優しい料理のつくり方

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優しい料理のつくり方

 甘味を用意し、桃矢様が倒れたときにすぐ食べてもらえるようにしよう。言うのは簡単だけれど、すぐ用意するのは大変だ。  一応桃矢様のお仕事とその際にすぐ食べられる甘味を用意できないかの提案を女中さんたちにしたら、割とすぐに賛同されたものの、ならなにを出せばいいかという案では、全員考え込んでしまった。 「パッと思いつくのは金平糖ですけれど……」 「でもあれはすぐ手に入るものではないじゃないですか」  値段が高過ぎて、倒れたときにすぐ食べられるようにと用意していたら、その内一軒家が建つようになってしまうのではないか。  貧乏神の末裔なのもあり貧乏性の私がブルブル震えて首を振ると、女中さんたちも「そうですよねえ……」とあっさりと引いてくれた。 「だとしたら、あとはビスケット……」 「疲れているときにパサパサしていませんかね……」 「チョコレート……もやっぱり高いですね」 「うーん……」  最近は洋菓子もあれこれ手に入りやすくなったとは言えど、いくら体に優しいとは言えども、高過ぎるものをずっと桃矢様に差し出すのも大丈夫なのかなと思う。  すぐに食べられて、喉がパサパサにならなくって、体に優しいお菓子。意外とこの問題は難しい。  皆で額を合わせて考え込んでいる中、女中さんのひとりが「あのう……」と手を挙げた。 「はい、なんでしょう?」 「いっそのこと、カステラはどうでしょうか? カステラならばまだ材料も集めやすいですし、栄養価も高いです。なによりも、食感がパサパサしてません」  それに私たちは一様に「ああ……」と声を上げた。  ポッディングと同じ、卵に砂糖を使うし、うどん粉も使う。またカステラは結核の滋養強壮にいいともされているから、医者も食べることを推奨している場合が多い。  これが貧乏な中村家だったらいざ知らず、鎮目家だったら材料も比較的手頃に手に入るだろう。ただ。私は女中さんたちに頭を下げた。 「……カステラの作り方、教えてもらえませんか? できれば離れで桃矢様につくってさしあげたいんです」  皆一様に顔を見合わせてから、「いいですよ」と答えてくれた。 ****  鎮目邸の本邸にある台所は最新式だ。  長屋の薪を使うかまどしか知らない私からしてみれば、瓦斯(がす)を使う調理台は物珍しい。  私がポッディングを蒸したときは、離れの薪のかまどを使ったけれど、女中さんたちからは「カステラを作るときは瓦斯のほうがいいですよ」と止められ、こうして一緒に作業をすることになった。  材料はうどん粉に卵、砂糖、蜂蜜に水飴と用意してくれ、意外なことにみりんまで出された。 「みりんはなにに使うんですか?」 「主に香りがよくなるんですよね。卵とうどん粉と砂糖だけでも形ではできますが、食欲そそる香りが全然違うように思えます」 「なるほど……蜂蜜と水飴は?」  砂糖もなかなか手に入らなかった中村家。蜂蜜と水飴に至ってはどこで売っているのか知らないという体たらくだ。  それもまた女中さんが丁寧に教えてくれた。 「蜂蜜と水飴は食感ですね。砂糖だけよりも、食べる時にパサつきが減りますので、お疲れの坊ちゃまでも食べやすくなるかと思います」 「ああ、そっか。ビスケットですと、柔らか過ぎたらビスケットじゃなくなってしまいますもんね」 「はい、そうです。それじゃあつくってみましょうか」  こうして私たちは、カステラを作りはじめる。  ポッディングは順番に混ぜて蒸すだけだったけれど、カステラは意外と工程が多い。  最初に湯煎で蜂蜜と水飴を混ぜ、ドロドロしているのをさらさらの状態に戻さないといけない。  湯の入った鍋の中に器を入れ、蜂蜜と水飴を流し込んでさらさらの状態にしてから、みりんを加える。この状態で、たしかにいい匂いがしてくるのがわかる。 「うちにはみりんがありませんでしたから、これがお菓子のいい匂いの元とは思ってませんでした」 「料理は味もなんですけれど、食感や匂いも重要ですからね。もし坊ちゃまに料理を作られる場合は、その辺りも考慮してくださいませ」 「それでは卵と砂糖を別の器で混ぜていきましょう」 「あ、はい」  別の器に卵を割り入れ、砂糖を加えてよく混ぜたあと、そちらもまた、別の鍋で湯煎にかけて、少し温める。  これはかまどだったらお湯を沸かすのにも時間がかかるし、瓦斯すごいなと勝手に感心してしまう。 「ある程度温まりましたら、湯煎から外して、白くなるまでかき混ぜます。