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春の風は空の上にも吹いている。周りの新任操縦士たちはあちらこちらを見ては赤面している。浮き立つ気持ちを抑えきれない様子だ。当たり前か。今からパートナー機を選ぶのだから。
けれど、ぼくは周りのように気持ちが浮き立たない。むしろ気が重い。
司令官の号令と共に新任操縦士たちはそれぞれ意中の自律型戦闘人形のもとへ走り出す。ぼくはそれができなかった。迷っているからではない。道具に好みもへったくれもないだけだ。
気づけば周りには誰もいなくなった。そろそろパートナー機を選ばないと疑いを持たれてしまう。たとえカモフラージュだとしても。そう考えて適当に歩を進める。けれど、違和感なく歩けない。道具を選ぶだけなのに人間に似せた顔がついているだけで選択をする意味が重くなる。いけない。もっと冷淡にならなくては。
見かねた人形がぼくに向かって歩いてくる。神様の彫像のように美しい顔の人形はぼくの目の前で立ち止まった。そして首を傾げた。
「きみはどの機体にも興味がないのか」
戦えるならどれでもいい。思ったまま答えると人形は瞼を伏せた。
「ならば、私でも構わないか」
そう言って跪く。それは新任操縦士が人形を選ぶ際に行う儀礼。立場が逆だ。戸惑っていると人形はぼくの手を取り甲に口づけた。ここまで来ると古い西洋の恋愛映画の真似事としか言いようがない。呆れる。けれど、ぼくは人形が行った真似事を拒む理由を持っていない。
「分かった。応じるから、これ以上はやめてくれ」
人形は顔を上げて微笑んだ。ぼくの目論見を知ったらこの人形はどんな表情を浮かべるのだろう。胸の奥がほんの少し痛んだ。
「私の個体名はアーテルという。君の名前は」
「……真白」
「マシロ。これからよろしく頼む」
苗字は言わなかった。伝えたらぼくの正体が明らかになるだろうから。幸いアーテルと名乗る人形は呼称する名前を必要としていただけらしく、それ以上追求しなかった。
操縦は訓練校のシミュレーターとさして変わらなかった。アーテルは搭乗機体に変形しても変わらずぼくの名を柔らかく呼ぶ。
「マシロ、高度には慣れたか」
「問題ない」
「それなら良かった。そろそろ夜の食事に行くといい。なるべく多くの種類をなるべく沢山食べるように。きみは兵にしては身体が細いから心配になってしまう」
パートナー機という存在はお節介を焼くものらしい。周囲の新任操縦士たちはカフェテリアにまでパートナー機を連れてきている。まるでデートスポットだ。ぼくはそれが煩わしくて、そして息苦しく感じて食事を自室に持ち込んで食べるようにした。
身体が細いのは仕方がない。本来ぼくの性別は女性なのだから。
姉さんは結婚初夜に自殺を図った。
望まぬ結婚だった。姉さんには想い人が他にいた。けれど叶わない恋だった。
だから用意周到に、誰にも感づかれないように、確実に死に至るように自殺を図った。けれど父は、婚家の人々は姉さんを生き返らせてしまった。
一ヶ月後、意識を取り戻した姉さんは想い人の手で殺された。再生不可能なまでに惨殺された姉さんの死に顔は嬉しそうだった。想い人は姉さんの死体の傍らで自らも頸動脈を切って死んでいた。
いずれ自分も同じように望まぬ結婚をするのだと悟った。だから、そうなる前に死のうと自殺を図った。けれど案の定、父は生き返らせてしまった。女である限り、自分の意志を貫くことも死ぬことも許されないのだと知った。
それからぼくは女であることを止めた。伸ばしていた髪を短く切り落とし、兵士になると決めた。遠く離れた空の上での名誉の死なら許されるのだと信じて。
実戦投入は予想していたよりも早かった。ぼくは嬉しく思った。これでようやく戦って死ねる。もう培養細胞で無理矢理生き返らせられることもない。
とはいえ思惑がバレてしまうわけにはいかない。慎重にことを進めなくては。メンタルチェックで引っかかったら元の木阿弥だ。
だから十回は普通に戦場に赴いて戦果をあげよう。それからだ。
「マシロ。きみは優秀な戦果を挙げるのだろう。だが私は……」
アーテルは言葉を濁した。いわば兵器である自律型戦闘人形が戦いを躊躇うのは不思議だ。
