第1章・絶望の果てに 1ー②

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第1章・絶望の果てに 1ー②

「勝手に逃げ出して、良いザマだな。アイシャ。……もしも、その体に何かあったらどうするつもりだ」 アイシャが口を塞がれた状態で喚いていたので、ファイザルはその猿ぐつわを解いてやった。 「てめぇ!どういうつもりだっ!俺に子供が出来たって、フェリドと交尾もしてないのに、出来る訳ねぇだろう!」 「相変わらず、主人への口の訊き方を知らん奴だ。……そうか。犬族はそこまで鼻が利かないのか。どこまでも惰弱な生き物だな」 「何をっ……」 「私達、王族は繁殖期は匂いで分かる。体の状態もな。交尾に適した時期も、セックスでしかない時期も、匂いで分かるのだ」 ファイザルは屈み込んで、アイシャの下腹に触れた。 「お前が妊娠しているのも、勿論、分かる。お前の瞳の色が、深い青に変わったのも、妊娠して体質が変わったからだろう」 「だからっ!俺はフェリドと交尾してないのに、出来る訳が……」 「誰が、お前の番の子だと言った?」 ファイザルはアイシャの後頭部の髪の毛を千切らんばかりに掴み、その頭を引き上げる。 突然にファイザルの美しい顔が目前に迫って、アイシャは驚きを隠せなかった。 犬族が王族の顔を、これ程までに近くに寄って直視する事はまずない。 犬の分際で王族に触れるなど、絶対に有り得ない事だった。 「お前の腹の子は、私の子供だ」 ファイザルの言葉に、アイシャの息が止まる。 王族と犬族の身分差は、天と地の差がある。 ましてや、神の申し子であるファイザルが、犬と交尾するなど正気の沙汰ではない。 「そ、そんな筈はない……。種族が違えば、子供は産まれない筈だ……」 「そうだな。王族と犬のように全く別の生物の子供を宿した前例は、今までにない」 「……俺が……俺が……妊娠するなんて……」 「だが、この腹の子は間違いなく、私の遺伝子を受け継いでいる」 「俺は、お前と交尾していないっ!」 アイシャは、力の限り叫んだ。 犬族が番を違える事は絶対にない。 情愛に満ちた犬族は、生涯、番以外のオスとは交尾しないし、相手がメスの時期も番だけと交尾する。 生殖時期が一生で数度しかない事と、性欲の弱い事が、相手への思いやりとなって、その情の深さは一族の団結も高めていた。 ましてや、主である王族と契るなど考えられなかった。 「……そうか。お前、記憶がないんだな。確かに、あの時のお前は、トゥルカの実で意識が飛んでいたからな」 トゥルカの実とは、獣人逹が食すると恍惚状態になり、快楽だけが増幅し、他の神経が麻痺する。 王族のような屈強な肉体と性欲であれば、ただの嗜好品程度でしかないが、生物学的にも弱い体である犬族が使うと、量によっては死に至る毒物でもあった。 「……そんな……そんな記憶は……」 「お前が出産の為に村へ帰ると私に申告してきた後を覚えているか?」 生まれて初めての初潮があって、急いでフェリドに連絡した。 すぐに子作りする為に、病院で『繁殖期』である診断書を書いて貰って、役所と、主であるファイザルに提出した覚えはある。 確かに、その直後の記憶がなくて、気が付いたらファイザルの部屋に閉じ込められていた。 あの時は、体に覚えのない疲労感と、節々の痛みがあって、風邪でもひいたのかと思っていた。 「吐き気も酷いだろう?アイシャ。それはな、『つわり』だ。前例がないから何とも言い難いが、腹の子は通常よりも成長が早いようだ」 「嘘……だ。………、俺がフェリド以外と……なんて」 「覚えはないだろうがな。あの時のお前は凄かったぞ?犬族とは思えない程に淫らに悶えて、私達は最低限の睡眠と食事以外、三日間はずっと交尾していたからな」 「嘘だっ!デタラメを言うなっ!」 「何なら、もう一度試してみるか?今は流産しては困るから、子宮は使えないが、尻ならば使えるだろう。お前は、王族の女より貪欲だという事を教えてやる」 アイシャは、のたうち回って暴れたが、手足を拘束されているので、その場でもがくに止まってしまう。 ファイザルはアイシャから離れると、黒い物を手にして帰ってきた。 「もう二度と逃がすつもりはないからな。お前を閉じ込めるだけでなく、繋いでもおく」 そう言って、アイシャの首にその黒い物を巻き付けた。 カチン、と硬い音がして、アイシャはすくみ上がった。 「何だよっ……これ……」 「特別性の首輪だ。これの鍵は私の指紋だから、私以外が外す事は絶対に出来ない。センサーも付いているから、もし逃げ出してもすぐに場所はバレるぞ」 「どうして、犬族の俺にここまで……」 「お前の腹に私の子がいるのを忘れるな。アイシャ。その体は、お前一人のものではない。ましてや私だけのものでもなく、獣人達の未来もかかっている。この繁殖が成功すれば、滅びるしかなかった王族の、獣人の未来が変わる」 ファイザルの言葉に、アイシャは自分が『実験材料』であることを実感した。 この獣人は、獣人の未来の為などという名目の元に、アイシャの体を使って実験したのだ。 アイシャに何の断りもなく、王族の子供を増やす為の新薬を投与し、治験体にした。 許せなかった。 この体は、フェリドのものだったのに、無残にも穢され、他の雄の子を宿してしまった。 「体をいとえよ、アイシャ。必ず誕生させてみせるぞ。これは私の科学力の奇跡だ」 ファイザルは、アイシャの体を抱き上げた。 だが、悪路を走り続け、逃亡に疲れ果てていたアイシャは、もうそれに逆らう力は残っていなかった。
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