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しかし、紬千景という女は、特別な感情を、宝物のように閉じ込める人でした。思えば、彼女が褒めるのは私の外面であり、内面の称賛を一身に浴びているのは彼であったことに気がつくべきだったのです。
「自分と千景は、結婚することになったのだ」
純喫茶で如月くんに云われた時の、魔法棒で殴られた感覚は、鮮明に思い起こすことができます。
朗らかな顔をする如月くんの隣で、紬さんは幼気に頬を赤らめます。
「旧友である葉加瀬には、一番に報告したかったのだ」
如月くんの気遣は、私にとっては嫌味でした。
私は彼らを恨みました。実家の金銭を目当てに近づいてきた人間達とは比べ物にならないくらい強く。人生において感じる憎しみの総量を、ここで使い果たしました。
如月くんは、どうして私と紬さんを繋げたのでしょうか。紬さんは何故、思わせぶりなことを続けたのでしょうか。
この言霊を打つけてやりたいと思いました。しかし、それを実行することで、猶更惨めになることは判り切っていました。ですから私はこう云ったのです。
「おめでとう」
そして私は逃げるように、恩師のお嬢さんとの婚約をしました。私にとって、紬さん以外の女は全員同じでした。それならば、何の関係もない女と契約するより、恩師への義理を果たす方が都合が好いわけです。
妻になった女と話す度に、紬さんが奏でる、琴のような声色を懐かしみます。女と熱を交わす度に、これが紬さんだったらどれほど心持が好いだろうと想像します。
私は空想に浸りました。紬さんの偶像にリビドーをぶち撒けました。紬さんを何度も何度も穢しました。紬さんに申し訳ないことをしている自覚はありました。如月くんにも済まないと思いました。
そして、結婚してからの三年間、妻にも申し訳ないことをしていたのだと、私は突きつけられることになります。
妻が盗みを働いたのです。
街路樹の緑色が役割を終え、鮮血色の紅葉に襷を渡そうとする頃合いでした。
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