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第1章・絶望の果てに 4ー②
夕食時も、ファイザルが浮かれいるのが見て取れた。
食べている横を見ると、顔は無表情のままだったが、尾の先が小さく揺れている。
それを見て、アイシャの方が何だか恥ずかしくなってきて、あんなに空腹だったにも関わらず、食が進まなくなってしまった。
「……どうした?アイシャ。腹が空いていたんだろう?食べないと子供に栄養がいかないぞ」
「わっ、分かってる!」
アイシャはがっつくようにして、肉を頬張った。
その姿を見た女達は「下品ね」「流石、犬だわ」と、コソコソと陰口を叩いていたが聞こえないふりをした。
アイシャは、今度から自分の部屋で食事をしようと思った。
こんな環境で食べても旨く感じないし、相手も不快なだけだ。
邪魔な者はいない方が良い。
さっさと食べ終えて帰ろうと席を立った。
「アイシャ、待て。……口に付いてる」
ファイザルが、アイシャの口の横に付いたソースをペロリと舐めた。
その光景に、前に座る女達から悲鳴のような絶叫が衝いて出た。
「お兄様っ!犬にそのような事をなされては、王族としての品位が下がります!そもそも同じ食卓というのも解せません。同じ部屋なら、床に座らせて食べさせて下さいませ!」
レイラは辛抱堪らず、ファイザルに苦言を呈した。
それを聞いたファイザルは、更に煽るように、アイシャの頬へキスをする。
まるで、子供が教えて貰ったばかりの事を嬉しそうに見せて回るように、チュッ、チュッと繰り返してきたので、教えたのは自分であったにも関わらず、アイシャは恥ずかしさの余り俯いてしまった。
ファイザルの暴走に、女達の悲鳴が止まらなくなった。
自分達は、1度としてファイザルにそんなキスをして貰った事がなかった。
子供を儲けた事で、ファイザルの寵愛を受けているアイシャに、憎悪の視線が集中した。
居たたまれなくなったアイシャは、抜け出すようにしてダイニングから退いた。
とんでもない事を、ファイザルに教えてしまった。
生殖行為はしていても、キスもした事がないと言っていた。
もしかしたら、他の妻達に対して義務的な交尾しかしていなかったのだろうか。
そうとしたら、アイシャに対するあの熱い愛撫は何なのだろうか。
自分も、淡白な犬族であるが故に発情期が来るまで、交尾をしたいとは思った事はなかった。
ただ、親からされるように、優しく親愛のキスをしただけのつもりだった。
「お待ちなさい!」
アイシャがファイザルの部屋へ戻ろうとすると、背後から引き留められた。
ファイザルの妻のスルターナだった。
「お前は召し使いだった筈でしょう。このような事は、王族として示しがつきません。お前から「床で食べる」とファイザル様に言いなさい!」
「明日から、皆さんとは別に食べます。それで気が済むでしょう?」
床で這いつくばって食べるのだけは嫌だった。
鎖で繋がれているより酷い扱いだ。
アイシャの物言いが気に触ったのか、スルターナの怒りは、更に増したようだった。
「言葉使いの分からない犬のようね!本来なら犬小屋で、残飯を食べているところを、食事を一緒にさせて貰えるだけでも感謝しなさい!」
「じゃあ、アンタからファイザルに言ってやって下さいよ。俺を犬小屋に行かせろって。アンタ達と食べる位なら、犬小屋で犬飯を食らってる方が、旨く感じるだろーよ」
「なっ、何ですって?!」
高慢な王族に嫌気の差していたアイシャは、ここぞとばかりに吐き捨てた。
「ついでにその犬小屋には入れねぇように、高圧電流でも流しておけよ。そしたら、ファイザルも俺以外にセックスしたくなって、アンタらの所に行くかもよ?」
「無礼なっ!この犬如きがっ!」
ドン、とアイシャの胸辺りで音がした。
スルターナに突き飛ばされたと分かったが、その体格差から想像以上にアイシャの体は宙に浮いた。
随分、長い事浮いているなと思ったら、階段が足元に見えた。
気が付いた時には、階段から転げ落ちて後頭部を強かに打っていた。
その時、真っ先に気になったのは腹の子供の事だった。
番との子供でない事から、愛せないのではないかと悩んでいた。
ファイザルとのセックスに忙殺されて、余り気にかけていない自分を、母親失格だと思っていた。
だが、気が付けば無意識に腹を庇うようにして転がり落ちていく自分がいた。
「腹が……。俺の、腹の……子供が……」
「アイシャぁっ!」
俺の名前を叫んでいるのは誰だ?
階段を駆け降りてくる姿が、誰のものなのか知る事もなく、アイシャの意識は途絶えた。
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