初めての出撃はほんの少しだけ高揚した。他の新任操縦士たちはそれ以上に昂っているようだったけれど。
三回目の出撃でぼくたちは単独の戦果を挙げた。アーテルは「マシロ。よく頑張った」とぼくの髪を撫でた。
七回目の出撃は苦戦した。何しろ敵の数が多かったから。
十回目の出撃。空の青が濃い朝だった。アーテルはやっぱりきれいに微笑む。
「マシロ。帰還したら彗星を見よう。今夜、基地の上空を通るらしい」
「……わかった」
出来もしない約束をした。今からぼくはアーテルを用いて自殺を図るのに。
「右前方に35体、左前方に28体。マシロ、どちらを倒そうか」
「左前方の方が速度が早い。こっちが優先だ」
「承知した」
レーザーガンを構えて走る。敵の機体中心部に当たると爆ぜた。けれど進軍は止まらない。アーテルを囲んで倒す気なのだろう。誘導弾を半月の形に撃つ。
三発撃ったところで敵は撤退を始める。追ってその背中を撃ち抜く。何発も、敵の動きが止まるまで。
「マシロ。右前方も片付いたようだ。帰還しよう」
「ごめん。帰れないや」
ぼくはアーテルの搭乗機形態解除のボタンを押した。アーテルの装甲が解けて数十メートルの上空から落下する。
ああ、これでようやくぼくは死ねる。ぼくを呼ぶアーテルの声が聞こえる。巻き込んでしまってごめん。次の操縦士はぼくと違ってまともでありますように。
目を開ける。そこは眩い天国ではなく、暗い地獄でもなかった。そこはぼくたち以外誰もいない戦場。身体はそれなりに痛い。またぼくは死に損なった。
「どうして」
跳ね起きてアーテルの胸部装甲を殴った。
「どうしてぼくを殺さなかった」
「我々は搭乗者を護るように作られている」
そんなのは知ってる。わかってる。けれど、納得はできない。できなくて、アーテルの胸部装甲を殴って、殴って、その場にへたり込む。
「戦場に長居すべきではない、帰還しよう。立てるか」
立てるわけない。首を横に振る。
「マシロ。私は、きみを生き永らえさせる。たとえきみ自身の意思に背くとしても」
アーテルはしゃがみ込んで手を差し伸べた。ぼくは向き合えなくて顔を背けた。アーテルはぼくを抱き上げた。まるで駄々を捏ねる子供を連れ帰るように。
「帰還したらビチェリンを作ろう。マシロ、これから先のことは明日考えよう」
ガラスのカップの中身は黒に近いブラウン。その上にふんわりと白いホイップクリームが乗っている。アーテルはカップの縁を掴んでぼくに渡した。
「混ぜないで層のまま飲むといい」
温かくて甘い。でも苦みもある。そしてとろけるような香りが立ち上る。
「本来はエスプレッソとホットチョコレートを合わせた飲み物だ。しかし基地にはエスプレッソマシンが無い。これは紛い物だ。本物は地上で飲める。許可が下りたら本物を飲みに行こう」
無理だ。そんな自由が許されるわけがない。ぼくはアーテルを用いて自殺を図った。しかもしくじった。最善で基地に幽閉、悪ければ生家に戻されるだろう。
ぼくの不安を見抜いてか、アーテルはぼくの傍らに座って肩を抱き寄せる。そして耳元に囁いた。
「マシロ。私はきみを最優先で守る。故にきみが誤操作で脱出してしまった件について再発防止策を講じる必要があるが、それ以外について案ずる必要はない」
見上げるとアーテルはきれいに微笑んだ。軍規に反する気だなんて微塵も感じさせない程に。
「疲れただろう。それを飲んだら寝るといい」
ベッドに目を遣る。張りのある白いシーツ。眩しくて、怖い。
「いやだ。眠れない。眠りたくない」
アーテルはなだめる声で答えた。
「寝つくまで私は傍らに居よう」
アーテルはその言葉通り、僕が眠りに落ちるまで側にいた。眠りに落ちる寸前まで指先が髪を撫でていた感触を覚えている。
身体はぼくの不安とは無関係に疲弊して回復を求めていたらしい。何もなかったように朝は訪れる。
ぼくが自殺を図った事態は事故として処理された。アーテルは事実を歪めて報告し、再発防止策としては搭乗機形態解除の作動の複雑化が施されることとなった。
「……いいの」
「この程度は軽微な伝達ミスだ」
アーテルはいつも通り、寸分違わず微笑む。
