20.裏の仕事は1度の失敗が命取りなのよ⋯⋯。

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20.裏の仕事は1度の失敗が命取りなのよ⋯⋯。

 酒場に入ると、灰色の髪をした初老の男が目に入った。  昼から酒を煽って、だらしなくカウンターに突っ伏している。  飲食を扱う場所なのに店全体が埃っぽくて、私は思わず顔を顰めた。 「まだ、開店前です」 「当然よ。まだ昼だもの。昼からお酒を煽っているような貴方に用はないわ。私は皇妃モニカ・マルテキーズよ。暗殺ギルドの長に会いにきたの。仕事の仕方が3流だから、もう皇家からの仕事はない事を伝えにきたのよ」  私はだらしのない男の目を覚ましてやることにした。 「俺がこのギルドの長だ。見かけによらず生意気な女だな。皇妃だと? 雲でも食べてそうなお前がか?」  馬鹿にしたように笑う名も名乗らぬギルド長に溜息をついた。  皇帝のアレキサンダーに尻尾さえ振っておけば、私のような小娘の機嫌を取る必要はないと考えているのが丸わかりだ。  私は悪評込みで有名人なので、当然彼は私の事を知っているはずだ。  それなのに知らないフリをして、大物ぶっていて滑稽だ。 「威嚇すれば怯むと思っている。女であるから自分より劣っていると誤解している。貴方と話すだけ時間の無駄ね。クレアを出しなさい。皇族暗殺未遂で処刑してもらわないと」  私が告げた言葉がよっぽどムカついたのか、ギルド長は包丁を投げてきた。  少し私の髪を掠って、プラチナブロンドの髪が床に落ちる。 「威嚇しても無駄と言ったでしょ。私の体に傷をつけていたら、このギルドごと潰れていたわよ。皇族暗殺未遂で、あなたの親族もみんな処刑ね」 「チッ!」  私たちのやり取りが聞こえたのか、奥からクレアが出てきた。  彼女の憂いを帯びた薄茶色の瞳を見た途端、怒りが込み上がってくる気がした。   暗殺など裏の仕事をする自分の人生を憂いて自分に酔っているような目つきだ。 (裏の仕事は1度の失敗が命取りなのよ⋯⋯)  黒いパンツを履いて動きやすそうな格好をしていると男性のようにも見える彼女は、私の与える仕事を無事に果たせそうだ。 「皇妃殿下、私は皇命に従ったまでです。それに、私はメイドのフリをして弱毒性の毒草を食事に盛っただけです。皇妃殿下に対する暗殺命令は出ておりませんでした」  彼女が弁明してきた言葉に、私はアレキサンダー皇帝が私に毒を盛った事を確信した。  今、心臓を握り潰されそうなくらい苦しい。  ルイを追って冷たい雨で凍えそうになる中、只管に車のいった方を追いかけた時に感じた絶望に近い。  私の中で陛下への未練が一切なくなった。 「スレラリ草を長期に摂取したことで亡くなった皇族の方がいるのはご存知かしら? クレアは毒を摂取したこともないのね。勝手にスレラリ草を弱毒性と決めつけているけれど、私の体に合わなければ1度の摂取でも死んでいたのかもしれないのよ」  耐性をつけるために、毒を飲み続けさせられた私にだから分かる。  痺れを起こす弱毒性の毒をほんの少し摂取させられた時、私の体は過剰反応を起こし痙攣状態に陥り死にかけた。  人には体質というものがあり、相性の悪い毒だと弱いと言われるものでも猛威をふるう。  スレラリ草はバラルデール帝国では女を不妊にさせる薬としてよく使われるものだ。  きっとカイザー皇子の母親も死に至るとは思わず、タルシア・バラルデール皇后に盛ってしまっていたのだろう。 「クレア、無駄だからもう諦めろ。この女⋯⋯皇妃殿下はお前に弁明を求めていない」 「その通りよ。ギルド長⋯⋯クレア、貴方には来週あたりに行われる断頭台の処刑に罪人として参加して死んでもらうわ」 「えっ? なぜですか? なぜ、私が死なないといけないのですか?」 「貴方、暗殺者でしょ。散々、人を殺してきて、自分が死ぬ日が来る事を予想もできなかったの? 頭から布を被って元名門貴族家の1人として数合わせの参加よ。