ひとつの出来事

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ひとつの出来事

「絶対に秘密よ」 スマホの向こうで、朱鷺子(ときこ)が囁いた。 その射るような鋭い眼差しに、僕は思わず息を呑む。 「秘密って……何を……?」 「これから見るものよ」 僕の問いに、すかさず答える朱鷺子。 ビデオ通話に映る黒髪の少女は、妖艶で美しく、そして高慢だった。 見せたいものがある、と誘われるがままやって来た。 彼女の強引さは今に始まった事ではないが、さすがに今回は気が引ける。 指示された場所は、郊外の森の中…… 地元でも、あまり人の寄り付かない廃屋だったからだ。 三階建ての豪奢な造りだが、雑草と無数の(つた)に覆われた外観が不気味な雰囲気を(かも)し出す。 月明かりに映るシルエットが、巨大な怪物に見えて仕方なかった。 施錠のされていない玄関から入り、リビングらしき広い空間に立つ。 「そのまま、奥に進んで」 朱鷺子の声に、僕は懐中電灯であたりを照らした。 引き裂かれたソファに傾いた机。 ことごとくガラスの割れたキャビネット。 剥がれ落ちた壁紙が人の顔に見え、思わず飛び上がった。 砕けそうになる腰を懸命に支え、どうにか歩を進める。 「そこよ」 部屋の隅まで来た時、朱鷺子が声を上げた。 懐中電灯を照らした先にあったのは、腰の高さほどの黒い扉だった。 鉄製の取っ手の上に、金色のダイヤルが付いている。 「これって……金庫?」 (ほう)けたように呟く僕に、朱鷺子はええと答えた。 「開けてみて」 抑揚の無い声で朱鷺子が言った。 威圧的ではないが、冷たい口調だ。 僕は一瞬躊躇(ためら)ったが、結局その指示に逆らう事はできなかった。 その場にひざまずくと、取っ手に手をかける。 ガチャガチャ回すが、一向に開かない。 鍵が掛かっているようだ。 「ナンバー……分かんないよ」 僕は、ダイヤルを見つめて呟いた。 「当ててみて。アナタのよく知ってる四桁の数字よ」 試すような口調で、朱鷺子が(うなが)す。 知ってる数字って…… 僕は眉間に皺を寄せ、幾つかの数字を思い浮かべた。 そしてその中の一つに絞ると、黙ってダイヤルに手をかけた。 以前観た、テレビドラマのワンシーンを真似て回してみる。 右に一、左にニ、右に一、左に八── カチっと何かの外れる音がした。 僕は、再び取っ手を引っ張った。 ゴロリ 扉に吸い付くように、何かが転がり出てきた。 声にならない悲鳴が、僕の喉から(ほとばし)る。 力無く投げ出された手足── 派手なTシャツに半ズボン── 人間だ。 そして、なぜかピクリとも動かない。 そっと覗き込んだ僕は、反射的に口を押さえた。 猛烈な吐き気がこみ上げる。 それは明らかに……死体だった。 青黒く変色した顔のすぐ上が、柘榴(ざくろ)のようにパックリ割れている。 大いに噴き出したであろう血は既に渇いており、首筋にかけてベットリこびり付いていた。 僕は凍りついたまま、目を見張った。 思考は混乱を極めたが、目を(そむ)ける事はできなかった。 怖いもの見たさ、というヤツだ。 年の頃は僕と同じ。 相撲取りのような体格の男子だ。 皮肉な口元が、今は恐怖に歪んでいる。 なぜ、【いつもは】と言ったのかって? そう。 僕は、その死体が誰か知っていたからだ。 「君が……やったのかい?」 恐る恐る、僕は尋ねた。 すると、朱鷺子は何も言わず微笑んだ。 僕は再度、動かぬ(むくろ)に目を向けた。 死体の主は、荒井(あらい)武史(たけし)。 僕と同じクラスの、いじめっ子だ。 「おい、モヤシ怪人」と揶揄(やゆ)しては、僕の顔を小突く。 「やめてよ」と言っても、やめてくれない。 おかげで僕の顔には、小さなアザが幾つもある。 クラスの皆は、知らんぷり。 そりゃそうさ。 怖いもの。 小突かれると痛いもの。 だから、誰もが知らんぷり。 お金も、よく取られる。 「持ってんだろ?早く出せよ」 そう脅しては、全部持っていかれる。 逆らうと殴られるから、仕方なく渡す。 クラスの皆は、知らんぷり。 そりゃそうさ。 自分も取られたくないから。 だから、誰もが知らんぷり。 そんな日常が……僕はイヤだった。 