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河村一樹から仁科愛美へ 4
校舎の一階にある保健室には、常駐している養護教員――いわゆる保健室の先生――の他に、もう一人、若いお姉さんがいた。保健室の先生と同じように、白衣を着ている。
「先生達から連絡来たよ。トイレで殴られたんですって?」
「ええ、まあ」
保健室の先生に、俺は頷いた。
「とりあえず冷やしてから、病院に行きましょうね。仁科さん、氷、冷凍庫から取ってくれる?」
「はい」
若いお姉さんは、仁科さんというようだ。
仁科さんは氷嚢に氷を入れて、俺の顔に当ててくれた。冷たくて気持ちいい。
氷嚢を当てる仁科さんの顔が近い。可愛い人だな。好みのタイプかも。
「学年とクラスと名前、教えてくれる? 利用者の記録を取らないといけないから」
保健室の先生に聞かれて、俺は素直に答えた。
「三年四組のカワムラカズキです。『カワ』はさんずいの『河』、『ムラ』は市町村の『村』、『カズ』は数字の『一』で、『キ』は樹木の『樹』です」
「うん、ありがとう」
保健室の先生は俺に礼を言うと、どこかに電話をした。病院がどうとか言っている。きっと、殴られたから精密検査でもさせるのだろう。大げさな。腫れていると言っても、パンチの芯は外していた。脳にダメージが残るような殴られ方はしていない。
まあ、悔しいし、ムカつくし、あの不良達を半殺しにしたいのは確かだが。
「大丈夫?」
俺の顔に氷嚢を当てながら、仁科さんが聞いてきた。やっぱり可愛い人だ。養護教員の実習生だろうか。時期的に、そう考えるのが妥当だろう。ということは、大学四年か? あ、でも、養護教員の実習時期は、普通の教師の実習とは違うって聞いたことがあるような。
近くにある仁科さんの顔を見つめて、俺の胸が高鳴った。実習に来るくらいだから、二十歳は過ぎているだろう。大人の女性だ。しかも可愛い。
「大丈夫ですよ。俺、こう見えて、試合控えたボクサーなんで。素人に殴られても大したことないです」
笑って答えつつ、俺は、胸の中で仁科さんに謝った。すみません、仁科さん。たぶん、今夜のオナニーのネタにしちゃいます。すみません。謝りながら、視線を下に落とす。彼女の着ている白衣が、胸元で膨らんでいる。何カップだろう。Dくらいかな。
「ボクシングやってるの?」
俺の視線に気付かないのか、気付いていないフリをしているのか、仁科さんは質問を続けた。
「ええ、まあ。今週の木曜から試合なんですよ。インターハイ予選です」
「……殴り返そうとか思わなかったの?」
「はい?」
「トイレで殴られたとき」
「いや、俺が殴り返したら、それこそ大問題じゃないですか。試合に出られなくなりますよ」
「まあ、そうだろうけど」
俺は、視線を、仁科さんの胸元から顔に移した。心配そうにこちらを見ている。可愛い。そんな顔で見つめられると、格好つけたくなる。
「どうしても戦いたい奴がいるんですよ。そのためなら、我慢だってできますよ」
「……」
「それに、ボクサーの拳はリングで使うものですから」
俺は、背後に「キリッ」という効果音が出そうな表情をつくった。彼女をつくる気はなくても、可愛い女の人の前では格好つけたい。
仁科さんは、少しだけ笑ってくれた。気のせいだろうか、どこか影のある笑顔に見えた。
「偉いし、格好いいね」
天使だよ。目の前に、天使がいるよ。
ちくしょう。俺にもっと才能があって、あいつにも簡単に勝てるくらい強かったら。あいつに勝つために何もかも諦めないといけない、なんてことがなかったら。今すぐにでも口説くのに。
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