あなたを消した理由

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「拝啓、いかがお過ごしでしょうか?  あなたはきっと、もう中学生かしら?月日が経つのは本当に早いものですね。昔の人は、光陰矢の如しと言ったそうですよ。  身体は大丈夫かしら?ちゃんと食べていますか?  あなたの成長は写真でしか確かめることができません。それは歯がゆいものです。今更何を言っているんだとあなたは思うかもしれません。ですが、あの頃はあなたを手元から離さざるを得なかったのです。  主人の印刷会社が傾いていて、三人目のあなたを育てる余裕がありませんでした。それは大人の勝手な言い分だと思うでしょう。でも、あの頃は本当に切羽詰まっていて、上の二人の息子と娘を育てるだけでも大変だったのです。  今思えば、後悔しています。無理に借金をしてでも、あなたを手元に置いて育てるべきだったと。  でも、失った時間を取り戻すことは不可能ですね。もし、タイムマシンがあったら、あなたが四歳の頃に戻って、あなたを百貨店の屋上から連れ戻すでしょう。  わたしはダメな母親です。わたしはもともと、母親になる資格なんてなかったのでしょう。  わたしはどんな罰を受けても文句は言えません。ただひとつ、言えることは、あなたを屋上に置き去りにした後は、いつも、あなたのことが頭から離れませんでした。わたしは片時もあなたを忘れたりしませんでした。  あなたが親切な子どものいない夫婦に拾われて、大切に育てられて、本当によかった。  わたしはそれでも、あなたに会うことはできません。あなたなら、わかりますね。今更、謝罪の言葉を聞かされても、虫唾が走るだけでしょうから。  松本清張の小説で「鬼畜」という物語があります。映画化もされている名作です。  主役の緒形拳(あなたの世代ではわからないかも)が東京タワーの展望台に娘を置き去りにして、東京タワーを外から振り返った時、夕景の中で灯りが点灯するシーンは圧巻です。  わたしはこのシーンを観る度に涙がとめどなく溢れます。あなたを置き去りにした自身を緒形拳に当てはめてしまいます。  機会があったら観てみてください。  もし、あなたがわたしを許してくれるなら、こちらの住所まで訪ねてみてください。わたしはいつでも待っています。それでは、身体に気をつけて。                            敬具    」  わたしは手紙を切り裂いた。わたしを消した理由はそんなことだったの。なら、わたしにも考えがある。  あなたを消した理由は、わたしを捨てたから。 「今日、板橋区E町の住宅で、この家に住む小牧香代子さん、60歳が頭を鈍器のようなもので殴られ、死亡しているのを、この家に住む長女が発見しました。  家の中は荒らされた形跡はなく...」             <了>
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