「アナタ、愚痴ってたじゃない。あんな奴、死ねばいいのに、って」 事もなげに朱鷺子が言った。  (まと)を射たその言葉に、僕の体が硬直する。 「だから……こんな事を……したのか?」 スマホを握りしめ、僕は声を震わせた。 「そうよ。お金を渡すって言ったら、ノコノコこんなトコまでやって来た。あらかじめ入れておいた金庫のお金を指差すと、ニヤリと笑って手を入れた。その隙に、後ろから殴ったの。そのまま中に押し込んで、ハイ、おしまい……簡単だったわよ」 あっけらかんとした口調で、朱鷺子は言った。 その表情には、なんの迷いも無い。 「だからって……こんな……殺すなんて……」 僕はどう言っていいか分からず、言葉を詰まらせた。 眼前の情景が、とても現実のものとは思えなかった。 「こんな日常は嫌だったんでしょう?毎日、(そば)で聴いてて、いい加減ウンザリしてたの。アナタだけじゃなく、でもあるんだから、それでいいじゃない」 そう言って、朱鷺子は肩をすくめて見せた。 僕は何も言えず、呆然とスマホの中の彼女を眺めた。 確かに、この荒井には苦しめられた。 いなくなればいいのに、と思った事もしょっ中だ。 そんな僕の状況を、クラスの皆は無視し続けた。 だから、そんな日常が嫌で嫌でたまらなかった。 でも……朱鷺子は違った。 そんな僕の窮状を見かねて、こんな事をしたのだ。 人殺しという、人道を外れた行為までして、僕を救おうとしてくれたのだ。 彼女だけが唯一、僕を理解してくれた…… 彼女だけが…… 「ハイハイ。そんな深刻な顔してないで、さっさと死体を金庫に戻して!」 いつもの高慢な口調で、朱鷺子が言い放つ。 今はもう震えの収まった僕は、静かに頷いた。 死体の身体を起こすと、再び金庫に押し込む。 扉を閉め、ダイヤルを適当に回した。 開けるナンバーは、僕と朱鷺子しか知らない。 そう、ナンバーは…… 1・2・1・8 ……あれ? なんで、僕はナンバーを知ってたんだろ? 1・2・1・8 ……日付? 12月……18日 これって…… 僕が、初めて朱鷺子と出逢った日!? 彼女と……出逢った…… 唐突に、ある情景が脳裏に浮かんだ。 いつものように、イジメにあった日…… 帰宅すると、姉さんの部屋の戸が開いていた。 覗くが、誰もいない。 立ち去ろうとする僕の目に、箪笥の上の黒い箱が映った。 興味本位で蓋を開けてみる。 入っていたのは、カツラだった。 いや、ウィッグって言うのかな。 姉さんが買って、使わなくなったやつだ。 以前一度だけ、付けているところを見た事がある。 でも、結局気に入らなかったようだ。 僕は何気なく、取り出してみた。 長い黒髪が、はらりと手を撫でる。 ああ── この感触── なんて心地良いんだ── 自然と鼓動が速くなる。 そして、ある衝動が胸中を貫いた。 抑えがたい渇望と、甘美な誘惑── ああ── 我慢できない── 僕は諦めたようにため息をつくと、素早くあたりを見回した。 思い切って、それを(かぶ)ってみる。 そして、そのまま鏡台の前に立つ。 僕は……我が目を疑った。 そこにもう、自分の姿は無かった。 思わず笑みがこぼれる。 そこにいるのは、全く別人の……だった。 異様な興奮で、全身が熱くなった。 ああ── なんて素敵なんだ── ふいに、鏡の中の自分に名前を付けたくなった。 可愛い女の子には、可愛い名前がふさわしい。 僕は悩んだ挙句、自分の好きな鳥の名をあてる事にした。 朱鷺(とき)…… そうだ、朱鷺子がいい。 「こんにちは……朱鷺子」 ぎこちなく会釈する僕を見て、朱鷺子は薄っすらと笑みを浮かべた。 ********* 「それじゃ、ワタシはこのまま姿を消すわね」 そう呟くと、朱鷺子は自分の頭に手をかけた。 そのまま、スルスルとを剥ぎ取る。 下から現れたのは、見慣れただった。 これでいい── 殺したのは朱鷺子であって、── 僕は、スマホを閉じた。 そのまま、ゆっくりと玄関に向かう。 この廃屋に、人が来る事は無いだろう。 そして、僕が朱鷺子と会う事も二度と無いだろう。 そう、これは 誰も知らない 僕だけの……秘密
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