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「すいません」
探偵事務所から駅に向かう途中、後ろから声をかけられた。
「あの、美香を捜していますよね」
なんでそれを知ってる? だれなんだ。この男は?
「あやしい者じゃなくて。いや、それはあやしい人が言うセリフか。でも、美香をぼくも捜しているんです」
頭が混乱する。気持ちを整えながら、質問をする。
「ふざけないでください。そもそも、どうしてぼくが美香を捜していることを知っているんですか」
「彼女に命を狙われたんです」
美香のLINEメッセージが思い浮かぶ。
「山田と言います。信じられないのはわかります。だけど、話を聴いてほしい。あなたにも関わることでしょう」
男の話はまったく信じていない。だけど美香について少しでも情報があるなら、喉から手が出るほど欲しい。
「美香とはどういう関係なんですか」
喫茶店で注文したコーヒーが来る前に切り出した。
「その前に、自己紹介をしておきます」
男は、スーツ姿でいかにも営業マンという身なりをしていた。
「山田健太といいます。わたしは、◯✕商事で働いています。
「で、どこで会ったんですか? 美香と」
勤務先なんて、どうでもよかった。
「恋愛アプリです」
いっしょだった。
「初めて会ったとき、驚きました。一目惚れです」
そう、恋愛アプリでは、だれもが盛っている。美香は実物のほうがはるかに美しかった。
「それから付き合うようになりました」
「どのくらい前なんですか?」
「4ヵ月前です」
そんなに最近の話なのか。ショックを受けたが、動揺しないように取り繕った。美香の美しさを考えれば、それもあたりまえだとも思った。
店員がコーヒーを運んできた。
山田はコーヒーにミルクを入れていた。
「用件を早めに言ってもらえますか」
「そうですね……」
山田はコーヒーに口を運ぶ。
そして周りを目で確認しながら、神妙な表情になる。
「美香に殺されそうになったんです」
なにを言ってるんだ、こいつは。
「そんなに怖い顔しないでください」
自分でも知らない間に、眉間にしわが寄っていたようだ。
「すいません。でも、そんなわけないじゃないですか」
「わたしも信じられませんでした」
山田はグッと拳に力を入れながら、続けた。
「深夜のことです。あのときのことは、思い出すのもツラい」
少し間を空けて、踏ん切りをつけたかのように話し出す。
「苦しくて目が覚めたんです。目を開くと、目の前に美香がいた。鬼のような形相をしていた。ケンカをしたこともありますが、そのときだってこんな顔をしたことはない。声が出なかった。首を絞められていたんです」
想像をしようとするものの、美香のそんな顔がまったく出てこない。
「私は抵抗しようとしましたが、馬乗りの状態で、動くこともできない。すでに意識が朦朧としていた。なんとか枕元の時計をつかんで、彼女に投げた。頭にあたった。絞められていた手の力がゆるんだので、彼女を突き飛ばすことができたんです。それから、彼女は部屋から逃げ出した」
まったくのデタラメだろう。茶番だ。矛盾をついてやろうと思った。
「追いかけなかったんですか?」
「あまりものショックで、動けなかったんです」
ほらみろ。愛した彼女に殺されようとしたのに、跡を追わないなんてありえない。
「なんだかおかしな話ですね」
「信じられないのも無理はありません。だけど、私の首にはいまも跡が残っている」
山田がシャツをグッと下にすると、首には赤いあざがうっすらと見えた。山田がシャツから手を話しながら話す。
「美香のおでこに、あざがありませんでしたか?」
ハッとした。彼女は気にしていた。おでこのあざを。左の髪を伸ばして、隠すようにしていた。
「知りません」
認めてしまったら、この男の話も認めることになる気がした。
「そうですか」
山田は信じてないだろう。
「で、美香とは連絡がとれなくなった?」
「そうです。部屋中、家中を確認しました。すると、美香のモノがすべてなくなっていることがわかりました。服もない。化粧品もない」
「それって…」
「計画的な行動だったってことですよ。すべての証拠をなくした。そして、私の命を狙った」
「その話が百歩ゆずって本当だとしましょう。なぜぼくのことを知ったんですか? なぜその話をぼくにするんですか?」
「また美香に狙われると思ったから……。怖くて怖くて仕方なかった。愛した女性に殺されかけたんですよ。だから、美香の消息を追ったんです。それであなたにたどり着いた」
「どうやって」
「警察は相手にはしてくれない。探偵事務所に依頼しました」
「まさかそれって」
「そう、田崎さんのところです。美香のことを知ってると言ってましたか?」
「いや、捜索したことがあるとは聞いていません」
「そういう誤魔化しはお手のものなんでしょうね。ただあの人が優秀なのは間違いありません。美香の居場所を見つけたんだから。あなたのもとに、美香がいることを突き止めた」
勝手にプライベートを突き止められて気分が悪かった。田崎にも騙された気分になった。山田は意に介さない様子で続けた。
「あなたの家を見張って数日したら、あなたが探偵事務所に向かった。これは何かが起こった。美香が失踪したのだろうと思った。私は彼女がどこにいるのか、何をしているのか、把握しないと心が壊れてしまいそうになっていたんです」
「また美香はいなくなった…」
「協力して捜し出しましょう。もしかしたらあなたも命を狙われるかもしれない」
お前とはちがう、美香が殺人者なわけがない、と思いながらも、LINEのメッセージが頭をよぎる。
「わかりました。なにか美香の足取りがつけめそうなら、お互い連絡をとりあいましょう」
ぼくと山田は、連絡先を伝えあった。
そして山田は伝票を持って、席をたった。
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