葉加瀬清二の遺書

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 如月くんの背中から右半身だけを覗かせた彼女は、小さく柔らかい声で「(つむぎ)千景(ちかげ)です」と名乗りました。  紬さんの透けるような白い肌が、ほんのりと朱色を帯びる様は、雪の日に咲く椿のようでした。如月くんの袖口をいじらしく摘みながら、上目遣いで私を伺う紬さんに、私の心臓が波打ったのを、今でも鮮明に憶えています。 「千景と僕達、組は違うけど学年は同じだから、僕がいない時でも話す相手ができて()いだろう」  如月くんは私と紬さんを、したり顔で交互に見ました。明らかに策略を含んでいる表情だったのですから、私は如何なる手段を用いてでも、これからの彼の行動を(とめ)るべきでした。それをしなかった過ちの重さを、今、この文を書いている瞬間にも感じています。 「それじゃあ僕は、母に頼まれた買い出しをしてくるから。二人で話すといい」  私は彼の謀略を理解するのに、わずかにもたついてしまいました。結果彼は、悠然とした足取りで和室を去りました。私はやられたと思いました。同時に、彼の暴挙を非難しました。  私は静音であることに居心地の悪さを感じる性分ではありません。しかし、眼前でもじもじとしている椿の花は、そうではないように思われました。そして私もまた、彼女からの音が欲しいと望んだのです。当時は判然としておりませんでしたが、今なら分かります。先ほど彼女が名を名乗った時の、琴のような耳触りを忘れられなかったのだと。 「如月くんとは、ずっと一緒?」  私と紬さんの共通事項は如月くんだけなのですから、彼についての話題になるのは自明の理です。 「はい。父の仕立屋に、勇さんの御家族でいらっしゃって……同じ歳だからと、お話しするようになったんです」  口元を袖で隠した彼女は、わずかに目線を上げました。欧州(ヨーロッパ)の海のように潤んだ眸と、愛嬌のある二重瞼が違和感なく同居していました。長い睫毛が茜色の光を掬い取っています。
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