1.私、また捨てられたんだ⋯⋯。

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1.私、また捨てられたんだ⋯⋯。

 春の日差しが暖かくて気持ちが良い。  今日は花々に囲まれたガーデンにお茶の席を設けた。  集まった貴族令嬢たちとの大好きなお喋りの時間だ。  甘い花の匂いに包まれて私はまた幸せで楽しい時を過ごした。  美味しいものを食べて、会話をすることの幸せを噛み締められるようになったのは前世の記憶を取り戻してからだ。  孤立していた私に友人ができたのは、バラルデール帝国でできた初めての友人ジョージのおかげだ。  恋を知らず、人の好意を利用し「魔性の悪女」と呼ばれた私が愛し、愛される人に出会える日が来るとも思っても見なかった。  それまでの私はマルテキーズ王家の為に身を捧げるだけで、何をしても空虚に感じるつまらない女だった。 「では、皆様、またご一緒しましょうね」    今日はこれから、夫のアレクと春の植物を観察するお散歩に行く約束をしている。  私は令嬢たちとの交流を終え、政務会議をしている彼のことを重い扉の前で待った。  バラルデール帝国の皇城内は、私の育ったマルテキーズ王城とは構造も違う。  マルテキーズ王城の扉は薄く、聞き耳をたてれば中の声が聞こえる。  バラルデールの議場の豪華で重い扉の中の声が聞こえるのは恐らく私だけだ。 「だから、余はモニカ以外の妻は迎えないと言っただろう」  重い扉の内側から聞こえてくる愛するアレクの声に胸が熱くなる。  私がアレキサンダー・バラルデール皇帝の元に嫁いでから1年が経つ。  一向に私が懐妊しないので、彼は今日も貴族たちから新しい妻を迎えるように言われたようだ。  議場の重い扉が開くと、肩までつきそうな黒髪にエメラルドグリーンの瞳をした愛しのアレクと目が合った。 「モモ、待たせたな。一緒に散歩に行こうか」  私は彼がエスコートしようと差し出した手に手を重ねる。  彼の指先が冷え切っているのが分かって、私の体温を伝えようと手を握った。 「アレク、髪が伸びましたね。あとで髪を切らせてください。長い髪も素敵だけれど、これから暖かい季節になります」  彼は伸びた前髪をいじりながら頷いた。  私は議場での会話が聞こえなかったフリをしながら、彼と一緒に城の庭園まで来た。  「あっ! タンポポです。可愛い⋯⋯」  私がしゃがみ込んで発した言葉に、アレクが吹き出した。  「雑草じゃないか。花が好きな君のために沢山春の花を植えさせたんだ。チューリップ、ヒヤシンス、スイトピーにマーガレット⋯⋯あとで、花束にして君の部屋に送ろう」  確かに皇宮の庭園の花は色とりどりで美しい。  どれも最高級品を揃えていて、手入れも行き届いている。  それよりも、庭師が摘みそびれた雑草に目が行くのは私が前世で捨てられた雑種犬だったからだろう。 「花の命は短いので、切ったら可哀想です。それよりも、アレクとまたここに散歩に来たいです」  急に彼に抱きしめられて、私は顔を上げようとしたが彼が泣いているのがわかってやめた。 「俺は取り返しのない罪を犯した。愛するモモになんてことをしてしまったんだ⋯⋯」 「今、悩んでますよね。私はアレクが新しく妻を迎えても平気ですよ。その方とも上手くやってみせます」  風が吹いて、タンポポの綿毛が舞い上がるのが見えた。  また、新しい命が始まろうとしている。  私のプラチナブロンドの髪が風にで広がりそうなところをアレクがそっとおさえた。  私が後継者を産めなければ、彼が他の女を迎えなければならないのは仕方がないことだ。 「俺が必要なのは君だけだ。モモ、君を皇后にしようと思っている。結婚式も挙げよう」 「それは、難しいと思います。