01話 死なない軍隊①

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01話 死なない軍隊①

 満月が帝国軍の野営地を照らしていた。  野営地付近では、哨戒に出た男が一歩進むたびに地面に落ちた枝をパキリと鳴らす。  月の光が照らすのは野営地だけではない。暗い森の木々の隙間から光を吸い込むのは、哨戒に出た男の長い銀色の髪。男は貴族であり騎士であった。  名前はシグルズ・フォン・ヴェルスング。  戦争をしている一方の当事者、ミドガルズ大帝国に仕える騎士である。  だが、その表情は忠義や正義感に満ちた顔と表現するのはいささか難しい。 「まさか小国にここまで翻弄されるとはね……我が国ながら情けない」  ため息とともにシグルズの独り言は森の闇に溶けた、……と思いきや呑気な声に拾われた。 「大帝国サマがこんな泥仕合を続けるなんて、誰も思っていなかっただろうさ」  シグルズと哨戒を組んだ南方の貴族バオムはくたびれた笑いを漏らした。スキットルに入れた酒をわずかに口に含んだ。  夜間哨戒は二人組で担当する。何かあったときは一人が事態に対応し、もう一人が野営地に報告に行く仕組みだ。 「あんまり飲みすぎるなよ」  シグルズは眉を寄せて低い声で注意する。  それほど語気強くなれないのは、先ほどそのスキットルの中身をわずかながら裾分けしてもらったからだ。  ミドガルズ大帝国―――通称「帝国」は、8年前に流血革命によって新皇帝が即位していた。 「このままだと帝国は近いうちに武力による敗北を経験し、近隣諸国に併合されるだろう。大帝国と恐れられる軍事国家を作ることがミドガルズの最優先事項である」。  新皇帝ゲオルグは即位式で大々的にそう宣言した。帝政国家であり、軍事国家でもある帝国が富国強兵を進めている最中に起きたのが今回の戦争だ。  きっかけは、隣に位置する小国家ニーベルンゲンとの国境で起きた衝突。  帝国人の誰もが、弱小国家との衝突など全く気にしていなかった。  数日で片付くと思っていた。  その甘い考えを捨てることになったのは国境紛争の翌々日のこと。  これが二年戦争の始まりだった。 「ニーベルンゲンの奴らは神出鬼没だ。気配がないのに急に現れて襲いかかってくる。そりゃ少しくらいは飲まないとやってられないと思わないか、シグルズ?」  バオムは所持しているかがり火を見ながら言う。シグルズも似たようなことを思っていたのでうまい返事ができず「まあな」とだけ返した。 「どこに現れるか分からない、何度殺しても立ち上がる………。まさに死者の軍団じゃないか、ニーベルンゲンの兵士どもは」  帝国と隣接する信仰国家ニーベルンゲンは、20年ほど前にできたばかりの多民族が入り混じる小国だった。  それまで帝国と敵対することはなかったし、悪い関係でもなかったはずだ。  だが先の国境紛争で事態は一変した。  国境紛争の翌日、ニーベルンゲン側が夜襲を仕掛けてきた。  それも国境に配置された辺境伯の領地を飛び越え、帝国の領土深くに侵入。国境から100キロほど離れた伯爵家の土地が襲われた。戦いに慣れていない伯爵および伯爵の軍は一夜で壊滅。  使われたのは薬物兵器。  ほとんどの兵士が即死だったと推測される。  今、シグルズやバオムが哨戒(しょうかい)をしている野営地は、ニーベルンゲンに向かって進軍を続けている帝国軍先発隊のものである。  帝国軍の戦力の要は、皇帝および帝国に忠誠を誓う騎士たちだ。  騎士の家系は代々騎士としての武芸を磨き、特定の年齢になると帝都アースガルズにある皇宮に出仕。  そこで騎士としてのマナーや精神、戦術を学び、厳しい試験を取った者のみが皇帝に肩を叩かれ「帝国騎士」となる。  シグルズは帝都に近い場所に領地を持つ名門ヴェルスング家の若当主。一方バオムは南方に領地を持つ騎士の家系だ。 「確かにあの鬼気迫る戦い方は尋常じゃないな。―――なんにせよ、ニーベルンゲン兵が何度でも立ち向かってくるなら何度でも切り殺すさ」  表情を変えることなく淡々と返すシグルズに、バオムはひゅう、と口笛を鳴らす。 「さすがヴェルスング家の若様は違うな。正直、お前と同じ部隊に配属されて良かったと思ってるよ。生きて帰れる確率が上がる。今じゃ国中『白銀の騎士』の話題で持ちきりだしな」 「バオム……」  シグルズは苦虫を噛み潰したような表情になった。こちらもまた酔わないとやってられない話題だ。  ヴェルスング家は騎士家の名門と呼ばれている。  現在その当主を務めているのがシグルズ。若干25歳。若当主と呼ばれることもある。
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