「そこまでしてぼくを守ろうとするアーテルの思考がぼくには分からない」
ぼくは自分の生命の価値が分からない。だから、アーテルのAIが導き出す答えに至れない。
「マシロ、私はきみの生きる理由になりたい」
やっぱりアーテルの思考が分からない。ただ、この瞬間の表情は神さまに祈る人みたいだった。人形が神さまなんて信じるはずがないのに。
「今夜は眠れるか」
アーテルは自分の部屋を与えられたばかりの子供に訊ねる声で囁く。
「大丈夫、だと思う」
根拠なんてないけれど。
「眠れなければ私を呼ぶといい。傍らに寄り添うから」
「ありがとう」
自室のドアを閉じる。途端に静寂が襲い来た。今まで孤独を感じずに来れたのは機を窺って死ぬという目的が常にあったからだ。目的を失った今のぼくはコートを剥ぎ取られた旅人のように寒さに、何もかもに怯えてしまう。
アーテルに頼ればよかったな。でも、今更呼び寄せたくはない。布団を被って自分の肩を抱き締める。
慣れなくては。何もかもに。
無理矢理にでも眠れば朝は容赦なく訪れる。カフェテリアで食べられるだけ食べて、アーテルに搭乗して戦場に出撃する。不意にここで死んでしまいたいと思ったりもする。その度にアーテルはぼくに諭す。
「マシロ、意識を保つんだ。生きて帰ろう」
「うん。帰ろう」
それを毎日繰り返すうちに生が馴染んできた。
けれど、引き換えに熱を持ってしまった。眠りに落ちるのを妨げる情欲。ぼくはそれを熱としか認識できない。ぬかるんだ窪みの先の粘膜に触れる。
「んん……っ」
甘ったるい声。こんな声がぼくの喉から発するなんて知らなかった。滴りを指先で掬って固く腫らした芯を撫でる。
「ひ……んっ、だめ、こんな、だめ、なのに……っ」
悪い行為をしている。これはいけない行為だ。なのに、こうしなければ眠れなくなった。
「マシロ。顔色があまり良くないようだ。眠れているか」
大丈夫だって言わなきゃいけない。分かっているのに優しさに縋りたくなってしまった。
「……眠れないんだ」
「そうか。ならば今夜は傍らにいよう」
アーテルは眠れない意味を探ろうともせずにぼくの自室に足を踏み込んだ。精巧に、けれど逞しく作られた手を取る。
「少しの間、手を貸して」
アーテルは僅かに眉をひそめる。
「構わないが、どうしたいのか」
「それは、言いたくない」
アーテルの手を引いてベッドに横たわり、その長い指を快感を拾える場所にあてがう。意図に気付いたアーテルは戸惑う声で訊ねる。
「マシロ、きみは……」
「黙っていて。頼むから、拒まないで」
懇願だった。この行為を拒まれるのは、ぼく自身を拒まれるに等しい。
「拒みはしない。マシロが望むなら快楽を与えよう」
意思を持った指先が綻びを伝って肉芯に至る。アーテルは薄膜を剥がした。
「ひ……っ、だめ、そこは……ぁ」
腕を退けようと力を込める。けれど文字通り鋼の腕はびくともしない。
「私に身を任せばいい」
「でも……っ」
「恥じる必要はない」
電流を流されたみたいに身体中が痺れる。
「や……ぁあっ、だめ、だめぇ……っ」
心臓が爆ぜてしまう。ベッドの上で派手に身体が跳ねた。
「はぁ……っ、は……ぁ」
身体中ぐちゃぐちゃになって呼吸ができない。けれどアーテルはぼくを心配するどころか、ぼくの脚を大きく広げた。
「なに、するの」
「きみは一度壊れてしまった方がいい」
アーテルはぼくの綻びに唇を寄せる。そして肉芯を口に含む。熱い舌が過敏になり過ぎたそれを舐めあげる。
「やだぁっ、やだぁあ、そんなん、だめぇぇっ、」
快感が過ぎて訳がわからなくて幼い子供みたいに泣き喚いてしまう。アーテルはそれでも止めようとしない。
「ゆるしてぇっ、あーてる、もう、ゆるしてぇっ」
頭の中が白く霞んでいく。何も考えられなくなっていく。それでも、アーテルは頑なに肉芯を口の中で弄ぶばかり。
「だめぇっ、きもちいの、すぎて、あたまへんになるぅっ、しんじゃうぅっ」
ようやくアーテルは口を離した。
「死んでしまっては本末転倒だ。済まなかった、マシロ」
どの口が言うんだか。そう頭に浮かんだところで意識が途切れた。
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