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人には誰しも、忘れられない恋がある。
だけど、どんな恋にもいつか終わりが訪れる。降り積もった雪が、儚い灯で溶けてしまうように。
共に過ごした時間や、その時に見た風景。大人になり、月日が経てば経つほど──その思い出は美化され、心に深く残り続ける。
雪で白く染まった道。凍えるような凛冽の夜を、無数のスノーキャンドルが鮮やかに照らしている。地元の北海道で行われる恒例イベント、"雪灯路"だ。
滔々と降りしきる雪は、心模様をそのまま映し出しているかのよう。ここで深冬と過ごした時間は、僕にとっての原風景となっている。大人になっても忘れられない、僕の恋人だった。
彼女は今、どこで何をしているのだろう。東京に出てきて十年以上経った今でも、時々そんな思いが頭をよぎる。未練や後悔といった感情ではない。冬が来る度に、雪が降る度に──生まれた街の白さを思い出し、懐かしく感じる。
しかし──そんな思い出の場所も、記憶も、今となっては遥か遠く。殺伐としたコンクリートジャングルの中で僕は、美しさの欠片もないパソコンのディスプレイを眺める毎日を過ごしていた──。
「──い君! 鈴井君!」
「へっ? ……あぁ、すいません。何でしたっけ」
「ったく、ボーっとしやがって──。来週のプレゼン資料、進んでるのか?」
「あ、それなら大丈夫です。今日中にでも完成します」
「それならいいが──もうちょいシャキッとしてくれよ。後輩も見てるんだからさ」
「はいっ、すいません……」
上司の𠮟責を、感情の無い謝罪でうまくかわす。意識を目の前に向けて、再びキーボードを叩くけど……上司が席に戻ったのを見計らって、壁際の窓へ目線を移した。
東京は冬になっても雪が降らない。少しでも降ったらニュースになるレベルだけど、あの街にいた頃はむしろ雪と共存していた。室内から見る外の景色も、随分と寂しくなったものだ。寒くなると、白い雪化粧が恋しくなる。
そんな思いに耽っていると──思わずあくびが零れてしまった。少しだけ眠気に襲われる。上司がこちらを見ていないことを確認して、自席のキャビネットからマグカップを取り出し、そそくさと給湯室へ向かった。
*
「ふぅ~……あったかい」
社員ならいつでも使えるコーヒーメーカーでホットコーヒーを淹れる。普段は人気のないこの場所で暖を取ることが、冬の密かな楽しみになっていた。マグカップから登る湯気と、吐いた息が白く染まる。そんな些細なシーンが、故郷への懐かしさをより一層強めていった。
誰もが羨む華やかな生活ではない。ヒューマンドラマの主人公のような、見応えのある人生でもない。"普通"という言葉がよく似合う、どこにでもいるサラリーマンだ。
楽しいこともウザいこともそれなりに中和されて、結果プラマイゼロ。メールの定型文を覚えたり、ご機嫌取りの敬語なんか覚えちゃったりして、のらりくらりと世を渡っている。不満ではないけど、「こんなもんか」と妥協している毎日。楽しみと言えば、仕事終わりのビールと週末の長い睡眠ぐらいだ。
「北海道って、今どうなってんだろ……」
今は一月。今頃、あの街は雪で覆われているだろう。仕事の忙しさをあって、長らく帰れていなかった。
スマホを取り出して検索してみる。地元のニュースを覗いてみると、想像していた景色ばかり。雪と共存している街の風景、人々の営みを、画面越しに改めて実感した。
そしてその中に──ピタッと目に留まった記事がひとつ。
「雪灯路……懐かしいな」
高校卒業まで過ごした札幌で行われるイベント、雪灯路。東京に来てから、このイベントもずっと行けていなかった。
あの日に見た夜景、凍てつくような寒さ、スノーキャンドルの雪路。恋人だった深冬と歩んだ、高校時代の思い出の景色だ。
画像検索をかけて、今までのイベントの様子を夢中で眺める。故郷に輝く鮮やかな光を見て、遠い過去に置いてきた記憶が鮮明に蘇ってきた。
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