3 思春期みたいな

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「菫さん!」  黒羽の言葉の最後の部分は、聞こえてきた声に遮られた。 「鈴」  顔を上げるのと、腕をぐい。と、引かれたのは同時だった。バランスを崩して引かれたほうに倒れ込むと、そのまま強く抱きしめられる。 「この人に触るな」  ぎゅ。と、強く菫を抱きしめているのは、鈴だった。走ってきたのか息が荒い。 「減るもんでもなかろうが」  ふん。と、鼻で笑って、黒羽が答える。 「お前に触られたら減るんだと前に言っただろう。覚えていないのか? 鳥頭」  鈴は、大抵菫以外の誰に対してもフラットだ。恐らく、かなり懐いている葉や貴志狼に対してもほぼほぼ無だ。  それなのに、黒羽に対しては違う。誰が見てもすぐに分かるくらいに敵対心を露にする。最初からそうだった。 「菫さん。何かされませんでした? 大丈夫ですか?」  おそらくは、十人中九人までは、鈴の様子を見れば、その理由がわかるだろう。むしろ、分からない方がおかしい。けれど、その理由が分からなくて、菫は戸惑っていた。 「大丈夫。てか、なんでここにいること……」 「鈴が鳴って。また、無理矢理連れてこられたんですか?」  ここには近づかない方がいいと、鈴からは忠告を受けていた。それに、大抵ここへ来るときはどこでも〇アで直通だった。だから、鈴はそんなふうに聞いたのだと思う。 「……や。その」  けれど、菫は自分でここへ来たのだ。鈴の忠告を無視して。  菫だって近づかない方がいいとは思っている。それでも、言い訳をするならノートは大事だったし、狐が致命的に危険なものだとは思っていなかった。 「俺が『呼んだ』」  腕組みをして、にやり。と、笑みを浮かべて黒羽が言う。  それが、嘘なのだと、菫は知っていた。 「あー。勘違いするなよ? 忘れもんを返してやっただけだ」  黒羽の言葉に、鈴が疑わし気な視線を投げる。  狐は化かす性質の生き物だと、菫は思っているし、黒羽も自分をして嘘つきだと言った。けれど、その嘘がどんな意味を持っているのか、菫は気付いてしまった。  そして、それを、鈴は知らない。 「本当ですか?」  一瞬考えてから、鈴は菫に聞いた。黒羽の言葉を信用できなかったのだろう。 「あ」  菫は自分の意志でここへ来た。けれど、忘れ物を返してもらったのは本当だ。  ちらり。と、黒羽を見ると、黒羽は視線だけで答える。『そうしとけ』と、聞こえたような気がした。 「……それは」  そうだ。と、答えるのが楽だとはわかっていた。きっと、菫がそう答えたら鈴は信用してくれるだろうし、元々鈴と黒羽の仲は良くない。今更、少し菫にちょっかいをかけたところで、これ以上関係性は悪くなりようがない。レシピノートは返してもらったのだから、全部嘘でもない。だから、そうだ。と、答えてしまおうと、一瞬だけ思った。 「違う」  でも、口から出たのは否定だった。 「レシピノートなくしたのに気付いて、自分から来たんだよ。大事なものなんだ。ここしか思い当たらなかったから」  黒羽は菫の言葉にため息を吐いた。『言わんでいいことを……』と言外に語っているような表情だ。  菫だってそう思う。 「返してもらったのはホント」  ただ、鈴に嘘をつきたくない。それが、多分一番の理由。 「ここに……近づかない方がいいって、俺、言いましたよね?」  ぴり。と、空気に鋭角な何かが混ざったような気がした。  怒ってる?  菫は思う。  鈴を怒らせるだろうことは、わかっていた。それでも、肯定できなかったのには、もう一つ理由がある。黒羽に゙罪を着せるようなやり方に酷く嫌悪感があったからだ。  そして、豪快で皮肉屋のその男が、そんな嘘を吐くのが意外だったし、それが誰のためなのか、何のためなのか、考えると菫は少し怖かった。  黒羽のたくらみが。ではない。その優しい嘘を受け入れてしまう自分が。だ。 「うん」  だから、菫が素直に答えると、直ぐに空気は元に戻った。代わりに菫から視線を逸らし、鈴は黒羽を見ていた。視線が交錯する。 「ごめん。鈴を煩わすようなことじゃないって思って……のぶ……あ。や……黒羽が持ってて返してくれたし」  黒羽の名前を『のぶ』と呼んでしまってから、はっとして、菫はすぐに言い直した。言い直してから、言い直したことを後悔する。この場面で多分一番に鈴を不快にさせたのはきっと、この言い直しだ。 「帰ろう」  びく。と、身体を強張らせてから、鈴が菫の手を乱暴に握る。 「……あ」  否。と、言う暇はなかった。  腕を引かれるまま、鈴に従う。  振り向くと、ゾッ。とするような冷たい目で、黒羽は鈴を見ていた。だから、菫は黒羽にも何も言えなかったのだった。
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