第2章・愛に溺れて 1ー①

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第2章・愛に溺れて 1ー①

アイシャは、サラのいるカプセルの前に長椅子を寄せて来て、そこで横になった。 先程から、室内電話のコール音が鳴り続けている。 電話の主は、ファイザルしかいない。 部屋に帰らないアイシャを呼び寄せるつもりなのは分かっている。 この部屋の内鍵をかけているから、入れないでいるのだ。 だが、余りの電話のしつこさに、アイシャはふと思ってしまった。 ファイザルは、このまま朝まで電話をかけ続けるかも知れない。 もしかしたら、ここが開かないとなると、痺れを切らしてドアを破壊するかも知れない。 もしサラに何かあったらと危険に感じたアイシャは、鳴り続ける電話を渋々取った。 『アイシャっ?!アイシャかっ!何故、部屋に帰って来ない?』 「ファイザル。しばらく俺を放っておいてくれ」 『何を言っているんだ!そこには水も食料もないだろう?とにかく、そこから出てくるんだ」 アイシャは、ファイザルが何故そこまで自分を心配するのか分からなかった。 サラを産み落とした後の自分は、もう用なしの筈だ。 新しい実験体か、恋人かは分からないが、ジャラールという存在もいるし、女達もいる。 召し使いとして戻るのは、今のアイシャにはもう無理だった。 ジャラールを本格的に迎えるとなると、サラから引き離されて、追い出されるかも知れない。 せめて去る直前までは、サラの側にいたかった。 「どうせ追い出すんだろ?会えなくなる前にサラと最後の別れをさせてくれ」 『何を言っている?!』 「ただの実験体にも、その位の権利があっても良いだろ?出て行く前に、最後の我が儘を聞いてくれ」 そう言ってアイシャは電話を切り、電話線を引き抜いた。 長椅子に再び戻って、横になる。 室内は暑い位の温度に保たれているので、毛布なしでもさして寒くはなかった。 「サラ……、ゴメンな。もう少し大きくなって、サラの幸せを確認してから去ろうと思ってたけど、こんなに早く別れる事になっちまった。最後だけど、一緒に話をしよ?」 犬としてファイザルの女達に蔑まれ、鎖で繋がれても、去り際だけは自分で選びたい。 虐げられた上に出ていけと言われるのは、我慢ならなかった。 せめてサラが言葉を話す位までは、見届けたいと思っていた。 気が付くと、アイシャの瞳から涙が溢れ出していた。 一旦、その涙を意識してしまうと、更に止めどなく流れ出した。 何の涙なのか分からない。 色んな感情がごっちゃになって、アイシャは胸が潰れそうになった。 これから、どうやって生きて行けば良いのか。 不貞をして、番以外の男の子供を生んだアイシャには、帰る故郷もない。 ましてや、その番であるフェリドには殺されても文句は言えない。 新しい職を探すにしても前歴が問われるし、そうなれば場末の酒場ででも働くか、肉体労働しかなかった。 せめてサラと暮らせたら、サラの為に生きていけるのに。 だが、まだ羊水の中で生きているサラを連れ出すのは不可能だった。 「ファイザル……」 無意識に出た名前の男の事は、考えたくはない。 自分を無理矢理に妊娠させて、監禁して、暴行し続けた酷い男。 だが、頭脳明晰であるのに妙に子供っぽくて、不器用な男。 無表情なのに、尻尾は感情豊かで、キスや愛撫が上手い男。 冷たいと思っていたのに、優しい。 アイシャの心をぐちゃぐちゃに掻き乱して、翻弄していった。 恨みたいのに、恨めない。 ファイザルには、このまま会わずに別れたい。 もし会ってしまったら、ファイザルがどんな態度に出られるかも、自分もどんな顔をして良いのか分からない。 夜が明ける前に、この城を出ようと思った。 結局、アイシャはサラを見つめ続けて、一睡も眠る事は出来なかった。
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