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ある町に、若い五人の兄弟がいた。
とても優しい兄弟で、いつも安いお金で働いていたから、いつも食べるのに困るくらい貧しかった。
五人はとても仲が良かった。けれど末っ子だけは、自分が一番賢いと思っていて、兄達のことを内心馬鹿にしていた。
いつもいつもヘラヘラと笑いながら町の人に安いお金でこき使われる兄達の姿を、馬鹿みたいだと思っていた。末っ子は幼くて兄達のように色んな仕事は出来なかったけれど、代わりに毎日、朝と夜に新聞や出来立てのパンをお店で受け取って、町の人たちに配る仕事をしていた。
ある日、雪が降りそうな冷たい夜空の中。
末っ子がパンの配達を終えて戻ると、パン屋の主人がニコニコしながら、話しかけてきた。
「ご苦労様。いつも助かるよ。今日は君にプレゼントがあるんだ。兄弟達と仲良く分けて食べるといい」
そう言って主人は、大きな袋を渡す。開けてみると、中には出来立ての白パンが九つ入っていた。
(何で九つなんだ。五人兄弟じゃちゃんと分けられないじゃないか)
末っ子は内心呆れたが、嬉しそうに笑って何度もお礼を言うと、袋を手に帰路へつく。
けれど、帰り道を歩くうち、だんだんとパンの美味しそうな匂いが気になって仕方がなくなってきた。
袋を開くと、温かい湯気が末っ子の顔にかかる。彼のお腹がグゥ、と鳴った。
「別に一つくらい食べてもいいだろう。どうせボクの分を先に食べるだけなんだから」
末っ子はホカホカのパンを一つ取り出す。ハグ、と齧り付くと、パンの甘さと塩気に目を輝かせ、そのまま一気に食べ切ってしまった。
「っ……あぁ、もう食べてしまった。白パンじゃ柔らかくてあっという間に飲み込んでしまう。せめてライ麦パンだったなら、何度も噛むから一個で満足出来たのに」
末っ子はブツブツと文句を言いながら、袋の中を覗き込む。
「……ボクはこんな小さな身体なのに、毎日朝と夜に駆け回っている。身体が大きくて疲れにくい兄さんたちとは違うんだ。もう少し食べないと、倒れてしまうかもしれないな」
末っ子はもう一つパンを頬張った。柔らかく、溶けるように消えていくパンは、まだお腹を満たしてはくれない。
「九つなんて半端な数を渡しても喧嘩になるだけに決まっている。それなら先に数を減らして、五人で分けられるようにしておこう」
末っ子はそう言うと、あと二つパンを出して、口に押し込んだ。
「ボクは頭がいいし、こんな朝早くから走り回ってるんだから、これくらい当然さ。兄さん達とは違うんだ」
そう言い聞かせるように呟きながら食べ終えると、ようやく満足げに息を吐き、五個だけ残ったパンの入った袋を抱え、改めて帰り道を歩いていく。
家に戻ると、兄たちは全員帰っていて、末っ子を暖かく迎え入れた。
「お帰り、お疲れ様。……なんだ、その袋はどうした?」
末っ子は少しドキッとしたが、パン屋から貰ったんだ、と言って話しかけてきた長男へ袋を渡すと、長男は中身を見てとても喜んだ。
その喜んだ顔を見て、末っ子は少し嫌な気分になった。
「こりゃあ大したご馳走だ、まだまだ温かいぞ。よし、座れ座れ。俺達もみんな今日は土産を持ってきたんだ」
小さな部屋に五人で円を描くように座る。
まず長男は、末っ子が持ってきた袋を掲げた。
「うちのチビが出来たてのパンを持ってきてくれた!こんな上等なもの、そうそう食えるもんじゃあない。おまけに数も一人一つずつ。みんなで仲良く分けられるぞ」
他の三人が嬉しそうに歓声を上げる。その声を聴いて、末っ子はまた少し嫌な気分になった。
「それに今日は、肉屋の主人から干し肉も分けて貰えた」
なんだ、ただの硬い肉じゃないか。末っ子は心の中で思いながら、嬉しそうに目を輝かせて見せた。
「残念ながら四つしかなかったからな。お前達で分けてくれ。俺はチビが持ってきてくれたこのパンだけでお腹いっぱいだ」
長男はそう言うと、袋から出した小さな肉の塊を、兄弟たちの前に置いた。兄たちの喜ぶ声を聴きながら、末っ子はまた少し嫌な気分になった。
