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喫茶店で一人取り残された。
コーヒーを口につけるが、すっかり冷え切っていた。
二階の窓を見下ろす。
傘を差す人がチラホラ見えた。
しとしとと、雨が降りはじめていた。
美香…。
ぼくが見ていた美香を思い出す。
美しかった。
笑顔がまぶしかった。
支えだった。
ずっと一緒にいるんだと思っていた。
涙がにじむ。
外は薄暗くなっていた。
街の明かりがキラキラと輝いて見えた。
そのときだった。
街を歩く一人の女性が目に入った。
傘をささずに、大通りを歩いている。
美香だ。
あの黒髪。そして真っ赤なジャケット。
急いで上着を羽織って、店を出る。
階段を降りて、大通りを見る。
駅の方へ向かう。
走る。
傘を差す人をよけて、走った。
すると赤いジャケットが見えた。
せまい路地へ入っていく。
迷っている場合じゃない。
路地へ向かう。
行き止まりだった。
そこに女性がこちらを向いて待っていた。
間違いない。
「美香…」
ぼくが声をかけても女性は微動だにしない。
「美香だろ、ずっと捜していた。会いたかった」
かなしそうな目をしているように見えた。
「なんかさ、変なヤツがきてさ。山田って大柄なやつ。美香の知り合いだって言うんだ。そんなヤツ知らないだろ?」
なんでそんな話をしているのか、自分でもわからなかった。
「美香からのLINEメッセージ、あんなの信じてないから。とにかく無事でよかった」
美香がこちらを見ているのか、暗がりでそれすらわからない。
「探偵事務所にも行ったんだ。そうしたら自殺の危険性もあるとか言われて。心配で心配で」
「ねぇ、わたしのこと愛してる?」
美香の声だった。
うれしさで心が満たされる。
「もちろんじゃないか。愛しているよ」
美香は目をつぶって顔を上げた。
天を見ているかのようだった。
雨はどんどん強くなっていた。
美香の顔が濡れているのがわかる。
美香が近づいてくる。
一歩一歩ゆっくりと。
ぼくの目の前に美香がいる。
ふわっと美香のにおいが漂う。
2人で暮らしていた記憶がよみがえる。
美香が倒れかかってくる。
「うっ」
左わき腹に痛みを感じた。
「美香?」
彼女はニヤっと笑っていた。
恍惚の表情。
「会いたくなかった。でもどうしようもなく会いたかった」
「なんで、こんなことを…」
美香の右手にはナイフが握られていた。
さらにナイフがグッと押し付けられる。
「わたしね、人を愛すれば愛するほど、抑えきれない衝動が生まれるの」
そうか、これが彼女の愛情表現なのか。
「狂おしいほど、あなたを愛している」
ありがとう。
気が遠くなる。
体を支えきれずに、その場に崩れ落ちた。
真っ赤な右手と真っ赤なジャケットだけになる。
意識がもうろうとしてきた。
最後にきみに伝えたい。
「美香、出逢ってくれてありがとう…」
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