こちらをお使いください」  そう言って差し出された器具を見て、私は首を傾げてしまった。柄の先が雫型に広がっているが、これをどうやって使えばいいのかがわからなかった。 「……これなんですか?」 「泡立て器と申します。大昔はフォークを使って混ぜていたそうなんですが、それだと腕に負担がかかるでしょう? 箸で泡が立つまで混ぜるのも腱鞘炎になってしまいますから。これを使って一生懸命かき混ぜたら、比較的腕の負担は軽くて済むかと思います。頑張ってくださいませ」 「なるほど……」  とりあえずぐるぐるとかき混ぜると、面白いことに卵液がどんどん泡立ってきて、だんだん白くもったりとしてくる。 「もうちょっとですか?」 「もう少しです」 「もう大丈夫ですか?」 「もう少しだけ泡が欲しいですね」  だんだん重くて持ちあがりにくくなってくるし、腕も痛くなってくる……たしかにこれを箸やフォークでやれと言われたら嫌だ。腕だけでなく、肩が上がらなくなってしまう。  女中さんが「もう大丈夫ですよ」と止めてくれるまで、結構時間がかかった。卵は黄色いはずなのに、もうすっかりと白くなっている。  そこにうどん粉をざるに入れて器に加え、ぐるりと混ぜると、先程溶かした蜂蜜もお玉で入れて混ぜ合わせる。  あとは型に流し入れて、瓦斯火を小さくしてから焼きはじめた。私は腕が痛くて重くてぐったりとしてしまう。 「……カステラづくりって、こんなに重労働だったんですか」 「お疲れ様です。奥様。ええ、重労働ですよ。でも他の甘味と比べると、まだ工程はそこまで難しくはないはずです」 「他のものでしたら、まだ重労働なんですか……」  たしかに手づかみですぐに食べられる甘味は意外と少ないし、食べやすいものとなったら工程も複雑になってしまうのかも。  でも。だんだん漂ってくる匂いは、思っている以上においしそうで、それにはほっとする。 「今日焼き上がったら、一日冷ましておいてください。それで明日には食べ頃になっているかと思います」 「ありがとうございます……なにからなにまで」 「いえ。こちらこそ奥様が坊ちゃまの食事について考えてくださってほっとしております……坊ちゃまは風水師としての力が強過ぎるばかりに、家に篭もる以外にできることがございません。同業者以外とほとんどお話しすることもなかったのが、見ていても気の毒でしたから」 「だからと言って、私たちもむやみに声をかけられる訳でもありませんから」  それに私は一瞬「あれ?」となってしまった。  昨日出会った咲夜さんとしかしゃべってないとか、当主様としかしゃべってないならまだわかるけれど。  ……彼方さんは? 「あのう……庭師の彼方さんも、かなり心配されいたようでしたけど……」  私の言葉に、女中さんたちは全員顔を見合わせてしまった。  まだなにかあるんだろうか。あの人のよさそうな顔を思い返しても、悪い人には見えなかったけれど。  私は「あのう……」と尋ねると、意を決して女中さんのひとりが口を開いた。 「あの方は……坊ちゃまが次期当主にしてはあまりにお体が弱くて……ですが亡くなられた奥様は坊ちゃま以外の子がつくれませんでしたから。そこで当主様は、そのう……」  その話を聞いていいんだろうか。  私は一瞬ひやりとしたものを感じたけれど、どっちみち私は桃矢様の妻だ。  まだ夫婦生活らしきものがなにひとつない上に、まだ桃矢様も当主の座には就いてないけれど。  でも桃矢様に関係のあることは、いずれ私にも関わってくるだろう。 「教えてください。彼方さんの詳細を」  私が続きを促すと、女中さんたちはやっと口を開いた。 「……できる限り、風水師としての適性がある方を探した上で、うちの女中頭が選ばれ、身ごもった子です。ただ桃矢様が生きてらっしゃる以上、表立って養子縁組にする訳にもいかず、だからと言って鎮目邸の外に出す訳にもいかず、今は庭師に仕事内容を教わって庭師の仕事をしながら、当主様に風水師としての使命を教わっていらっしゃいます」 「……つまりは、彼方さんは桃矢様の実の弟ということで……?」 「そうなりますね」  どうしてこの人は風水師について詳しいんだろうとは思ったけれど、まさかそんなかかわりの人とまでは思わなかった。 「このことって、桃矢様はご存じなんですか?」 「存じてらっしゃいますよ」 「……わかりました。いろいろ教えてくださり、ありがとうございます」  そうこうしている内にカステラは焼き上がり、それを布で包んで持って帰ることにした。  明日一緒に食べよう。そう思いながら、離れに戻っていく。  