プロローグ

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プロローグ

美しかった樹々は無残にも焼け落ち、美しい街並みを描いていた煉瓦造りの家々はその多くが元の形を成していなかった。 小さいが賑やかだった村はもう存在していなかった。 始めからそんなものなど存在していなかったとでも言うように、寒々しい景色が広がるのみ。 もちろんユノの小さくも温かい家も消え去っていた。 瓦礫にユノが父母と取り囲んでいたお気入りの暖炉がほんの僅かに残っていて、それだけが家族が確かに存在していたという証のようだった。 「父さん……母さん……っ」 零れ落ちたユノの声は掠れていて、音になったのかどうかもわからないくらいだった。 ユノの誕生日は家族で祝う予定であった。 隣村の疎開先にいるユノに送られてきた手紙には、そう書いてあったはずなのに。 戦争が終わり、疎開先から帰ってくるなり現実を突きつけられた小さなユノは、どのくらいそうしていただろうか。 もうこのまま死ねたらいい。 そう思って冷えゆく体をそのまま降りしきる雪に晒した。 痛いくらい冷たい。 冷たいくらい痛い。 感覚が混濁してきたころ。 不意にザクザク、と馬が荒れた雪道を歩く音がした。 ユノが冷えて固まったような首を何とか持ち上げて辺りを見回すと、陽はすでに傾いていた。 音の正体は焼け野原にはそぐわない美しい馬車であった。 このシュトレイン王国の最北部に位置するクルリ村のような田舎で育ったユノは、そんな豪華な馬車は絵本の中でしか見たことがなかった。 恐ろしい現実の中、こちらに向かってやって来る馬車。 そこだけがまるで夢のような光景で、ユノは自分も死んで父母の元に行ってしまったのではないかと錯覚するほどだった。 黒く美しく光る馬に引かれた美しい細工を施してある馬車は何両も続き、ユノの目の前を通過していった。 極寒の雪の中に佇むユノなど見えもしないというように通り過ぎて行く馬車の列。 それをユノは目をまるめて一心に見ていた。 幾両も馬車が通り過ぎていった後、最後の一両がユノの目の前で止まった。 緻密な細工が施された白と青の馬車は金で縁取りされていて、こんな状況下なのにため息が出るほど美しかった。 止まった馬車の扉が開いた。 すると中から少年が降りてきた。 ユノはその姿を見て息を呑んだ。 ユノと同じくらいの年の頃だろうか。 光り輝くように美しかった。 実際は人間なので光り輝いてはいないであろうが、本当に光り輝いて見えた。 それくらい少年はとても美しい姿をしていた。 とりわけ美しいのはプラチナ色の髪の毛と透きとおった青い瞳。 美しい少年はユノに向かって真っすぐに歩いてきた。 「ここで何をしている?」 少年は声まで美しかった。 「え……?」 話しかけられるとは思わなかったので、ユノは驚いて何も言葉を発することが出来なかった。 普段は皆が利発だと褒めてくれるが、今は何を口にしたら良いのか分からなかった。 「話せないのか? まぁいい。もうすぐ日が暮れる。こんなところに子供が一人でいたら命に関わるかもしれない。馬車に乗れ」 そう言って少年がユノの腕を引く。 「殿下! そのような平民の子供をシュトレイン家の馬車に乗せるわけには参りません!」 少年のすぐ後ろに控えていた眼鏡の男が叫ぶように言った。 おそらくこの位が高そうな少年の侍従魔法使いなのだろう。 侍従魔法使いとして王都で働くと言って村から出て行く若者もいるし、本でも読んだことがある。 そのためユノは位が高い者の身の回りの世話をする侍従魔法使いという存在を知っていた。 「なぜだ?」 「王族は平民と関わるものではないからです。しかも殿下はただの王族ではなく国の大切な『光の魔法使い』なのですよ」 きっぱりと侍従はそう言い放った。 「しかし、平民は我々王族が守るものだ。このような平民の無力な子供がこんな寒い場所に一人でいたら命が危険だ。保護するのは王族として当然のことだろう」 幼いながらも、毅然と正論を言い放った少年に、侍従は溜息を吐いた。 「……わかりました。村の中心部にある集会場に立ち寄ってからここを去る予定です。そこまで連れて行くだけです」 「それでいい。おい、行くぞ」 美しい少年はユノに言ったが、ユノは静かに首を振った。 「ここが家なので、行けません」 断られるとは思っていなかったのか、少年も驚いたように美しい青い目を見開いた。 