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「はい」  イケメンの店員さんは、はっきり頷いた。 「桜葉さんは以前もご来店されました。お名前は確かそのときにお伺いしましたよ」  その言葉を聞いた途端、わたしの頭の中に、ぶわぁと当時の記憶が蘇ってきた。あれは確か十年前、わたしがまだ高校生だった頃のことだ。わたしには、大好きだったひとつ上の先輩が居て、ずっと片想いしていたのだけれど――先輩が部活を引退することになったある夏の日、思い切って告白をしてみたのだ。案の定、わたしは振られて……傷ついた心を必死に隠しながら、家路についたあの日。 「そういえば十年前のあの日も、最寄りから家までの間に、気づいたら知らない道を歩いていて……確か、このお店に」 「そうでしたっけ。もうそんなになりますかね」  「はい……あれ、でもなんで」  わたしは首を傾げた。高校生の頃はまだ家を出ていなかったから、隣の隣の市に住んでいたはず。でも今、「霧屋」はここにある。 「お店、移転しました?」  その問いに、店員さんは答えなかった。ただ黙ってこちらを優しそうな目で見ていた。 (移転してないのかしら。だとしたら、わたしは駅前から歩いて隣の隣の街まで来ちゃったってこと……?)  そこまで考えてから、わたしは思い直す。 (今はそんなこと、なんだかどうでもいいや)  ずっと昔に訪れた雑貨屋と偶然にも巡り合うことができたこと。『雑貨の霧屋』が今ここにあること。それで、十分な気がしてきた。  店員さんが、ニコニコしながら口を開いた。 「二度目のご来店、ありがとうございます。ぜひゆっくり見ていってくださいね」  わたしは棚の間に足を踏み入れた。色とりどりのパッチワークの小物、きれいに彫られた花模様のハンコ、可愛らしい木彫りの兎に、小さな犬の置物、星空模様のトートバッグ。年代ものと思われる服や、有名な文豪の初版本などもあった。――前にも感じたことだが、雑貨屋兼リサイクルショップ兼古本屋、という風な品揃えだ。  そんな中、ひとつ。  わたしの目にとまった小物があった。 「……え、なんで」  思わず片手を伸ばし、それを手に取る。 「どうしてこれが、ここにあるの?」  わたしの手の中におさまったそれは、クマのぬいぐるみのキーホルダーだった。茶色の色合いも、首元についている赤い水玉模様のリボンも――全部、わたしの思い出の中のクマそのものだった。  これは……わたしが高校時代に持っていたものだったのに。それこそ、例の告白して振られた先輩から、まだ想いを伝える前に「旅行のお土産だ」と言ってもらったもので。 「ずっと、失くしたと思ってた……」  わたしが思わず呟くと、後ろから店員さんの声がした。 「それ、以前のご来店のときに、桜葉さんが置いていかれたのですよ」  「え……?」  振り返り、店員さんに聞き返す。 「置いていった、って」 「もういらないから、と、おっしゃっていました」 「……そうだったんですか」  当時のわたしに思いを馳せる。ずっと想い続けていた先輩に、振られたあの日。「ごめん、実は付き合っている彼女が居るんだ」と告げられた、あの夏の日。なんとなくそんな気はしていて、振られるのも予想していたけれど――それでも、失恋という名の淡い痛みは、わたしの心をゆっくりと傷つけた。  よく覚えていないけれど、あの日のわたしは、たぶん先輩に関するもの全てを自分から遠ざけようとしたのだろう。だから、先輩からもらって以来ずっと付けていたクマのストラップを、偶然行き当たった雑貨屋さんに置いてきたんだ。 「す、すみませんでした」  わたしは、高校生のわたしに代わって謝る。 「雑貨屋さんって、買い取りとかしてるわけじゃないのに。押し付けたみたいになっちゃって、ごめんなさい」  頭を下げるわたしに、店員さんは優しく語りかけた。 「大丈夫ですよ」 「本当ですか……?」 「ええ。実は、物を置いていかれるお客さん、他にもいらっしゃるんですよ。別に当店も受取拒否はしていないですし」 「……他にも、居るんですね」  もしかしたら、この沢山の商品たちも、誰かが置いていったものかもしれない。普通にリサイクルの感覚だったのかもしれないし、あとはわたしみたいに、誰かを忘れたくて、とか。そういう理由で。  店員さんが続けた。 「せっかくいただいたものたちなので、比較的良い状態のものは店に置いているんです。もしかしたら、もう一度ご来店いただいた際に、やっぱり持って帰るという方もいらっしゃるかもしれないですし」 「そう……なんですね」  わたしは、どうだろう。  「もう一度ご来店」できたけど。この、先輩からもらったクマさん、連れて帰りたいのだろうか。  ねぇ、どう、わたし?  心に聞いてみても、答えは出ない。  わたしは再び目の前の商品棚を見た。今度はクマがおいてあったスペースの横に目が行く。そこには、ちょこんと小さなロボットが座っていた。 「……ロボット」  わたしはクマを左手に持ち替え、右手でそれを持ち上げた。ロボットの背中側からチェーンが伸びており、ストラップになっている。ふと、また思い出すことがあった。片想い相手の先輩、ロボットとか好きだったな。エンジニアになりたくて……大学は工学系に進むって、言ってたっけ。  そういえば、先輩……通学鞄にこれとよく似たロボットのマスコットつけていなかった? わたしの思い違いかもしれないけれど、なんとなくこれは、先輩のものなのかもしれないと思った。  だからと言って、今はなんの感情も湧き起こってこないけれど。 「それ、お買い上げになられますか?」  わたしがしばらくロボットを見つめていると、店員さんがそう言ってくれた。 「確かそれも、どなたかが……六年ほど前に、置いていかれたストラップなんですが」  六年前、といえば、わたしは大学三年生か。そんな関係のないことを考えながら、微妙な声音で返事をする。 「そうだったんですか」  それ置いていった人って、どんな人でしたか。聞こうと思ったけど、やめた。別に今のわたしは、それを聞いたところで何も出来ないし。 「……買うのは、よしておきます」  ゆっくりと、そう言った。店員さんは「では」とわたしの左手を指した。 「そのクマのストラップはどうされますか? 持って帰られますか?」
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