カンバスへの逃避行

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 皆で盛り上がっていると、男子生徒の冷めた声がした。 「へぇ。清瀬ってそんな絵も描けるんだ」  彼女たちはぴたりと話すのをやめる。彼を振り返る視線のいくつかには、熱っぽいものが混じっていた。  トロヴェージ諒太はこの部の唯一の男子部員だ。  噂によると、彼は祖父がイタリア人のクオーターだそうだ。すらりと背が高く、髪は染めてもないのに茶色みがかっている。頬だけがいつもほんのり赤く染まっていて、まるで肌の白さを強調するかのようだった。長い睫毛に縁どられた彼の瞳は、はっきりとした榛色をしている。  諒太は真っすぐに絵画の前まで来ると、女子部員たちの背後から覗き込むようにして作品を眺めた。見守る早苗は湿った掌で緊張を握り込む。  しばらくして、彼は右の口角を吊り上げた。 「すごいじゃん。さすが清瀬」  ドキリと高鳴った胸の音。早苗は目を逸らして髪を耳に掛けた。 「春休み、イタリア行ってたんだっけ。俺もゴールデンウイークに行くんだよね。ローマでどっかおすすめのところある?」  そんな早苗の様子には気付かずに、諒太はポケットに手を入れている。片足に体重を掛けた立ち姿は何気ないにも関わらず、モデルのようだった。 「あ、えと」  早苗は記憶を頼りに指を折った。 「ヴァチカン博物館と、バルベリーニ宮と、ファルネジーナ荘と、ジェズ教会と、サンタゴスティーノ・イン・カンポ・マルツィオ教会と……」 「待って待って。一度に言われてもわかんない」  諒太はスマートフォンを取り出すと、SNSの画面を見せた。 「LINEで送ってよ。連絡先交換しよ?」 「う、うん」  女子部員たちの羨望の眼差しを感じながら、早苗は諒太と連絡先を交換した。
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