貴族の反対は避けられません⋯⋯」  私は不妊の可能性が高い上に、好戦的で警戒しなければいけないランサルト・マルテキーズ国王の娘だ。 「反対意見など、ねじ伏せて見せるさ。俺がどれだけ悪名高い暴君か知っているだろ」  彼が暴君と言われていたのは私が嫁ぐ前の話だ。  今の彼は理想の君主として、帝国民から愛されている。 「アレクは歴史に残る名君ですよ」  顔を上げてアレクの瞳を見ると、彼の瞳は潤んで宝石のように輝いていた。 「もし、俺がモモの言う通り名君なのだとしたら、愛しい君に釣り合うように行動した結果だ。俺は永遠にモモだけを愛し抜く」  そう言って、彼は私の頬を両手で包み込み口づけをしてきた。  彼の掛けてくれる言葉が、2度も捨てられた元捨て犬の私にとってどれほど嬉しいかを彼は知らないだろう。  ♢♢♢  ⋯⋯1年前⋯⋯マルテキーズ王城⋯⋯  父に呼ばれて国王の執務室に向かう。  鼻歌混じりに何やら楽しそうな父は、私を見るなり口元を歪め悪い顔をした。  私と同じプラチナブロンドの髪に空色の瞳をした父ランサルト・マルテキーズは野心家だ。  ランサルト・マルテキーズの治世になってから、父は他国を攻め続け現在のマルテキーズ王国は先代の治世の2倍の大きさになった。 「モニカ! バラルデール帝国の若造皇帝がお前を皇妃にしたいと言ってきた。愚かだな⋯⋯お前を人質にすればマルテキーズ王国が攻めてこないとでも思っているのだろう」 「本当に愚かですね。しっかりと役目を果たしてきますわ、お父様。全てはマルテキーズ王国の為に」    父の考えは特に指示を貰わなくても、手に取るように分かった。  私の役目は夫になるアレキサンダー・バラルデールを籠絡すること。  (彼を私の美貌で虜にするか、毒を少しずつ盛るか⋯⋯)    18歳で成人したばかりの私を所望してくるなんて、アレキサンダー皇帝は女嫌いだと聞いていたけれど所詮は盛りのついた男だったようだ。  父の執務室を出ると、空色の髪と瞳をした兄のマルセル・マルテキーズが壁に寄りかかっていた。 「アレキサンダー皇帝陛下も、結局お前の美しさに手を伸ばしたくなったのだろうな。お前が、恐ろしい毒針を持ったハチだとも知らずに」  私は生まれた時から父からは、兄である彼の為に生きるように教えられてきた。 「ふふっ! 来年のお兄様の誕生日プレゼントはアレキサンダー皇帝陛下の首で宜しいですか?」  「なかなか洒落たプレゼントを考えてくれるじゃないか。愛しい僕の妹は⋯⋯」  私の腰まで伸びる髪を優しく撫でてくる兄の手に身を委ねた。  なぜだか、昔から髪を撫でられるのが好きだ。 「お兄様のお気に入りのレイ・サンダース卿を連れて行きますよ」 「いいだろう。確かにベストな人選だ」  焦茶色の髪をした、レイ・サンダース卿は常に虚な目をしているが暗殺術に長けている。  今までも、彼には兄の命令で多くの邪魔者を秘密裏に処理してきた実績がある。  きっと彼は目的を達成する役に立つだろう。  私は専属メイドのルミナを連れていくことにした。  青色の髪に琥珀色の瞳をした彼女は物心つく時には私の側にいてくれた人だ。  母を亡くしてからは、私にとってルミナは母親代わりのような女性だ。  恐縮する彼女に無理を言って、馬車の隣の席に座らせた。  バラルデール帝国に向かう途中、馬車に揺られ深い森に入った。  木々が鬱蒼としていて、まだ夜でもないのに暗い。 「姫様、この森を抜けると、やっとバラルデール帝国領のようです」  初めて家族と離れるからか、不安と言いようのない恐怖に囚われている。  家族同然に思っているルミナにせめて側にいて欲しいと思い寄り添った。 (この気持ちは何なの? 森に入ってから不安な気持ちが抑えられない)  ガタン!  