86人が本棚に入れています
本棚に追加
第2章・愛に溺れて 2ー①
ファイザルは鎖からアイシャを解放しようとはしなかったし、服も与えようとはしなかったが、以前以上に大切に扱っていた。
とにかく、触れる事もしない。
それは、この間の暴走を反省しているからだと思われた。
逆にアイシャから触れようとすると、体をビクッとさせる程だ。
これにはアイシャの方が罪悪感が湧きそうになった。
「なぁ、繁殖の為の実験なら、もう俺でなくても良くね?」
「お前では実験はしない。……これからは」
「そんじゃ、前みたいに召し使いに戻してくれよ」
「駄目だ。……もう、お前に労働をさせるつもりはない」
「俺のいる意味ないじゃん。そしたら、いつ廃棄すんだよ」
「廃棄などしない!」
「何で?」
ファイザルは何故と聞かれると、無言になる。
こんな感情は初めてで、それが何という名前の感情なのかが分からないのだ。
ファイザルが悩むのを見て、アイシャも自分の気持ちを整理していた。
ファイザルに対する怒りは、もうない。
それどころか、今となってはファイザルに情のようなものすら感じている。
ジャラールに対する感情は、間違いなく『嫉妬』だったと思う。
自分一人が味わう特別なものを、同等、もしくはそれ以上に体験しているかも知れないジャラールを妬んだのは確かだった。
アイシャは、ソファーの隣に座るファイザルの頬にチュッとキスすると、ファイザルの尻尾かピンと直立した。
頬へのキスを繰り返してやると、その尻尾をバッサバッサと激しく振り回している。
顔は相変わらず無表情だったが、余りにも分かりやすい感情表現に、笑いがを堪えるのに苦労した。
「キスは嫌いか?ファイザル……」
「……好きだ」
「もう止めるか?」
「……もっと、してくれ」
「そしたら、アンタからしたら?」
ファイザルはアイシャにおずおずと手を伸ばし、触れるだけのキスをした。
これが本当に、先日まで時間があれば自分を犯していた男だろうか。
アイシャがファイザルの唇をペロリと舐めてやると、それで何かが切れてしまったのか、チュッチュッと何度もキスを繰り返し始めた。
まるで愛情に飢えた子供のようだと思った。
恐らく、ファイザルは親にも優しくされた事がないのだろう。
脱水症状の人間が水分を求めるように、ファイザルはアイシャへのスキンシップを求める。
アイシャは、その口内へ舌を差し込んで歯茎を舐めてやると、その舌を逃すまいと絡めて来た。
「……アイシャ……。……アイシャっ……」
「……キス、気持ち悦いか?」
「……堪らない……」
もう、駄目だ。
アイシャは、ファイザルを愛しく思う気持ちを偽る事は出来なかった。
番でない男を愛してしまった。
自分にはきっと天罰が降る。
だが、もう番のフェリドの元へは、帰れないと思った。
種族が違うだけではなく、身分も違う。
この想いは、きっとお互いを不幸にする。
だが、この腕を振り払う事は出来ない。
未来がないと分かってはいても、もう離れられなくなっていた。
「……ファイザル……。もっと……キスしてくれ」
「アイシャっ!」
「あぁっ……んんぅ……」
酒に酔ったかのように、二人はお互いの唇に酩酊した。
いつまでも、その唇を離そうとはしなかった。
そんな二人を、僅かに開いた扉の向こうから、燃えるような瞳で見つめる視線があった。
「許さないわよ……犬の分際で。お兄様を堕落させた報いは受けてもらうわ」
犬歯によって、その噛み締めた女の唇からは血が流れ、怒りを露にしていた。
最初のコメントを投稿しよう!