「家は壊れてしまっているではないか。屋根もない。この寒さでは日が暮れたら危ないぞ。馬車に乗れ」 少年は腕から手を離し、ユノの手をそっと取った。 荒れてガサガサのユノの手と違い、温かく滑らかな手。 「父母が帰って来るかもしれません」 ユノが答えると、少年の青い目はユノの黒壇のような目をじぃっと見つめた。 「お前の父母はお前が風邪を引いたら悲しむだろう。僕が村長にお前の両親に『言の葉送り』で言伝をするように言ってやるから、馬車に乗れ」 命令口調だったが、ひどく優しい声だった。 確かにユノの母親はこの寒い村でユノが風邪など引かないように、いつも細やかに気を配っていたし、風邪を引けば夜通し看病してくれた。父もユノが風邪と聞けばユノの好きな食べ物を持って急いで帰って来てくれた。 そのことを思い出したらユノの鼻の奥はツンと痛んで涙が溢れそうになった。 少年は言葉に詰まったユノの手を握った。 「行くぞ」 ユノはそう言った少年の声に今度は逆らわず、彼に手を引かれるままに馬車に乗り込んだ。 風邪を引いてもあんなに心配する両親だ。ユノが死んだりしたら、きっとものすごく悲しむ。 もう二人はこの世にはいないが、それでもユノは少年の言葉を聞いて、父母を悲しませたくないと思った。 少年は馬車に乗り込むとユノに隣に座るように言った。 ふわふわで白い座席を自身の煤けた服で汚してしまう気がしたが、少年は気にするなと言った。確かにこれほどの家のものであれば、清掃魔法が得意な侍従魔法使いが沢山いるだろう。 清掃魔法のプロフェッショナルにかかれば、多少の汚れは造作も無いことだ。 そう思って恐る恐るユノは美しい座席に腰掛けた。 「名は何という?」 「ユノ……です……」 「そうか。僕の名はキリヤという」 「キリヤ……様」 ユノが小さく呟く。 「キリヤでいい」 キリヤがそう言ったものの、呼び捨てになどできず、ユノは何も言えなくなり窓の外に目を遣った。 窓から見える光景は見慣れた村とは全く違い、焼け野原だった。 「親には『言の葉送り』をしなくても大丈夫です」 その景色を見ながらユノはぼそりとキリヤに呟いた。 青い瞳がユノの方を向いた。 「二人とも、もう死んでしまったので」 「そうか」 ユノの声に応えたキリヤの声は穏やかだった。 「親や近しい人が死ぬのは悲しいな。僕も母様や叔父上が亡くなったときはとても悲しかった」 キリヤは更に続けた。 「僕の場合は父様がご健在でいらっしゃるから、お前の気持ちを全て理解することはできないが」 そう言ってキリヤは繋いだ手にそっと力を込めた。 ユノの瞳から堪えていた涙がとうとう溢れた。 キリヤは繋いだ手と反対の手で取り出したハンカチを押し当てた。 「汚れます」 ユノはそっとハンカチを押し留めようとした。 「汚れる? こんなにきれいなのに?」 驚いたように言うキリヤの瞳のほうがずっとずっときれいじゃないかとユノは思ったけれど、言葉を上手に紡げなかった。 ギュッと繋いだ手だけが温かくて、久しぶりに感じる温もり。 だが小さな村の集会場まではそんなに時間がかかるわけはなく、あっという間に着いてしまった。 村人達はユノの姿が見えなくなって随分心配して探していたらしい。 ユノが見つかりホッとした様子を見せた村長夫人に侍従魔法使いの手によって引き渡された。 最後に馬車からキリヤが降りて、ユノの元へやってきた。 「ユノ、これをやる」 少年は自分の首に巻き付いていた滑らかなグレー色のマフラーを外すと、ユノの首にふわりと巻きつけた。 そして胸についていた青いブローチも外した。 「これのブローチの青い宝石は僕の魔力を取り込んでいるからお守りになるらしい。ユノの父母の代わりにはならないが、ユノを守ってくれる」 彼の青い目をそのままブローチにしたのではないかと思えるほど美しい宝石がついたブローチ。それでキリヤはマフラーを留めた。 そして幼いながらも凛とした少年は颯爽と身を翻して馬車に戻って行った。 馬車が小さくなるまでユノは見送った。 御伽話の世界に入り込んでしまったようだった。 彼が巻いてくれたマフラーはいつまでも温かく、青い宝石は内側から光る様に輝いていた。 それが彼との初めての出会いだった。
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