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5.陛下⋯⋯泣いても良いのですよ。
ふと、意識が戻ると背中が柔らかさを感じた。
誰かが、私をベッドの上に運んでくれたようだ。
体がだるい。
目が開けられない。
おそらくレイ・サンダース卿の投げたナイフにはマルネスの木の樹液が塗ってある。
体中に痺れて、しまいには気管閉塞までおき呼吸が停止する毒だ。
ナイフを受けたのが私でよかった。
私はマルテーキーズ王国で使われる毒には耐性がある。
母に言われて幼い頃から少しずつ摂取して、免疫をつけていたのだ。
おそらくナイフを受けたのが、アレキサンダー皇帝だったら10分足らずで身体中に毒が回り亡くなっていただろう。
私は苦しみながら、少しずつ毒を飲んで耐性をつけてきた幼い日々を思い出していた。
意識が遠のいていき、思考が奪われていくのを感じる。
きっと、次に目が覚めた時には毒に私は打ち勝っている。
私はそう信じて再び意識を手放した。
「皇妃⋯⋯目を開けろ⋯⋯」
遠くにアレキサンダー皇帝の声が聞こえる気がする。
(よかった、生きてる⋯⋯私は毒に勝てたんだ)
「アレキサンダー皇帝陛下⋯⋯」
目を開けると、目の前に心配そうに私を見つめる陛下の顔があった。
「1週間も目覚めなかったんだぞ」
アレキサンダー皇帝が、まるで私を愛おしい女のように抱きしめてくれる。
彼の温もりと爽やかな香りが私に安心感をもたらす。
「私の連れてきた護衛騎士を、マルキテーズ王国に返してください。バラルデール帝国には立派な騎士団がありそうだったので、彼は必要なさそうです」
レイ・サンダース卿のプライベートは知らないが、彼は王家に絶対服従の人だ。
私から指名されて帝国までついてきたけれど、実は彼を待つ方がマルキテーズ王国にいるかもしれない。
彼は兄の命令に従っただけだ。
「あの護衛騎士はすでに処刑したよ。今回の暗殺未遂の実行犯だ」
おそらく私に刺さったナイフがマルテキーズ王国で作らたものだとわかったのだろう。
そのせいで、暗殺未遂がサンダース卿の仕業だと判明してしまったのだ。
私のせいで兄のお気に入りの彼を死に追いやってしまった。
「陛下は、ずっと私の側にいてくれたんですか?」
「いや、今朝、母上が亡くなって⋯⋯なんとなく、君も死ぬのではないかと思い覗きにきただけだ」
私は自分が5年前、母エミリアーナを失った時のことを思い出した。
王女の私が人前で泣くわけにもいかず、悲しむ間も無く葬儀の準備もしなければいけなくて苦しかった。
「陛下⋯⋯泣いても良いのですよ。国葬の準備は私がします。今日はもう休んでください」
私はどうにか、気だるい体を起こし彼を抱きしめた。
彼が私の背中にそっと手を回してくる。
彼のお母様の身に何があったのだろう。
バラルデール帝国において、私の記憶にある限り彼の母タルシア皇后は表舞台に出てこなかった。
もしかしたら、元々お体が弱い方だったのかもしれない。
「いや、休む訳にはいかない。今晩は弟カイザーの誕生日の舞踏会がある。母上の死は、明日以降に頃合いを見計らって公にするつもりだ」
陛下の弟君であるカイザー・バラルデール皇子は、まだ幼かったはずだ。
陛下は、まだ子供である弟の誕生日は笑って迎えてあげようと考えているのだろう。
それにしても、幼い子が舞踏会に出るなんてバラルデール帝国は私の祖国とは違う文化を持っている。
「今日は弟君に会えるのですね。楽しみです」
「そなたは今やっと目覚めたばかりだろう、まだ休んでおけ」
「嫌です」
私が彼の言うことを聞かなかったからか、彼が私の表情を不思議そうにまじまじと見つめてきた。
「そもそも、ドレスをまだ作ってもいないだろう」
「何着か持ってきております。マルテキーズ王国から連れてきたメイドのルミナを呼んでください。しっかりと、支度して私も陛下のパートナーとして弟君の誕生日のお祝いがしたいです」
彼の忠犬になるはずだったのに、やはり王女として育てられた我儘さも私は持っていた。
私が出席したい会には当然出るつもりだ。
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