2、しかし、子供は実在するのです

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2、しかし、子供は実在するのです

「嘘吐き……子供、いるじゃないですの」    子供は、使用人に囲まれて移動中のようだった。  身なりはとてもよい。男の子だ。   「わたくしが幻を見ているわけではないですわよね? あなたたちにも、あの子供が見えるでしょう? 何よりも……周りに公爵家の使用人がいて、お世話していますわよ。あと、イーステンにとてもよく似ていますわ」    祖国から連れてきた使用人たちに問いかければ、使用人たちはコクコクと頷いて肯定してくれる。 「もちろんです、姫様。あれは幻ではありません!」  「ねえ。もしかして、この家の方々には、わたくしが子供を苛めると思われているのかしら? わたくし、変人とか気性が荒いとか、がさつで女らしくないとか、人格に難があるという噂が市井に流れていたりしますものね?」  「おいたわしいことです。姫様があまりにお美しいので、嫉妬した者が悪意のある噂を流したのでしょう」 「わたくし的には、剣を振り回して遊んでいたことも原因のひとつだと思いますわ。ですから、そう的外れではないと思いますの。がさつで、きつくて、あと何でしたかしら……とにかく、まあまあ、合っていますわ」 「姫様! そのようなことを仰ってはなりません……!」  隣国にいた頃からの使用人は、レイラに対する忠誠心が特に篤い。悲鳴のような声を背に、レイラは子供に近付いた。     「ごきげんよう」 「!!」     レイラが声をかけると、子供はギクリとした様子で使用人の後ろに身を隠してしまった。  使用人が狼狽える中、レイラは子供に優しく語りかけた。心の中で優しく優しくと念じながら。 「怖がらないで。わたくし、あなたを苛めたりしませんわ」  レイラは子供の近くに寄ってニッコリと微笑んだ。 「わたくしは、レイラです。最近このお屋敷に来たばかりですの。遠くからあなたを見たことはあったのだけど、こうしてご挨拶するのは初めてですわね。お話できて嬉しいですわ」     子供は、可愛かった。  イーステンによく似ていて、血のつながりを感じさせる容姿をしていた。  手足は細くて、膝こぞうが可愛らしく覗いていて、頬は林檎のように赤い。  いたいけで、無垢で、弱々しい。庇護欲を誘う風情だった。 「……かわいい」    レイラはひと目見て、この子供を気に入った。    しかし、子供はどうも話すことができないらしい。何を聞いても身振り手振りで、一度も声を聞かせてくれない。  周りの使用人に尋ねても、しどろもどろと誤魔化すばかり。ついには「坊ちゃんは急がないといけないのです、とても緊急のご用事があるのです!」などと言って逃げられてしまったではないか。   「あの子はなんですの?」    レイラは再び、イーステンの元を訪ねるのであった。  使用人は「旦那様はご多忙で」「旦那様はご不在で」「旦那様はご体調が優れず休んでおいでで」と言ったりしてレイラを止めようとする。  元から公爵家にいる使用人は、主人であるイーステンを第一に考えているのだ。   「多忙で不在で体調不良、次は何かしら。この家の使用人たちは主人思いで大変結構ですわね。けれど、妻が夫に会いに行ってはいけない理由があって?」    レイラはニコニコしながら扉に手をかけ、開けると同時にまくし立てた。   「イーステン! あなたの隠し子はとても可愛かったですわ。名前を教えてくださる? あなたと血縁関係にあるのは間違いないでしょう? ああ、もしかして、あなたの隠し子までいかなくてもご兄弟の隠し子だったりします? こっそりとお預かりしていますの? とりあえず細かいことはどうでもいいですわ、可愛かったのです! わたくし、あの子と仲良くしたいのです!」    しかし、部屋の中にイーステンはいなかった。   「あら。本当に不在でしたの」  レイラは頬に手をあてて首をかしげ。 「でも、あなたに会えましたわね」    レイラはソファに近付いた。そこには、先ほど逃げられたばかりの子供がいたのだ。  壁際で使用人たちが見守る中、レイラは紙とペンを持ってこさせて子供に「あなたのお名前を書いて教えてくださる?」と尋ねた。 「……!?」    しかし、貴族の屋敷で使用人に世話をされる身分で、読み書きを習っているであろう年頃にも関わらず、子供は首を横に振るばかり。 「文字が書けませんの?」  レイラは驚いた。 「で、では、手話は? 手話はできます?」  子供はまたも首を横に振る。 「そ……それでは、あなたは、普段どのようにして他者とコミュニケーションを取っていますの?」     話すことができない。  文字を書けない。  手話もできない。  自分の考えを他者に伝える手段がない?    それはとても大変なことではないのか、放置していてはいけないのではないのか。  レイラは心の底から子供を心配した。 「イーステンは何をしていますの? あなたに必要な教育を受けさせていませんの? 文字や手話を習得させてくれませんの?」 「……」 「あ、あなたに怒っているわけではありませんよ。びっくりさせてしまって、ごめんなさい。そうだ、わたくしの部屋でお菓子を召し上がれ。用意させますわ」    その日、レイラは子供を自室に連れていき、たっぷりのお菓子と紅茶でもてなした。  そして、文字と言葉を紙に書いて教えたのだった。 「すぐに覚えるのは難しいけれど、ゆっくり学びましょう。ちゃんとした先生も、後日イーステンと相談して手配いたしますわ」    レイラはそう子供に約束し、イーステンの部屋をその後何度も訪ねるのだが、イーステンは不在がちで、なかなか会うことができない。 「もしかして避けられているのかしら。隣国から先生をお呼びしたら、イーステンの機嫌を損ねてしまうかしら? やはり、ひとこと相談してからが無難ですわよね、わたくしたちは夫婦なのですし。この子がどういう子なのかも、まだわかりませんもの」  しとしとと雨が降る外の景色を窓から眺め、レイラは子供向けの読み書き教本を手に溜息をつくのだった。 「お互い自由に過ごしましょう、というお話はとても有難かったけれど、避けられるのは寂しいですわね。……やはり、妙な噂がたくさんあるからかしら」  イーステンは、レイラのことを妻としてではなく、どちらかといえば大切な客人のように扱っている――レイラには、そんな気がしていた。  女主人としての務めを果たすように求めることもない。ただただ、好きにしてくれというばかり。不便があったら言ってくれというだけ。嫌がることは極力しないと言って、あとは放置だ。  そして、ついには、不在続きで会うこともできなくなってしまった。 「恋愛物語のような情熱的だったりロマンチックな夫婦関係ではないものの、理不尽に虐げられることもなく、義務に追われるような日々でもなく。……穏やかで良い関係で、恵まれた生活だと思っていたのですけれど」  イーステンのことも、まだあまり知らないものの、悪い人ではなさそうだと感じていたのだ。   「イーステンは、今、何をなさっているのかしら」  雨垂れめいて呟くレイラの声には、淋しさが滲んでいた。  ――イーステンは、姿が見えない時はどこで何をしていますの。  何せ、とびっきり高貴で、容姿も美しい夫なのだ。  彼に恋焦がれる女性は多いだろう。 「愛人がたくさんいたりするのかしら……?」  考え始めると、どんどん気になってしまうのだった。
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