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遭難事故の話
老婆の話しは三十年近く前というから、今から数えれば六十年にはなる。当時、三十代だった私は、山陰に掛かり始めた太陽を気にしながら時計を確認し、その話に飛びついた。
「その頃はまだスキー客も多て、鄙びはしたもんの、温泉宿もスキー客が訪れる時期にはようけ繁盛しとりましてな――」
老婆によると、都会から訪れるスキー客相手で宿泊施設が繁盛していた当時、温泉宿には芸者を兼ねる者も含め十数人ほどの仲居が居たという。
「こんな場所だから、若い衆の働き口も限られとって、多くは村を出て行きやったけど、何人かは留まる子もおったとです――」
仲居の多くは所帯持ちで、村での共働きか夫が出稼ぎに行っている。その中には幾人かの若者も居た。家庭の事情などで村に残った者達なのだろう。働き口が限られる以上、一度村を出た者が帰ってこられる環境ではない。例外的に村へ訪れた旅人に見初められる者も居たそうだ。村を出るとは、捨てると同義なのだ。
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