三章、開花と飛翔

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39、見え方がぜんぜん違うものね  後日、桜子は学校に登校した。学級は、元の梅組のままがいい、と希望をして、その通りにしてもらっている。   (遅れた部分を自分なりに勉強してきたけど、授業についていけるかな)     勉強の心配もあるけど、対人関係の不安もある。  学校の外観が送迎車の車窓から見えて、桜子は緊張気味に黒い革製の手提げ学生鞄を持ち直した。 「もみじ、いっしょにおべんきょうする!」     もみじは桜子の束髪を飾る大きなリボンに髪飾りのように留まって、いとけない声ではしゃいでいる。その声に、桜子は日常感を感じた。 「うん。もみじちゃん、一緒にお勉強しよう」 「わーい!」  送迎車から降りた桜子に、周囲の学生たちが挨拶してくる。   「桜子様、おはようございます」 「桜子様、ごきげん麗しゅう存じます!」    緊張した面持ちで、上の身分の人に接する温度感で。よく心配してくれていた級友は、「お元気そうでよかった」「おめでとう!」と嬉しい言葉をかけてくれている。   (私も緊張しているけど、他のみんなも緊張しているみたい。当然よね……)  桜子は笑顔で挨拶を返した。    「おはようございます、お久しぶりです。あの、あまりかしこまらなくても、大丈夫です」  桜子は矢絣(やがすり)の着物の袖をひるがえし、えんじ色のリボンをなびかせて道を往く。   海老茶(えびちゃ)色の女袴を揺らし、懐かしい学び舎を堂々と歩く。学生たちはそんな桜子に次々と頭を下げた。   「さ、桜子、さま……」   おそるおそる声をかけてきたのは、上流階級の学生たちだ。金魚が水中で酸素を貪るようにぱくぱくと口を開閉させてから、今にも土下座をしそうな勢いで謝罪してくる。   「以前は、大変失礼いたしました……!」 「反省しております。ご無礼をお許しください」    すっかり忘れていた顔ぶれだ。桜子は懐かしく思った。   「ご丁寧にありがとうございます。そんなに(かしこ)まらなくても、大丈夫です」  優雅にお辞儀をして「それでは」と立ち去る背で長く艶やかな黒髪が揺れる。学生たちは陶然とした面持ちで、頭を下げた。 (京也様は、いつもこんなお気持ちなのね)    立場が違うときには想像のつかなかった貴き身分の気持ちが、最近は少しずつわかるようになっている。   (建物だって、下から見上げているときと、中にいるときと、外側を飛んでいるときと、見え方がぜんぜん違うものね)    桜子は、京也が自分を抱えて飛翔した夜を思い出しながら、そう思った。   * * *  一方、雨水(うすい)羅道(らどう)もまた復学していた。    雨水家は、家長である宵史郎に極刑が決まった。  残った家族は「反省する」「人間への接し方も改善する」という誓いをさせられて、所有していた土地や財産の半分を没収されてしまっている。  てっきり、『家長である宵史郎と一緒に命さえも失う羽目にはるのでは』と絶望していた家族にとっては、命があるだけ幸いの判決であった。    天水家の当主が「協力関係になく、宵史郎の罪を知らなかった家族にまで罪を問うべきではない」と言ってくれたのだ。その息子である犬彦などは「お甘いのではございませんか」と不満そうにしていたが。    とはいえ、世間の目は厳しくて、道を歩けば白い目で見られるし、使用人たちも『この家で働くのはごめんだ』と逃げていく。家が傾いたときに『残ってお支えしますよ』と忠誠心をみせてくれる使用人はいなかった。    大黒柱を失い、社会的に肩身の狭い立ち位置になった羅道の母、知豆子(しずこ)は心身を病み、寝たきりになってしまった。    自慢の洋館はあっという間に手入れが行き届かなくなり、収入はほとんど断たれたのに支出ばかりが(かさ)んでいく。  天水家をはじめとする同族・妖狐族の監視役はあちらこちらで目を光らせていて、「次になにかすればどうなるか、わかっているな?」「我ら妖狐族は天狗皇族に忠誠厚き一族なのだ。わかっているな?」と圧を放っている。    周囲に味方してくれる者がいなくなっていくので、羅道はイライラした気持ちを弱者に八つ当たりすることもできないし、現状に対する不平不満を声高にとなえることもできない。  ……ストレスばかりが溜まる日々だ!    そんな羅道の耳に「春告桜子さま」という名前が聞こえてきた瞬間は、悪夢のようだった。   (……桜子)  あの娘が、以前と違う新しい名前で呼ばれている。それがまず、羅道の心の深いところでざわりとした。    不快なものなんて、見に行かなければいい。そう自分の中の冷静な部分が注意するのに、足はどうしても門の方向へと向かってしまう。    絢爛に咲き誇る桜並木が、無性に気に入らない。   (浮かれきっている)    羅道はこの木々をすべて燃やしてしまいたい衝動に襲われ、狐火を使いかけた。そうしなかったのは、黒塗りの高級車から降りて外に出てくる桜子が目に入ったからだ。   (……桜子だって?)     どきりと胸の鼓動が跳ねた。 (あれが、ほんとうに桜子なのか)  羅道は、自分の目を疑った。  そこにいたのは、以前の桜子とは見違える女学生だった。  肌は健康的で、姿勢がよい。艶のある黒髪を流行りの束髪にしていて、大きな髪飾りにはさりげなく式神がつけられている。  可憐な唇は咲きごろの花のように色づいていて、瞳は澄んでいる。  所作には匂い立つような気品と自信が感じられて、まるで幼いころから大切に慈しまれてきた極上の姫君だ。桜の精といわれても、信じてしまいそうだ。    なんて、幸せそうな笑顔。  なんて、堂々とした佇まい。  同一人物か疑ってしまうくらい、桜子は変わっていた。  今、羅道の視界にいるのは、天女のように清らかで優しい気配を漂わせた可憐な乙女だ。   (あの桜子は、……僕のだったのに)  胸の鼓動が速まる。想いが一秒ごとに強くなる。  あの娘が他の男のものになったのだと言う現実が、不快で仕方がない。羅道は熱に浮かされたように足を進めた。  そして、事件を起こしたのだった。  
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