3.早く、陛下の妻になりたいので今サインします。

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3.早く、陛下の妻になりたいので今サインします。

 バラルデール帝国の皇帝になり、半年で早く妻を娶るようにと周囲が煩くなった。  半年前、皇帝であった父が亡くなったのは間違いなく暗殺だ。    父アルガルデ・バラルデールは保守的で、好戦的なレイモンド・プルメル公爵と度々対立した。  父の死因は心不全とされているが、俺はレイモンド・プルメル公爵が裏で手を引いたと思っている。  若くして公爵位を継いだレイモンド・プルメルは、貴族派の筆頭で宰相職にもついていて強い発言力を持っている。  父、アルガルデ・バラルデールは高齢で政務から離れ気味にもなっていたので、レイモンド・プルメル公爵が俺の留守中には皇帝のように振る舞っているとも聞いていた。  俺がレンダース領の暴動を鎮める為に遠征している時に、父の死の知らせが届いた。  バラルデール帝国に戻るなり、俺は皇帝に即位した。  俺はどこか壊れているようで、人を切ることに何の躊躇いもなかった。  むしろ、窮屈な皇城でくだらない貴族の権力争いを見ていると戦場に出たくなった。  たかだか、辺境の領地の暴動鎮圧に俺が出向いたのは暴れたくなったからだ。  まさか、俺の留守中に父が亡くなるとは思っても見なかった。  俺の荒っぽさは皇太子時代からバラルデール帝国だけでなく世界中に伝わっていて、皇帝になると「暴君」と影で囁かれるようになった。    そして、最近何やらマルテキーズ王国周辺が騒がしい。  その元凶がランサルト・マルテキーズ国王だ。  野心家の彼は国民に徴兵の義務を化し、屈強な軍隊を作った。  彼の息子であるマルセル・マルテキーズも計略に長けている。  そして、絶世の美女と噂の彼の娘、モニカ・マルテキーズは「魔性の悪女」との異名まである恐ろしい女だ。  騙されていると分かっても、各国の政府の要人は彼女にはまり機密情報を漏らしてしまうらしい。  「陛下、恐縮ですが、そろそろ妻を娶られませんと後継者の問題もありますし帝国民に不安が広がります」  レイモンド・プルメル公爵がに妻を娶るようにとしつこく迫ってくる。  そして、次に彼は自分の娘である俺と同じ歳のマリリン・プルメル公女を薦めてくるだろう。  マリリンもプルメル公爵に似て野心家で、幼い頃から俺に擦り寄ってきた。  父親と同じ銀髪に紫色の瞳をしていて顔立ちも似ているので、たまに公爵が女装して纏わりついて来ているように錯覚しゾッとした。  いつも彼女は甘ったるい香水をつけているが、匂いがきつくて近寄られると吐きそうになる。 (まあ、マリリン以外の女もみんな臭い女ばかりで⋯⋯不快だ) 「女は好きじゃないんだ」 「陛下が男をお好みだとしても、お飾りの女は必要だと思います。マリリンであれば立場をわきまえ、口を噤むと思います」  俺は自分の耳を疑った。  俺が21歳まで女の噂がなかったせいで、どうやら男が好きだと疑われ始めている。  俺は女も嫌いだが、男も嫌いだ。  信頼できる人間など1人もいない。  皆、足の引っ張り合いをし、おべっかを使い擦り寄りながら裏で馬鹿にしている。  唯一、愛おしいと思える人間は、まだ4歳の弟のカイザーだけだ。  彼は母親が罪人として処刑された事にも気が付いていない幼い子で、俺が守ってあげなければならない。  カイザーの母、エステラ・アーデンは17年前にバラルデール王国の皇妃になった。  彼女は、皇后である俺の母タルシア・バラルデールに毒を盛った罪が明らかになり処刑された。 (もっと早くエステラ・アーデンの悪事に気がついていれば、母上の体調もここまで悪化しなかった⋯⋯)  母は、エステラ皇妃に毒を長期に渡り盛られ続けたことで、今は死の淵を彷徨っている。 「俺はプルメル公爵の娘には全く唆られないんだ。そうだな、絶世の美女と名高いモニカ・マルテキーズなら妻にしても良いぞ」 「陛下、ご冗談を⋯⋯魔性の悪女を妻にするなど帝国に爆弾を持ち込むようなものです」 「でも、勃たなかったら、子供もできないだろ」    勝手に男色扱いしてきて、何かにつけて娘を薦めるレイモンド・プルメル公爵がむかついたので俺はモニカ・マルテキーズを妻にすることにした。  彼女のような危険な女を皇帝と同等の地位である皇后にするのは自殺行為だ。  だから、俺は彼女を皇妃として迎えることにした。  馬車から飛び降りてきたモニカ・マルテキーズを見た時は、妖精が飛び出してきたのかと目を疑った。  ふわっと舞い上がる艶やかなプラチナブロンドの髪に、澄んだ空色の瞳。  一瞬で心を持ってかれそうになり、俺は警戒心を強めた。  俺は彼女しか妻を娶る気がなかったので、結婚式を予定していたが中止することにした。  彼女のウェディングドレス姿は女神のように美しいだろう。  見惚れて彼女に取り込まれる機会は少なくした方が良い。    房事の話をしながら、自分が彼女に溺れたら帝国は終わると自分に言い聞かせた。  モニカ・マルテキーズに出す食事にはクレアに指示して、スレラリ草を擦り付けてから出させた。  スレラリ草は女性が食べると不妊になる帝国由来の毒草だ。  母も長きに渡りスレラリ草を皇妃からお茶に煎じて飲まされていた。 