メイドの仕事より簡単だから、ちゃんと務めるのよ」  私の言葉を理解できないのか、もげそうなくらい首を振りながらクレアは必死にギルド長に助けを求めている。  今思えばクレアは本職がメイドではなかったから、必要以上に仕事が丁寧だったり目を逸らしていたのだろう。  あの時に彼女の正体に気がつければ良かったのに、私は新しい主人のアレキサンダー皇帝が優しそうに見えて浮かれてしまっていた。 「クレア⋯⋯お前は任務に失敗したんだ。暗殺者は任務に失敗したら死ぬしかない。皇妃殿下⋯⋯約束通り、クレアは処刑に参加させる。だから、このギルドには手を出さないでくれ」 「処刑の執行人の根回しは全て私の方でやらせてもらうわ」  私は後ろで啜り泣いているクレアを背に店を出た。  ♢♢♢  隠し通路は、横に水が細く流れていてどこまでも続いているようだった。  通路にはわずかな灯りしかなく、ほとんど何も見えなくて怖いが進むしかない。  皇族になっても隠し通路さえ教えて貰えなかったなんて、本当に私は信用されなかったようだ。  しばらく歩くと遠くに鳥の鳴き声が聞こえてきた。  城内では聞いたことのない種類の鳥の鳴き声なので、おそらく通路を抜ければバラルデール皇城外だ。  瞬間、何かを壊した大きな物音が遠くからした。  急に進行方向から走るような足音が聞こえてくる。 (嘘? もう、私がここにいることがバレたの?)  処刑に関わる人間は全員、ネタで脅して口封じできているはずだ。  プルメル公爵家一族がクレアを見て、うるさく騒がないように喉を焼いておくように伝えておいた。  クレアは男性のようにガッチリしている体型だから、誤魔化せるかと思ったが偽物だと気がつかれてしまったかもしれない。  「モニカ!」  聞こえてきた、低い声には聞き覚えがあった。  アレキサンダー皇帝だ。  地上で馬に乗って、出口の方に先回りされてしまったのだろう。  (嫌だ、もう陛下と会いたくない)  私は咄嗟に来た道を走って戻ろうとしたら、後ろから抱きつかれた。  温かくてホッとするような、見かけに寄らず意外と爽やかな香りがする陛下だ。 「離してください。もう、陛下とは離縁すると伝えたはずです」 「俺が君と離縁しないと言えば、離縁は成立しないはずだ」  強く抱きしめてくる陛下が、頑なに離縁を拒むの理由がイマイチわからない。執着を感じて離縁を拒否される可能性は予想していたが、プライドが高いから結局は受け入れると思っていた。 「私は、子供が産めないのです」 「子供なんていらない。モニカさえいれば良い。君のことを心から愛している」 「陛下は本当に勝手ですね。私は子供と手を繋いで散歩をするのが夢だったんです。もう、叶わなくて、夢見るのさえ辛いのです。貴方の顔も見たくない⋯⋯」  私は思わず本音が漏れてしまった。    自分が子供が産めない体にされたのが悔しい。  ルイのお母さんが彼を宝物のように扱っていたのを見た時から憧れていた。  私に厳しいと思ってた母の愛を知った時に、私も子供ができたら愛したいと思った。    「モニカ⋯⋯毎晩、子作りしよう。きっと、できるよ。君に似た可愛い子が⋯⋯」  私を振り向かせ、陛下が真剣な眼差しで伝えてきたのは呆れてしまうような言葉だった。 (何言ってるの?⋯⋯不妊になる毒を私に盛っておいて⋯⋯) 「絶対、嫌です。私の心を得ない限り、私を抱かないのではなかったのですか? 陛下の女嫌いの噂は何だったのですか? 本当は、いやらしい事が大好きな変態皇帝ですよね⋯⋯」 「変態皇帝は酷くないか? 俺は君に、やっとの思いで愛を伝えたのに⋯⋯房事の回数を増やして欲しいと強請ってきた君は1ヶ月前には存在したはずだぞ」  私は新しいご主人様である陛下にとにかく擦り付いていた自分を思い出して居た堪れなくなった。
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