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第1章・絶望の果てに 4ー①
「逃げないから、鎖や綱はやめてくれ」
アイシャは、ファイザルに頼み込んだ。
夕食時の、女達の目線が痛い。
その時だけは、部屋から離れるので鎖は外されるが、アイシャを連れて行く為にまるで家畜のように手綱で引っ張られるのだ。
同じ獣人扱いされないのは仕方ないが、牛のように引いて行かれるのは屈辱的だった。
「もう、逃げる気なんてないし、逃げたって俺一人では生活していけない。……首輪にセンサーが付いてるんだろ?だったら、十分飼い殺しされてるよ」
ファイザルは、顎に手を当てて思案する。
一度、アイシャに逃げ出されてからは、包囲網を強化していた。
アイシャの近くには、必ず側近のような男を付けられていたし、ファイザルも研究以外ではアイシャから離れない。
何より、この身が実験体として扱われているのが堪らなかった。
その瞳に見つめられていると、データを取られているとしか思えなくて、ファイザルが近くにいるのですら息苦しかった。
せめて、鎖や綱だけでも外して欲しい。
それは、獣人のはしくれとしての矜持でもあった。
「それ程に繋がれるのは、嫌か」
「嫌だ」
「野犬が、逃げずにいられるものか」
「逃げない。腹の子がいるんだ。無理出来る訳がないだろ」
「……なら、お願いしてみろ」
「……はぁ?」
ファイザルのいきなりの言葉にアイシャは、面食らった。
お願いしてみろ、とはどういうことか。
土下座でもすれば気が済むのか。
この際、この鎖から解放されるなら、いくらでも土下座してやる。
アイシャは、膝を折って座ろうとした。
「違う。そうじゃない。もっと、色っぽくお願いしてみろ、と言ったんだ」
「……何言ってんだよ?俺にストリップでもしろってのか?そんなもん、いつもやらされてるだろ」
「ストリップもそそるがな。私がそれを外してやろうという気になる『誘い方』をしてみろ」
どうやら、裸踊りが見たい訳ではないらしいファイザルに、アイシャはどうしたな良いのか分からなかった。
今まで、2人の間にはロクな会話もなく、ただ、交尾とセックスだけの関係だった。
色っぽくと言われても、今は妊娠期間中である自分はメスでもあるが、本来は男性ホルモンの方が強いアイシャには、女のような仕草が思い付かない。
番のフェリドは、はんなりとした淑やかな男だったので、『あんな感じか?』としか想像出来ない。
アイシャは、ファイザルの首に腕を回して、斜め下から覗き込んだ。
「鎖……外して?」
首を傾げて『おねだり』してみる。
ファイザルの体が、ビクリと揺れたのが伝わってきた。
案外良かったのかも知れないと思って、更に続けた。
「ファイザル……外して?お願い」
ファイザルの手が、首輪の接続部分にかかってカチャリと音を立てた。
シャラン、と聞こえた音は鎖が床に落ちた音だ。
「ファイザル、ありが……、んんっ?……むぐぅっ!」
急にアイシャの眼前に美しい顔が迫って来たと思ったら、その唇を塞がれていた。
ファイザルとキスしている。
そう理解するのに、数秒かかった。
今まで何度もセックスしてきても、キスをした事はない。
性欲を晴らすだけの行為に、キスは必要ないと思っていた。
ファイザルの舌が、アイシャの口内に滑り込んでくる。
その舌を絡め、唾液が混ざり合う。
王族とキスするなんて、信じられない。
ファイザルの女達が聞いたら、汚物としているかのように嫌悪するだろう。
「……ん、んっ!……ファイザ……、むうっ……、あふっ……」
「……アイシャ……」
囁くようにその名を呟くと、再び唇を合わせてきた。
ファイザルは、何を考えているのか分からない。
家畜のように繋いで、畜生のように扱ったり、人形のように抱いたかと思えば、こんなキスをしてくる。
こんなにも想いを込めたような口付けをされたら、まるで自分達は……。
そこまで考えて、アイシャはそんな筈がないと、目を強く瞑った。
「キスとは、気持ちが良いものなんだな……。初めて知った」
「え?お前、キスした事、ねぇの?」
「……そういうお前は、キスをした事があるような言い様だな」
「いや……まぁ、それは……」
「……面白くない」
「何言って……、んふぅっ!」
そう言ってファイザルは、再び唇に噛みついてくるようにキスをした。
「馬鹿っ!これからメシだろっ?……今からサカってどうすんだよ!……こらっ、尻を触るなぁっ!」
「挿れさせろ」
このままでは、いつも通りにファイザルの手管に流されて抱かれてしまう。
それは何とか避けたかった。
どうせ夕食が終われば、また抱かれるのだから、今から行為に及んで食いっぱぐれるのだけは御免だ。
アイシャはファイザルの両頬に手を添えて、チュッと音の鳴るキスをした。
すると、ファイザルの悪戯していた手が止まって、ダラリと下に降ろされた。
アイシャは、そのままチュッ、チュッ、と口付けを繰り返した。
「なぁ、俺、メシ食いたいんだけど。スゲー、腹、減ってんの」
「……それ、もっと、しろ」
アイシャは、唇だけとは言わず、ファイザルの顔中にキスしてやった。
その顔は、無表情ではあったが、尖った耳の先は真っ赤に染まっていた。
バサッ、バサッっと背後から聞こえる音は、恐らく尻尾を振っている音だ。
こんな事が嬉しいのか。
科学者とは、訳の分からない生き物だ。
アイシャは執事に呼ばれるまで、ファイザルの顔にキスを繰り返した。
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