それゆえ、母は父から寵愛を受けていたが俺以外の子ができなかった。  俺はモニカ・マルテキーズに皇族を産ませるつもりはなかった。  そもそも、俺は子供を作るつもりがない。  俺が子を作らなければ、カイザーが俺の後に皇位を継げるだろう。  罪人の息子の彼に皇位を継がせるのは反対があるだろうが、彼しか選択肢がないなら貴族たちは受け入れるしかない。  彼女が連れてきた、専属メイドと護衛騎士は念の為、冬の塔に拘束した。  俺が暗殺者であるクレアをメイドとしてモニカの側に置いたように、彼女の連れてきた2人もおそらく普通のメイドや騎士ではないはずだ。  これから、モニカ・マルテキーズを抱くと思うと、女を抱くのは初めてでもないのに異常に緊張した。  気が付くと気配を消して、音を立てないようそっと彼女の部屋の扉を開けた。  ベッドに、繊細なレースの重なったネグリジェを着たモニカ・マルテキーズが寝そべっている。  まるでその姿が雲の上で眠っている天使のようで見惚れてしまった。  サインをさせるつもりで持ってきた結婚誓約書は、思わず手から離れて床に落ちていく。  息を止め近づくと、彼女は目を瞑り自分は幸せだと呟いていた。  俺は彼女をもっと危険な香りのする女だと思っていた。  しかし、目をそっと開いた彼女の空色の瞳はとても無垢な色をしている。 (ダメだ⋯⋯俺がこの女に堕ちたら帝国は終わる)  俺は女の香油の匂いがどぎつくて嫌いだが、彼女からはふわっと甘い桃の香りがする。  体も全て桃のように甘く、俺は彼女が自分をモモと呼ばせようとした訳を知った。  (魔性の悪女だ⋯⋯本当に気をつけないと⋯⋯) 「陛下、房事は月に1回なのですか? 私はもっと沢山陛下と一緒にいたいです。陛下の温もりと香りに触れていたいのです」  (それは、俺もだ⋯⋯)  一瞬、頭に浮かんだ考えを首を振って掻き消した。  彼女は俺の子を産んで、その子を後継者に指名させた後に俺を暗殺する気なのだろう。  そうすれば、1番簡単にマルテキーズ王国がバラルデール帝国を乗っ取れる。 (自分の体まで使って、なんて毒婦だ⋯⋯⋯) 「バラルデール帝国の皇妃になる女がそのような事を言うなんて、はしたないと思え。房事の回数は変えるつもりはない」  俺がガウンを着て立ち去ろうとした時、床に結婚誓約書が落ちているのが見えた。  本来ならば、結婚誓約書は結婚式の時にサインするものだ。 「結婚誓約書を机に置いておくから、後でサインして提出するように」  机に結婚契約書を置いて立ち去ろうとすると、シーツを体に巻きつけた彼女がすぐ後ろまで来ていた。 (気配を消していた? やはり、普通の女ではない⋯⋯) 「早く、陛下の妻になりたいので今サインします」  頬を桃色に染めて、彼女は羽ペンにインクをつけてサインをし出した。  その横顔はうっすらと微笑んでいて、真っ白なウェディングスドレスを着ている女神のように見えた。    はらりと体に巻きつけているシーツがはだけそうになり、慌てておさえてやった。 「ありがとうございます。陛下は、お優しいですね。サインしました。宜しくお願いします。ご主人様」  ご主人様などと変な呼び方をしてきたので注意をしようとしたが、彼女が俺を慕うような目で見つめてきて気がつけば許していた。  結婚誓約書には既にサインしてあった俺の名前の隣に、彼女の名前が書いてあった。 (衝撃だ⋯⋯見た目からは想像できない字の汚さだ⋯⋯)  俺は危険とまで恐れられる彼女の欠点を見つけてしまったことで、愛おしさが込み上げてきた。  思わず彼女を抱きしめ、口づけをしてしまう。  (甘い桃の味がする気がする⋯⋯)  俺が唇を離して目を開けると、彼女も目を開けて美しい空色の瞳を見せた。 「いや⋯⋯これは、略式の誓いの口づけだ⋯⋯」  謎の弁明をした俺の頬を包み込み、彼女が唇をぺろりと舌で舐めてくる。  俺はそのような誘惑の仕方をされたことがなくて、絶句してしまった。 「陛下、もっと一緒にいたいです⋯⋯」  女神が俺にもっと天国で遊んでいきませんかと誘惑してくる。  しかし、本当にあの世の天国に行く危険性を俺はしっかりと察知していた。 「今日は長旅で疲れているだろうし、俺はここで失礼する」  立ち去ろうとした俺のガウンの裾を彼女が引っ張った。 「朝まで一緒にいてください。陛下の温もりと香りを記憶に留めておきたいのです」  俺は気がつけば彼女に操られるように彼女の体を抱き上げ、ベッドにゆっくりとおろしていた。 (操られている⋯⋯なんだ、この力は⋯⋯)  本当の悪女とは天使のような顔をしているのだ。  そして、まるで俺を慕っているように擦り寄ってくる。  他の女に同じ事をされたら絶対に不快なのに、俺の胸は高鳴りと共に心は喜び踊っていた。  俺は無言で彼女の隣に横たわり、目を瞑った。 「お休みなさい。陛下⋯⋯良い夢を⋯⋯」  眠れるわけがなかった。  彼女は俺の命をおそらく狙っている存在だ。  そして、彼女の天使のような寝顔を見ていると、彼女になら殺されても良いというおかしな考えが生まれる。  「ルイ⋯⋯ルイ⋯⋯」  俺に隣で寝て欲しいとねだりながら、他の男の名を切なそうに寝言で呼んでいる彼女の正体は悪魔だ。  
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