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私と如月くんは中学校に進学しました。紬さんは女学校に進みました。その時分には、私は自分の中の愛を自覚していました。
私と如月くんとで、女学校に紬さんを迎えに行くのが通例となっていました。そうして三人で、夕焼け色の帰路につくのです。
「今回の試験、葉加瀬が首席だったんだ」
「さすがですね。葉加瀬さん、いつも本を読んでいらっしゃるから」
「大したことではないです」
口ではそう云うものの、紬さんに褒められると心持が好くなるのを否定できません。
「勇さんはこれから買い出しですか」
「うん。阿っ父さんの具合が好くなくて。自分が家を支えないと」
「勇さんは優しいですね。でも、勇さんも休んでくださいね」
話しをしているうちに、紬さんの家にたどり着きます。
「そうだ、葉加瀬さんに肱突を作ったんです。少しお待ちいただけますか」
小さい歩幅で家内に駆けていった紬さんは、藍色の肱突を持って戻ってきました。それを受け取った私には、二つの感情が芽生えます。悦びと優越です。私は前者だけを面に出すよう努めました。
紬さんは誰にでも慈雨を注ぐ人でしたが、私には余分に浴びせているように思われたのです。如月くんよりも私に、さりげなくです。
そんな私に更なる追い風が吹きました。如月くんの父が急逝したのです。
如月くんは中学卒業と同時に士官になることを決めました。学力は高校、大学に進むのに申し分なかったのですが、金銭が許しませんでした。
一方私は、高校、そして帝国大学と順調に進学してまいりました。
そして、大学で銀時計を賜り卒業した私は、高校の教鞭を取りました。如月くんは陸軍で大尉の雅号を得ました。
この時の如月くんは、実際の体躯より小さく見えました。弱音を吐かない彼でしたが、この時ばかりは身体が嘘をつききれませんでした。
そんな彼を見る周囲の目は急速に変わりました。失望と愉悦。前者は女、後者は男からのものです。
これを書いている今となっては、私は自分がとんだ愚か者であると理解しています。しかしそんな私にも、人間らしい情が全くないわけではありません。当時もそうでした。ですから彼を図書館に誘いました。茶屋で羊羹をご馳走しました。彼は「ありがとう」と云ってくれました。
如月くんからの礼を受けた私は、勝利を確信していました。世界中で民主主義への機運が高まる中、戦争屋と呼ばれる士官達は厳しい目で見られていました。その点、高校教師は安泰でした。給料も、実家の強さも、私の方が上回っていました。紬さんを仕合せにできるのは私だと自負していたのです。
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