないでほしい。私の側になんて、来ないで欲しい。
純粋な気持ちで、私に好きと言ってくれた一樹君。もし彼に恋人ができたなら、絶対に裏切ったりしないだろう。元彼とは違う。私と寝た男達とも違う。
そんな一樹君の中で、私は、綺麗な私でいたかった。元彼に裏切られて自暴自棄になった私じゃない。男を見下すために男と寝ていた私でもない。
一樹君を悔しさの底から救い出した、優しい年上の女でいたい。
だから、どうか。
私を、ただの思い出にして。
失恋の思い出にして、胸の奥にしまっておいて。
これから先、恋人ができて。
いつか結婚して。
幸せな家庭を築いたとしても。
ふとしたときに思い出せる、苦い、でも綺麗な失恋の思い出。
あなたにとって、そんな女でいさせて。
一樹君のメッセージが、今でも私のスマホに届く。返信することのないメッセージ。目に映る、一途な彼の気持ち。
『好きです』
私は、スマホをキュッと抱き締めた。
(終)
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