すると今度は、次男と三男が顔を見合わせ、ニヤリと笑う。
「俺たちはもっとすごいぞ。建築を見学に来ていたお客さんが、俺たちの働きぶりに感心してくれてな」
「そうそう、賃金とは別に、俺たちに小遣いをくれたんだ!」
二人が得意げに突き出した銅貨は、それぞれ片手に乗る程度の量だった。こんな量を分けたんじゃ端切れ程度しか買えやしない。末っ子はそう思いながら、銅貨に無邪気に手を伸ばして見せた。
「本当は銀貨でくれる、という話だったんだがな」
「あぁ、兄弟で分けたいからと言って、分けやすい銅貨にしてもらったんだ」
末っ子は更に嫌な気分になった。
最後に四男が、おずおずと手を上げる
「えっと、僕は奉公先のご主人が、今日は随分機嫌がよくて、ご主人宛てに送られてきたお菓子を、そのまま丸ごと貰ってきたんだ」
お菓子を丸ごとだなんて。きっとその主人はお菓子が嫌いだったんじゃないか。そんな意地の悪いことを考えながら、末っ子は四男の手元をじっと見つめた。
他の兄たちも興味深げに見る中、四男が取り出した箱には、美味しそうなケーキが入っていた。ケーキの数は五個だったけれど、それとは別に隙間があった。
「……ごめん、どうしても我慢出来なくて、つい一個食べちゃったんだ」
「なんだって!?」
部屋の中に響くほどの大声を上げて立ち上がったのは、末っ子だった。
「兄さん! 酷いじゃないか! ボクや他の兄さんたちは一生懸命働いて、みんなが喜ぶようなおみやげまで持ってきたのに! それなのに兄さんと来たら、それを自分だけ食べたっていうのかい!?」
末っ子の声は止まらない。すごく嫌な気分だった。四男の泣きそうな顔が、信じられないくらいに苛立たしかった。
「ごめん。ごめんよ、一つだけ余るから良いかと思ってしまったんだ」
「その一つだってみんなで分ければよかったじゃないか! 汗水流して働いているのはみんな一緒なんだぞ!」
「その通りだな、チビ。そのくらいにしてやれ」
末っ子の言葉を長男が止める。
「チビの言うとおりだよ。だけど、お前もよく話してくれた。よっぽどおいしそうで、我慢が出来なかったんだろう?」
四男は長男に肩を叩かれ、スンスンと鼻を鳴らしながら、小さく頷いた。
末っ子はすごくすごく嫌な気分になって、何か言いたかったけれど、何も声が出なかった。その時、
「よし、こうしよう。それならお前の分のケーキは、俺たちのことを思って叱ってくれたチビにやろうじゃないか」
長男がそんなことを言い出して、末っ子はびっくりした。次男、三男、四男も、その言葉にうなずく。
「あぁ、それなら平等だ。そうだ、俺たちが貰ってきた銅貨も、全部チビに使ってやるのはどうだろう」
「そりゃあいい、全部集めれば靴の一足くらいは買える。いつも朝晩駆け回っているチビへのプレゼントにしよう」
「チビ、ありがとう……君のおかげで目が覚めたよ。せめてもの詫びだよ。僕の分のパンと肉は君が食べてくれ。そうでもしなきゃ、僕の気が済まないんだ」
末っ子の前に銅貨が置かれ、二つのパンと、二つの肉と、二つのケーキが並べられる。
「さぁ、食べるといい。今日もずっと駆け回ってさぞ腹を空かせただろう。遠慮することはない」
末っ子は何も言えなかった。長男が勧めるままに、震える手でパンを手に取る。嫌な気分だった。
見渡すと、兄たちが嬉しそうに、愛おしそうに末っ子の事を見ていた。とんでもなく嫌な気分だった。
何度も口を開きかけるけれど、たっぷりパンを飲み込んだお腹は、それを受け入れようとしてくれない。
やがて小さなゲップが出て、末っ子はパンを手にしたまま涙を浮かべて、とうとうそのままワンワンと、大きな声で泣き出してしまった。
兄たちは何が起きたのかわからず、ただおろおろとして、末っ子の背中を擦ったり、涙を服で拭ってやったりして、そのたびに末っ子からは溢れんばかりに涙が出た。
末っ子はすごく、すごく、すごく、嫌な気分だった。
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