死刑囚の輪廻

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   小野田清治(おのだきよじ)は、カービン銃ギャング事件の主犯として逮捕され、昭和33年、死刑判決を受け、小菅の拘置所に収監された。もちろん控訴し、現在、第二グラウンドの高裁準備中である。清治は28歳。がっしりと分厚い筋肉がついた偉丈夫で、娑婆にいた頃は随分モテた。なんせ、逮捕に至るまでの逃亡期間は東映女優と共にいた。女が「私もいくワ」とついてきたのだ。  そんな目の肥えた清治が見ても、三好秋成(みよしあきなり)という死刑囚は容姿端麗と評するのに十分な器量の持ち主だった。色白の肌に涼しげな目元、ひな人形のような小作りの鼻、引き締まった唇は朱を点じたように赤く、高潔なのに艶めかしい、不思議な色気を纏っていた。  彼はかの有名な日銀事件の容疑にかけられ、死刑が確定していた。巷では大量殺人犯として恐れられているが、現実の彼は物腰の柔らかい優男だ。日本画家を生業としていただけあって、彼の審美眼は確かなもので、運動の時間に外へ出れば、花壇の花や草木をたちまち脳裏に印画し、独房でそれを描写した。  そんな「画伯様」を、清治を含め、他の死刑囚は快く思わなかった。拘置所での娯楽といえば、将棋(隣室の住人と壁越しに声を掛け合い、行う)か、壁越しの雑談、一時間だけ与えられる運動時間くらいだ。三好はお高く止まっていると揶揄され、空気のように扱われ、誰も近づこうとしなかった。  戦犯が皆刑期を満了し、巣鴨拘置所が空き家となると、小菅の受刑者及び被告は一斉に巣鴨に移された。清治は舎棟の一番奥、最も明るく静かな「アタリ」の部屋をあてがわれた。ただ、隣室が三好というのがよくない。三好では、話し相手にならない。 「小野田さん」  北風の強い十一月末、隣の部屋から、細い声が清治を呼んだ。清治は驚いて返事ができなかった。 「小野田さん、寝てらっしゃいますか」  小菅にいた頃から、彼は誰とも口を聞かなかった。よほど重大な要件かと思い、清治は小窓を開けた。するとドッと北風が吹き付け、体温を奪われた。独房に暖房器具はない。 「なんだ」  相手は三歳年上の大物死刑囚だが、北風を受けたことで気分を害し、清治は横柄な物言いになった。 「すみません、お休みでしたか」 「なんだって聞いてんだ」  返事がない。再度「なんの用だ」と問う。これで二人の力関係は定まった。 「何を、しているんだろうと思って」  清治は太い眉を怪訝に寄せた。小菅時代から、黙々と絵だけを描き続けてきた孤高の麗人と、子供らしい発言が結び付かなかった。 「雑誌を読んでた」  妻からの差し入れだ。清治には妻も子供もいる。事件によって、東映女優との不倫が妻にバレたが、見捨てられずに、こうして毎週、洗濯した衣類と娯楽雑誌を差し入れに来てくれる。豊かな生活をしていれば、他の収容者に嫉妬されるものだが、清治は待遇改善を訴えて刑務所当局に抗議する行動派のため、収容者からは慕われ、陰口とは無縁だった。 「雑誌? それはいい暇つぶしになりますね。差し入れですか?」  怜悧な見た目からは想像できない無邪気な声に、清治は声の主を疑った。 「あんた、三好さんかい」 「ええ、そうですが……」 「何を俺に期待してる?」 「期待……?」 「俺を手懐けて、管理部長に掛け合ってもらおうってハラだろう。刑が確定してるあんたがワガママ言えば、処刑(仙台行き)が早まっちまうかもしれないもんな。言ってみ。新しい絵の具が欲しいか? 広い部屋が欲しいか? ただでさえあんたは特別待遇なんだ。これ以上何を望んでやがる」  気分を害したのだろう、パタン、と窓の閉まる音がした。
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