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たん、たん、たん、とバスケット用のボールが床を打つ規則的な音がする。鮎奈はバッシュなんて持っていないだろうから、ただの体育用のスニーカーを履いているはずだった。しかし。
「へえ……」
あたしは思わず感嘆の息を漏らす。きゅ、きゅ、と靴音を鳴らしながらドリブルしていく鮎奈。うちの女子バスケ部は弱小ではある。しかし、それでも毎日練習しているだけあって十分に経験値はあるはずだった。
それなのに、完全に翻弄されている。部員の少女が突き出す腕を、華麗にターンして躱していた。うまい。あの避け方は、素人のそれではない。しかも。
「とりゃああああああ!」
しなやかに、床を蹴る足。伸びやかな肢体が宙を舞っていた。嘘だろ、と思わず声を出してしまう。
ガアアアン!と鋼が打ち付けられる音。ネットを潜るボール。
――身長164cm程度であろう女子が今、ダンクシュートを決めていた。
「すっご」
見物していた生徒たちが、思わずぱちぱちと拍手をしていた。もちろんあたしもだ。あたしが見ているだけでも三人を華麗に躱し、万全な体勢ではなかったにもかかわらずダンクを決めていった。ただでさえ、女子でダンクを決めるのは難しい。彼女は平均よりは身長が高いものの、あたしと違って明確な高身長というほどではないというのに。
――いいバネ、してる。ドリブルの時もそう、一切無駄がなかった。
バスケに関しては素人なので(助っ人で呼ばれる程度には嗜んでいるが)、詳しいことは何もわからない。それでも、彼女のスキルが、現役女子バスケ部員たちよりも一枚も二枚も上手であるのは明白だった。
「すっごおおおおおおおおおおおおおい!」
「うわあああああああああああああああ!」
歓声と共にバスケ部員の少女たちが鮎奈を取り囲んでいた。
「八戸さんすごいです!え、え、バスケやってたんですか?」
「小学校の時、ミニバスやってただけなんですけどね。中学入ってからは、転勤ばっかりで部活とかやる暇なくて」
「ええええ、そんなにできるのに、勿体ない!」
「ねえねえ、お願い、うちの部に入って!お願いだよー、一緒に大会出てよー。いい加減一回戦を突破したくてさあ!」
「他の部に行かないで、おねがーい!」
わいのわいの、彼女達が必死で勧誘する声が聞こえる。確かに、これだけの実力があれば欲しいと思うのも当然だろう。
――つか、一回戦突破したことなかったんか、うちの女バス……。
その目標はちょっと寂しいのでは、とひきつり笑いを浮かべつつ。鮎奈は困ったように笑って言ったのだった。
「……ありがとうございます、皆さん。私も一緒にやりたいのはやまやまなんですけど、でも……長くご一緒できないかもしれないですけど、いいですか?」
「え、なんで?」
「親が、転勤族なんです。また半年くらい先に、辞令が出るような気がして」
「あー……」
半年。
思わずあたしは眉をひそめる。彼女はまるで、その数字を絶対のものと信じているかのような物言いであったから。
確かに転勤族ならば、辞令が出てまた引っ越さなければいければいけない、というのも珍しいことではないのだろう。しかし、それがいつ、どのような形で出るかなんて子供の彼女には知りようもないことのはずである。
何故そうも、確信をもっているかのような物言いなのか。それに。
――なんでお前、そんなに寂しそうなんだよ。
ちらり、と鮎奈の視線がこちらを向いた。あたしに気付いたらしく、ひらひらと笑顔で手を振ってくる。
同時に、なんとなく違和感を覚えていた理由にも気づいていた。
彼女はあたしのことが好きだと言っていた。そして、今日の休み時間ずっと生徒たちに取り囲まれて、話す隙が作れなかったのも事実だ。でも。
――なんか、避けられてるような気がしてたからだ。
おかしいではないか。
あたしのことが好きならば、どうして会話を避けようとするのだろうか。
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