離れで桃矢様の布団を見ると、彼はいつものように薄い呼吸で眠っていた。眠っている姿もまた、綺麗な人だった。 「桃矢様……」  私は傍に座って彼を見つめる。端正な顔つきだけれど、今日のお勤めが終わってからというもの、ずっと疲れ切って眠っている。思えば式の時は仕事をしていなかった。だからそこまで疲れて眠ることがなかったんだろう。  私は本当に昨日嫁入りしてきたばかりで、桃矢様のことはおろか、鎮目邸のことについても、風水師についてもなにも知らない。  しかし周りの人たちは皆いい人だし、訳ありでもきっと好きになれるだろうと思うけれど。  桃矢様の抱えているものがなんなのか、私はまだなにも知らない。  彼はたおやかで、激情を抱えているのかどうかも知らない。ただものすごく慈愛の人なのか、諦観だけ抱き締めている人なのか、それともただなにも考えてない虚無の人なのかさえも、本当になにも知らない。 「私、まだあなたのことをちっとも知りません。いつかは好きになれたらいいなとは思っていますが。そのときに、あなたがなにが好きでなにが嫌いか教えてくれませんか? 私はあなたのことを知りたいんです」  私は手を伸ばして頬を撫でてみる。肌はつるりとしている。ただ温度は低いような気がし、温めるようにして彼の頬を何度も何度も撫でてみた。  そのあと、私は運ばれてきたひとり分のお膳をいただき、お風呂をいただいて床に着くことにした。  二日連続で風呂に入れることなんてなかったなと、今更ながら気が付いた。 ****  次の日。私は相変わらず日の出前に目が覚め、桃矢様にできる食事について考えはじめた。  今日のお勤めのあとはカステラを食べてもらうとして。朝餉になにを食べてもらおう。卵は食べられる。うどん粉も問題ない。だとしたら多分洋菓子は比較的大丈夫なんだろう。  洋菓子以外のものを食べてもらうとしたら……やっぱり汁物がいいんだろうか。汁物だったらよっぽど油っぽくないこってりとしてないものだったら、比較的安心して食べていただけるとは思うけれど。  私がひとりで延々と朝餉について悩んでいたら。  ことことといい匂いが漂ってきた……多分赤茄子と牛肉を炊いた匂いだ。  前に働いていた西洋かぶれの屋敷でも、ビーフシチューはたびたび食卓に並び、女中たちも賄いで出てきたものを食べていた。  でもあれはかなりこってりしているから、それをそのまんま桃矢様に出すのは無理だよなあ。  そう思いながら私は台所に顔を出すと、そこで料理をつくっていた女中さんが驚いて振り返る。 「おはようございます、奥様……今日もお早いですね?」 「おはようございます。いい匂いですね」 「はい……今日は旦那様が洋食が食べたいとのことでしたから」 「ですけど……これだと桃矢様は召し上がれませんね?」 「ビーフシチューだけだと、たしかに桃矢様はいただけませんが。桃矢様はビーフシチューの汁の部分だけいただいてもらっています」 「うん?」  見てみると、野菜がごろごろしていて、牛肉も塊で入っていておいしそうだ。でもいくら体が弱いからって汁だけは、いくらお粥以外あまり食べられないとは言っても。  私は抗議をするべきかどうか考えあぐねていると、別の鍋に別のものをつくっているのが見えた。 「こちらは……」 「昨晩に炊いたご飯です。これを赤茄子と一緒に少し煮ます。するとお粥とご飯の間の食感になるんですよ」 「柔らかいご飯ですね?」 「これを桃矢様が起きるときに卵で閉じ、ビーフシチューを出すんですよ。洋食屋の料理はなかなか難しいですけど、食べられるものが増えるというのはいいことですね」 「あ、ああ……!」  思わずポンと手を叩いた。  元々西洋には卵だけを使った料理、オムレツというものがある。それを見た日本人が、オムレツを日本人にも食べやすいようにと考えた結果、オムレツをご飯の上に乗せる料理を思いついたという。結果としてそれはオムライスと呼ばれて、洋食屋にもたびたび出されるようになったらしい。  たしかにあまり油っこくないご飯を、卵で閉じ、少しコクのあるソースをかけるんだったら、ギリギリ食べられるんだ。 「作り方って教われますか!?」 「えっ? そりゃかまいませんが、結構これ手間がかかりますから……」 「桃矢様が食べられるものが増えたらいいなと思います」 「そうですか……いいですよ」  こうして、私はまたしても女中さんから料理を教わることとなった次第だ。
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