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清治はこれまで、意識的に三好を視界に入れないようにしていたが、昨日の一件が気になり、運動の時間、気づけば三好の姿を目で追っていた。
三好は誰とも連まず、コンクリート塀の下に茫然と立ちすくんでいた。塀の外の、娑婆の音に耳を澄ませているのだろう。そんなものを聞いて、虚しくならないのだろうか。
「彼が気になるかい」
隣を走る、斎藤綱吉が言った。清治の特に親しい死刑囚だ。歳は三好と同じ31歳。左翼活動家で、凄惨な列車事故を引き起こした。清治よりも長く服役しており、小菅時代から三好をよく知る人物だ。知的なムードの漂う紳士的な男で、話半分に割引しても、相当にモテたことは間違いない。
「昨日、あいつが話し掛けてきたんだ」
「ほう? 三好が?」
斎藤は「よっぽど寂しいんだ」と、清治の想像の斜め上をいった。
「寂しい?」
「それしかないだろう。で、何、話した?」
「……大した用事じゃなかったんで突っぱねたさ。関わったらロクなことがなさそうだ」
「きみらしくない。話してやるくらい良いじゃないか」
「何か企んでるかもしれねえだろ」
「美貌の男が怖いわけだ」
そうかもしれない。あんなに綺麗な男を、清治はこれまで見たことがなかった。
「そうか、反対側は相葉さんだったな」
斎藤がポツリと口にしたのは、三好の隣室の住人だ。
「相葉さんは三好を相手にしないのか?」
相葉は斎藤よりも長く服役しており、その分、三好をよく知っている。
「おや、きみは知らないのか」斎藤はクックと肩をゆすった。「まあこれは箝口令が敷かれているからね」
「もったいぶらないでくれよ」
斎藤はすいっと距離を詰めてきた。
「あの見た目さ。ヤリたくなるのは男のサガってもんだよ」
「相葉さんがあいつを?」
「みんなさ。もっとも、そのほとんどは仙台に送られてしまったけれど」
「みんなって……あんたもか?」
「いいや、僕の順が回ってくる前に、妙な病気が流行ってね。どうも彼は病気持ちじゃないかって噂が流れて、遠慮したよ」
一回や二回ではないということか。三好が悪く言われているのも、その病気が一番の理由かもしれない。
「なあ、三好さん」
その日の夜、窓を開け、清治は隣の部屋に呼びかけた。
「三好さん、あんた今何してんだ」
昨日の件で嫌われてしまっただろうか。それならそれで構わない。
「絵でも描いてんのか」
「いいえ」
返事があった。
「新しい絵の具も、広い部屋もいりません。ここには描くものがありません」
小菅拘置所には花壇があった。草木も。塀の外には山や稲穂が見えた。でも巣鴨拘置所にはそういったものがなにもない。収容者に外界のものを見せるのは損とでも言うかのように、窓ガラスをすりガラスに変え、わずかしか開かないように固定されてしまった。運動場に出たとしても、目に入るのは赤土とブロック塀だけだ。
小菅は良かった。清治は、何度そう思ったかわからない。小菅の監視は緩かった。運動場も広々と快適だった。
「あんたも小菅に戻りてえか」
初めて、三好に共感した。
「いいえ」
「なんでだ。あっちは良かっただろう。色々融通が利いた」
言った瞬間しまったと思った。小菅の監視は緩かった。それはすなわち弱者が酷い目に遭うということだ。斎藤が言っていたじゃないか。三好は小菅で輪されたのだ。
「今の、忘れてくれ。そういや俺もこっちがいいわ。日当たり抜群のいい部屋だしな」
ふふ、と笑う声。初めて見た……いや、声だけだから、聞いたか。どんな顔をしているんだろうと、興味が湧いた。
「隣が僕では、つまらないでしょう」
そういうことを思うのか。
「あんた、将棋はさせるのか」
「……はい」
「ならさそう。ヒマだから俺に話しかけたんだろ」
なら自分はどうして声をかけたのか。
斎藤の言った、「寂しい」という言葉が引っかかって、落ち着かなかったのだ。
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