馬車が大きく揺れて、馬に乗り並走していたサンダース卿から声をかけられた。 「姫様、溝に馬車の前輪がはまったようです。1度、馬車をお降り頂けますでしょうか」 「分かったわ」  なぜだか、馬車を降りるのが怖いと感じた。  私をエスコートしようとしたサンダース卿の手をギュっと握りしめてしまう。  彼の焦茶色の瞳が不思議そうに揺れていた。  馬車の外に出た途端、木々や土の匂いと鳥や遠くで吠える獣の声を感じる。  森の中が騒がしく感じるのはなぜだろう。  木や土の匂いも意識したのは初めてだった。  (私の感覚が異常に鋭くなってる?)  瞬間、前世で2度目に捨てられた時の記憶が走馬灯のように蘇るのを感じた。  あの時も、森の中だった。  私はこの世界ではない日本という国で生まれた雑種犬だった。 「モモみたいな見窄らしい雑種犬より、お洒落なトイプードルとか、可愛いチワワを買ってあげるから」  私を動物愛護センターから引き取ってくれたお母さんが、車から私を出してお気に入りの桃色の首輪を外す。 「僕はモモがいいよー」 (大好きだった、6歳の男の子ルイ⋯⋯) 「モモは人に噛みついた馬鹿犬だろ。こういう場所で野良犬をやっている方があっているんだよ。今度はラブラドールレトリバーとか、賢い犬を飼おう」  休日の散歩担当だったお父さんが、私から離れようとしないルイを抱っこして車に乗せた。  私を置いて離れて行く車を必死に追いかけたが、見えなくなった。 「わん、わん!」  私はずっと車が去った方向に何日も歩き続けた。 「わ⋯⋯ん⋯⋯わ⋯⋯」  雨が体を濡らし、空腹で足が止まり私は死んだのだろう。  私が噛みついたのは、近所の悪いおじさんだ。  おじさんはルイのような幼い子に悪戯をしていた。  私は彼にルイが連れてかれそうになったので、その腕に噛みついた。  おじさんは、ルイの両親に私を殺処分するように要求し慰謝料を払わせた。  私は他の犬とは違い、人間の言葉を理解できた。  それでも言葉を発して状況を説明しようとしても、吠えることしかできなかった。  「私、また捨てられたんだ⋯⋯」  今の私は言葉が発せられる。  人間になることにずっと憧れていた。  人間になれたら大切な人を守る為に噛み付くのではなく、もっと賢い手段を取れる。  私はマルテキーズ王家から捨てられた。  父に王家の為、兄の為に生きるように育てられたが、私はアレキサンダー皇帝に撒かれた餌に過ぎない。  5年前に私を王太子にしたがっていた母が亡くなった。  私自身は国を支配したいなどと言う野望はなく、ただ愛されたいだけだった。  だから、立太子した兄に尽くした。  父と兄の役に立てば、必要とされて大切にされると思ったが甘かった。  必死に彼らの為に動いた結果、捨てられているのだから目も当てられない。     私は意気揚々とアレキサンダー皇帝を陥れようと決意し、帝国行きの馬車に乗り込んだはずだった。  バラルデール帝国が滅ぶような日には、皇妃になる私も生きてはいられないだろう。  私の死など、父や兄にとっては織り込み済みのはずだ。  犬だった時、物心ついた時には動物愛護センターにいた。  捨て犬と呼ばれた私が、新しい生活に期待しルイの家で暮らした。  3年間は可愛いルイの姉になった気分で楽しい生活をした。  私は前世で2度捨てられている。   「姫様? 馬車の準備が整ったようです」 「今、行くわ。私の新しいご主人様に会えるのが楽しみ」  今度の私は捨てられない。  新しいご主人様になるアレキサンダー・バラルデール皇帝がどのような方でも、私は彼を守る忠犬になってみせる。  そして、生涯をご主人様と共に生きるのだ。
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