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『由依か? ニュースで見た。そっちも雪、積もったのか』
私は息を呑んだ。懐かしい声に、昔の記憶が蘇る。
「……もしかして、お父さん?」
『話は後だ。どうだ雪は? 積もってるんだろう。何か変わった事はないか。おかしな事は起きてないか』
――ギュッ……ギュッ……。
家の外を歩く、何かの足音。
それに思い当たった瞬間、背筋がぞっとした。
寝起きで頭がぼーっとしていた事もあって、広夢が帰って来たとばかり思っていたけれど、そんなはずはない。電車もバスも止まって、こんな雪の中をどうやって帰って来るというのか。仮に広夢だとして、黙って家の周りを歩き続けるとは考え難い。
「……一緒。あの時と一緒なの。誰かがずっと、うちの周りを歩き回ってる」
『そうか。今は一人か? 誰か一緒にいるのか?』
「いない。私、一人」
『わかった。心細いかもしれないが、とにかく朝まで待て。おそらく今すぐ家の中に入って来るような真似はしないはずだ。朝日が出るのを待ってから、家を出るんだ。もし明日の夜まで雪が残るようなら、雪のないところまで離れろ。いいな?』
「これは……鎮守様、なの?」
電話の向こうの父は、答えなかった。
『とにかく、言う通りにするんだ』
「言う通りって……おかしいよ! どうして説明してくれないの! あの時も、今も! 全然意味わかんない! 急に電話してきて、ああしろ、こうしろって、一体どういうつもりなの?」
『助けたいんだよっ!』
耳が痛くなるほどの怒号が、電話の向こうから響いた。
『俺の姉……お前のおばさんになるはずだった人は、助けられなかった。だから今度こそ、お前だけは助けたいんだ。黙って言う通りにしてくれ』
「……おば……さん?」
父に姉がいたなんて、初めて聞く話だった。
『お前と同じだったんだ。鎮守様まで行く途中で足を滑らせて、饅頭を落っことした。でも怒られるのが怖くて、姉は黙っていた。俺達は気づく事もできずに、普通に暮らしてた。そしたらある夜……』
ため息とも嗚咽ともつかない深い吐息を漏らし、父は言った。
『姉は連れて行かれた。雪の中やってきたお迎えによって、な』
寒気がした。じゃあ外の足音は、あの遠い村から私を迎えに来たというのか。
今になれば祖母があんなにも怒った理由も、父が冷たく私と母を追い出した理由もわかるような気がした。でも、納得できない事だってある。
「どうして今頃そんな事言うの? あの時先に教えてくれてたら、私だってあんな……」
『役割はお前一人にあるわけじゃない。祖母ちゃんにも、俺にも、色んな役割があるんだ。ちゃんと教えてやれたらどんなに良かったか。祖母ちゃんも、毎晩のように泣いてたよ。もう一回、死ぬ前に一度だけでいいから由依の顔が見たかったってな』
「そんな……」
言葉がなかった。
私達母娘はよっぽど祖母から嫌われてるんだろうとばかり思っていたのに。それも全て、鎮守様のせいでそうせざるを得なかっただけなのだとしたら。
『いいか。言う通りにしろよ』
「待って、お父さん」
まだ、大事な事を聞いていない。
「私の電話番号、どうして……?」
『……母さんが亡くなる前、教えてくれたんだ。もし何かあった時には、由依を頼むって。まずい、そろそろ時間だ。由依、その……』
「お父さん、待って! 切らないで! お願いだから! 私を一人にしないで!」
『……すまない』
電話の向こうで、初めて父が謝った。
『お父さんももう、自分の役割をだいぶはみ出してしまってるんだ。これ以上はもう、どうにもならない。由依、いいか。これからも強く』
生きるんだぞ、と言おうとしたのだと思う。
電話は中途で切れて、プー、プーという機械音に変わった。何度かけ直しても同じで、呼び出し音に変わる事はなかった。
私は頭から布団を被ってベッドの上にうずくまった。その昔、祖母と父と母と四人で、仲良く暮らしていた頃の思い出ばかりが頭の中をぐるぐると駆け巡った。時にはそこに、当時の私と同じぐらいの背格好の、まだ見ぬ叔母が混じる事もあった。涙が次から次へと溢れ出て止まらなかった。
――ギュッ……ギュッ……ギュッ……ギュッ……。
静けさを取り戻した部屋に、再び何者かが歩き回る音だけが響く。
雪を踏む音は、朝日が昇るまでいつまでもいつまでも、止む事なく続いてた。
<了>
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